海上空天
平佐智一さん 46歳
店舗スタッフ
年収450万円以上
勤続年数11年6ヶ月
紆余曲折の人生だった。だからこそ、今の生活が幸せ。ここには「最高の普通」がある
あの頃は“勉強よりも大切なこと”があった。夢を断ち切るための決断、そして足を踏み入れた未知の世界
――ご出身は?
出身……そうだなあ。生まれは大阪、育ちは東京とでも言っておきましょうか。というのも、親が転勤族だったもんで、いろんなところを転々としていたみたいでね。小学生の途中で東京に引っ越すまではもう、いつまでどこにいたのやら。
――引っ越しが多いといろいろ大変だったのでは?
小学生のときはねえ。ほら、子どもって残酷なところあるでしょ(笑)。
まあでも、東京で落ち着いてからは、普通に学校に行って、たまにサボりもしたし、テキトーに悪いこともしたし、そんなもんです。一応ですが、大学にも進学しましたよ。結局、卒業はできませんでしたが。
実は僕ね、高校生のときに演劇部に入ったんですよ。それで、大学生になっても続けようと劇団に入ってみたら、もう、ドハマりしちゃって。そこは、今ではテレビで活躍している俳優さんが駆け出しの頃に作った劇団でね。大学での勉強よりも刺激的なことがたくさんあった。気づけば学校に行かなくなり、二十歳のときに中退したんです。そこからは、ますます演劇に熱中するようになりましたね。
――夢を追いかけるために大学を辞めたんですね。
そんな大層なもんじゃないですよ。「あわよくば有名に……」くらい(笑)。
とはいえ、それ一本で食っていけるわけもなく。芝居を続けるために日雇いのバイトをして、公演前は稽古に明け暮れ、オフシーズンにはまたバイト漬けの生活でしたから。
――やはり、厳しい世界だった?
厳しいというより残酷ですよ、ハッキリ言って。「上手いな」って人ですら食っていけない。ほんの一握りの人間しか活躍できない世界でしたね。そのうちイヤでも気づかされますよ。「オレはそこには入れない」ってね。
まあ、芝居のほうは28歳まで続けたんだから、花開かなかったとしても、なかなか大したものでしょ?(笑)で、芝居を辞めて、立川で風俗店のスタッフを始めたんですよ。
――演劇とはまったく別の業界に。
知人から誘われたんです。「先輩とホテヘルを始めるんだけど、一緒にやらないか?」と。そのときの僕はきっと、芝居から離れる理由が欲しかったんでしょうね。こんなことを言うとあれですが、別のことを始められるなら、なんでもよかったんですよ。
出身……そうだなあ。生まれは大阪、育ちは東京とでも言っておきましょうか。というのも、親が転勤族だったもんで、いろんなところを転々としていたみたいでね。小学生の途中で東京に引っ越すまではもう、いつまでどこにいたのやら。
――引っ越しが多いといろいろ大変だったのでは?
小学生のときはねえ。ほら、子どもって残酷なところあるでしょ(笑)。
まあでも、東京で落ち着いてからは、普通に学校に行って、たまにサボりもしたし、テキトーに悪いこともしたし、そんなもんです。一応ですが、大学にも進学しましたよ。結局、卒業はできませんでしたが。
実は僕ね、高校生のときに演劇部に入ったんですよ。それで、大学生になっても続けようと劇団に入ってみたら、もう、ドハマりしちゃって。そこは、今ではテレビで活躍している俳優さんが駆け出しの頃に作った劇団でね。大学での勉強よりも刺激的なことがたくさんあった。気づけば学校に行かなくなり、二十歳のときに中退したんです。そこからは、ますます演劇に熱中するようになりましたね。
――夢を追いかけるために大学を辞めたんですね。
そんな大層なもんじゃないですよ。「あわよくば有名に……」くらい(笑)。
とはいえ、それ一本で食っていけるわけもなく。芝居を続けるために日雇いのバイトをして、公演前は稽古に明け暮れ、オフシーズンにはまたバイト漬けの生活でしたから。
――やはり、厳しい世界だった?
厳しいというより残酷ですよ、ハッキリ言って。「上手いな」って人ですら食っていけない。ほんの一握りの人間しか活躍できない世界でしたね。そのうちイヤでも気づかされますよ。「オレはそこには入れない」ってね。
まあ、芝居のほうは28歳まで続けたんだから、花開かなかったとしても、なかなか大したものでしょ?(笑)で、芝居を辞めて、立川で風俗店のスタッフを始めたんですよ。
――演劇とはまったく別の業界に。
知人から誘われたんです。「先輩とホテヘルを始めるんだけど、一緒にやらないか?」と。そのときの僕はきっと、芝居から離れる理由が欲しかったんでしょうね。こんなことを言うとあれですが、別のことを始められるなら、なんでもよかったんですよ。
“若さとバカさ”で駆け抜けた、30代前半。「俺には風俗しかない」。流れ着いた福岡で、再スタートを切る
――風俗の仕事はいかがでしたか?
立ち上げ当初のメンバー4人で、毎日朝から晩まで働き詰め。今思えば、いろいろとブラックな環境でしたね。ただ、当時の僕はそれが当たり前と考えていたんです。風俗業界って、そういうイメージがあるでしょ?(笑)
とはいえ、何も知らない世界でイチからやっていくのは面白かった。すぐに客も増えて、店としては儲かってたほうじゃないかな。
――順調な滑り出しだったんですね。
まあ、運がよかっただけというか。経営陣が全員バカで、足並みが揃ってたというか(笑)。
――どういうことですか?
「顧客を掴むために、思いついたことは片っ端からやっていこうぜ」と、いいも悪いも判断しないで突き進む、そんな集団だったんです。正直、今じゃコンプラ的にアウトなこともやっていたかもしれません(笑)。当時は、そういうのがウケる時代だったんですよ。
ただ、2011年の3月に東日本大震災があって。東京もけっこう揺れましてね。
――店の運営にも地震の影響が?
というより、経営陣4人のうち3人が、地震の恐怖でね……。「余震が来ない別の土地に行こう」「そこそこ栄えてて、災害が少なそうな場所がいい」「じゃあ、福岡にするか」と、店を畳むことに。
あのときの動きは速かったですよ。だって翌月にはもう、福岡に住み始めてましたから。
――ちなみに、福岡でも風俗店を?
これがね、飲食店にしたんです。せっかくなら違うことをしようと。でも、福岡で飲食業に参戦するのはなかなか無謀でしたね。
――どうして?
だってほら、普通においしい店が多いし、ラーメン、焼き鳥、刺し身に鍋、いろいろ揃ってるでしょ。「面白いことはなんでもやってやろう」の精神だけではダメで、ちゃんとした戦略も必要だったし、なによりうまい料理がつくれなきゃダメだったし(笑)。
――(笑)。
考えなしに始めちゃうあたり、やっぱり全員バカだったんですよ。まあ、楽しかったですけどね。
結局、借金を抱える一歩手前で廃業を決意。ほかの3人は東京に戻りましたが、僕だけ福岡に残ったんです。住みやすいし、メシがうまい店が多いしで、気に入っちゃってね。
で、1人残って何をしていくかって考えた結果、この『YESグループ』に入社したわけです。たしか34歳のときだったかな。30代半ばで大した職歴もない自分にとって、風俗業界に戻ってきたのは自然な流れでしたね。
立ち上げ当初のメンバー4人で、毎日朝から晩まで働き詰め。今思えば、いろいろとブラックな環境でしたね。ただ、当時の僕はそれが当たり前と考えていたんです。風俗業界って、そういうイメージがあるでしょ?(笑)
とはいえ、何も知らない世界でイチからやっていくのは面白かった。すぐに客も増えて、店としては儲かってたほうじゃないかな。
――順調な滑り出しだったんですね。
まあ、運がよかっただけというか。経営陣が全員バカで、足並みが揃ってたというか(笑)。
――どういうことですか?
「顧客を掴むために、思いついたことは片っ端からやっていこうぜ」と、いいも悪いも判断しないで突き進む、そんな集団だったんです。正直、今じゃコンプラ的にアウトなこともやっていたかもしれません(笑)。当時は、そういうのがウケる時代だったんですよ。
ただ、2011年の3月に東日本大震災があって。東京もけっこう揺れましてね。
――店の運営にも地震の影響が?
というより、経営陣4人のうち3人が、地震の恐怖でね……。「余震が来ない別の土地に行こう」「そこそこ栄えてて、災害が少なそうな場所がいい」「じゃあ、福岡にするか」と、店を畳むことに。
あのときの動きは速かったですよ。だって翌月にはもう、福岡に住み始めてましたから。
――ちなみに、福岡でも風俗店を?
これがね、飲食店にしたんです。せっかくなら違うことをしようと。でも、福岡で飲食業に参戦するのはなかなか無謀でしたね。
――どうして?
だってほら、普通においしい店が多いし、ラーメン、焼き鳥、刺し身に鍋、いろいろ揃ってるでしょ。「面白いことはなんでもやってやろう」の精神だけではダメで、ちゃんとした戦略も必要だったし、なによりうまい料理がつくれなきゃダメだったし(笑)。
――(笑)。
考えなしに始めちゃうあたり、やっぱり全員バカだったんですよ。まあ、楽しかったですけどね。
結局、借金を抱える一歩手前で廃業を決意。ほかの3人は東京に戻りましたが、僕だけ福岡に残ったんです。住みやすいし、メシがうまい店が多いしで、気に入っちゃってね。
で、1人残って何をしていくかって考えた結果、この『YESグループ』に入社したわけです。たしか34歳のときだったかな。30代半ばで大した職歴もない自分にとって、風俗業界に戻ってきたのは自然な流れでしたね。
この業界では考えられなかった、今の生活、今の自分。“当時にはないと思っていたフツウ”を実現できる場所
――『YESグループ』を選んだ理由は?
勤務形態に驚いたんです。「うちは早番と遅番の二交代制です」と面接で説明されて、「なんですか、それ?」って。僕が知ってる風俗の常識は“激務”ですから、「そんな働き方アリなんですか?」ってね(笑)。
――お店を運営していたときとはまったく違ったと。
まるっきり違いますし、生活もガラっと変わりましたね。プライベートのことですが、僕、40歳のときに結婚したんですよ。東京で店をやってた頃には考えられなかったなあ。やっぱり、風俗で働いてることに少し引け目みたいなものがあったんです。だから、結婚なんて……ねえ(笑)。
――その気持ちが変わった理由は?
やはり、『YESグループ』の環境のおかげでしょうか。なんていうか、本当にすごいんです。
――というと?
先ほども話した通り、勤務は早番と遅番の二交代制で実働8時間、残業はほぼナシ。有給休暇も取りやすいし、年に3回昇給のチャンスがあって、正当に評価してもらえる。社則なんかもきっちり設けられています。これって、今では普通のことですよね。でも、当時の風俗業界の常識ではなかった。そんな現在の“当たり前”を、このグループは創業時からどんどん取り入れている。間違いなく、風俗業界の仕事をクリーンなイメージに転換させてきた大手の一つだと思います。
多分、ここじゃなかったら、今の自分はなかったんじゃないかな。
――働きやすい環境なんですね。
それがうちの一番の魅力かと。正直言って、この業界って入るのは割と簡単なんですよ。学歴も職歴も関係なく、どんな人でも始めやすいし。しかも、最初からそれなりの給料がもらえる。
でも、いざ仕事としてやってみると、大変なことも多いし、忍耐も必要。始めるより、続けることのほうが難しいんですよね。だから、働く環境は少しでもよくないとね。
――では、未来の後輩へメッセージを。
もともと最初から風俗店の店員を目指してた人って、少ないでしょ。「将来の夢は風俗店員」だったってヤツ、少なくとも僕は出会ったことないです(笑)。ほとんどが、夢に破れたとか、前職で上手くいかなかったとか、何かしらの事情があってこの世界に入る。僕もそうですしね。
そんな中で、普通に働きたいって方に『YESグループ』は合っているかと。だから、考えすぎずに飛び込んでみてほしい。なんせ、入るのはめちゃくちゃ簡単ですからね(笑)。
勤務形態に驚いたんです。「うちは早番と遅番の二交代制です」と面接で説明されて、「なんですか、それ?」って。僕が知ってる風俗の常識は“激務”ですから、「そんな働き方アリなんですか?」ってね(笑)。
――お店を運営していたときとはまったく違ったと。
まるっきり違いますし、生活もガラっと変わりましたね。プライベートのことですが、僕、40歳のときに結婚したんですよ。東京で店をやってた頃には考えられなかったなあ。やっぱり、風俗で働いてることに少し引け目みたいなものがあったんです。だから、結婚なんて……ねえ(笑)。
――その気持ちが変わった理由は?
やはり、『YESグループ』の環境のおかげでしょうか。なんていうか、本当にすごいんです。
――というと?
先ほども話した通り、勤務は早番と遅番の二交代制で実働8時間、残業はほぼナシ。有給休暇も取りやすいし、年に3回昇給のチャンスがあって、正当に評価してもらえる。社則なんかもきっちり設けられています。これって、今では普通のことですよね。でも、当時の風俗業界の常識ではなかった。そんな現在の“当たり前”を、このグループは創業時からどんどん取り入れている。間違いなく、風俗業界の仕事をクリーンなイメージに転換させてきた大手の一つだと思います。
多分、ここじゃなかったら、今の自分はなかったんじゃないかな。
――働きやすい環境なんですね。
それがうちの一番の魅力かと。正直言って、この業界って入るのは割と簡単なんですよ。学歴も職歴も関係なく、どんな人でも始めやすいし。しかも、最初からそれなりの給料がもらえる。
でも、いざ仕事としてやってみると、大変なことも多いし、忍耐も必要。始めるより、続けることのほうが難しいんですよね。だから、働く環境は少しでもよくないとね。
――では、未来の後輩へメッセージを。
もともと最初から風俗店の店員を目指してた人って、少ないでしょ。「将来の夢は風俗店員」だったってヤツ、少なくとも僕は出会ったことないです(笑)。ほとんどが、夢に破れたとか、前職で上手くいかなかったとか、何かしらの事情があってこの世界に入る。僕もそうですしね。
そんな中で、普通に働きたいって方に『YESグループ』は合っているかと。だから、考えすぎずに飛び込んでみてほしい。なんせ、入るのはめちゃくちゃ簡単ですからね(笑)。
写真・記事:メンズバニラ編集部
店舗スタッフ
平佐智一さん 46歳
年収450万円以上
勤続年数11年6ヶ月
大阪で生まれ、さまざまな地を転々として、小学校の高学年から東京へ。28歳のときに立川で風俗店を立ち上げるも、とある出来事が理由で店を閉じ、移り住んだ福岡で『YESグループ』に入社。勤続11年の間に、グループ内の数々の店舗を盛り上げてきた。
時間にもお金にも余裕のある、今の暮らしがお気に入り。趣味は猫とたわむれることで、「今度、6匹目の子を迎えるんです」と笑顔で語る愛猫家。
平佐智一さんがはたらく会社の求人募集情報
電話応募について
メンズバニラ限定特典
初任給手取り28万円以上可能!
電話番号
0120-833-097
採用担当者:採用担当
- インタビュー
- 海上空天