FROZEN

広島(広島市

風俗ワーク(ソープランド

キープリストに追加しました

x

FROZEN

竹田 純さん 38

店長・幹部候補

年収800万円以上

勤続年数21ヶ月

“お金のために働く”を貫き通した男に自然と生まれたやりがい。目指すは、全国に名を馳せる店

12歳から6年間、自分に対してスパルタに生きた男。“お金が欲しい”を原動力に経営の道へ

――まずは幼少期のお話などを。

小学生の頃からずっとサッカー少年。中学、高校と、結構ハードでしたね。

――練習が厳しかった?

それもありますけど、実は僕、中学入学と同時に新聞配達を始めて、高校卒業まで部活とアルバイトの両立に大忙しだったんです。
朝3時には配達に出なくちゃいけないし、それが終わったら朝練に参加して授業に出て、部活に行って、自宅に帰り着いたら夜10時。飯食って寝て、また新聞配達……っていう毎日。自分が好きでやっていたとはいえ肉体的には追い込まれていたかな(笑)。
だけど、バイトも部活も一日も休んだことがないんです。

――それはすごい。でも、そこまでしてアルバイトを続けた理由は?

単なるお金欲しさ(笑)。働かないとお金はもらえませんからね。ただ、サッカーにも本気で打ち込んでいたから休みたくなかった。とにかく自分に対してスパルタに生きていました。
むしろ、そこまで追い込まれていなかったら何もしてなかったと思います。そういうタイプなんですよ。忙しいほうがやる気が出る、みたいな。

――それは今も?

そうですね。だから、慌ただしい人生を歩んできたんでしょうね(笑)。

――これまでの経歴を。

いろいろありましたけど、経営者としてやってきた期間は長かったですね。というのも僕、追い込まれないと何もしないくせして、人に指図されるのも嫌なもんだから(笑)。
最初こそ広島で就職したものの、普通に会社勤めしていてもなかなか給料って上がらないじゃないですか。だったら自分で店を経営しようと思って、デリヘルを立ち上げたんです。いざ始めてみたら女の子の採用も送迎もすべて自分一人でやらなくちゃいけないから、とにかく忙しかったですね。それこそ寝る暇もないくらい……。

――正直、サボりたくなりませんでした?(笑)

逆に、「僕がやらなくちゃ」って気持ちのほうが大きかったですね(笑)。
まあ、そんなこんなでがんばってたら、結果的に店は大繁盛。しかも、大手グループから「うちで働かないか」って誘いまで。

――で、どうしたんですか?

人に指図されるのは好きじゃなかったんですが、1人でやっても限界がくるのは見えていたし、すんなり吸収されました。
それからしばらくはそこで働いていたんだけど、たまたま知り合った友人と一緒に東京に行くことを決めたんです。

相棒とともに次々と起業し、刺激を味わった日々。“たくさんの経験”を積んで、また風俗業界へ

――東京では何を?

新宿で物件を借りて、ホテヘルとデリヘルをスタートしました。と言っても、ホテヘルは3日で閉店。

――3日で見切り? ちょっと早い気もしますが。

立地が悪くてね。全然お客さんが来ないもんだから、見切りは早いほうがいいと思ってすぐに辞めました。
でも、デリヘルは2年くらい続けたかな。今振り返ってみるとこのときが人生で一番苦労したと思う。

――詳しくお聞かせください。

自分と友人の2人しかスタッフがいないのに、営業時間は朝10時から翌朝5時。しかも東京って送迎に出たら何時間も帰ってこられなくて、効率も悪い。加えて、範囲が広いし渋滞するし。それに、都会って何かと誘惑が多いでしょ。女の子たちは仕事よりほかのことに目がいっちゃうから、シフト通りに来ないことも珍しくない(笑)。
利益もたいして出ていなかったので、本当に大変でしたね。それでも一緒に働く友人がいたから、なんとか続けられました。

――ちなみに、友人はどのような存在だった?

仕事の相棒って感じ。別に熱い友情とか強い絆があったとかじゃないんですけど、自分に対してスパルタなところが共通点でした。
彼は物事をパっと決めてササっとやっちゃう、経営者気質でテンポのいい人間。僕もダラダラ同じことを繰り返す生活は苦手なので、一緒に仕事をするのにちょうどよかったんです。だから、デリヘルが軌道に乗ったあとWeb制作の会社を起こそうって言われたときも、海外に事務所を構えようって言われたときも、すんなりOKしました。
まあ、ぶっちゃけ困ったこともありますけどね。お金がない時期もあったし。なぜか単身インドネシアに行かされたり(笑)。

――そんなことが(笑)。

まあでも、なんだかんだ刺激的だったし、やりがいはあったかな。だけど、何年か経ってさすがに彼と一緒に仕事をすることにも飽きてきて。ちょうど新型コロナウイルスが流行したタイミングもあって、僕は帰国。彼は今フィリピンにいるみたいだけど、最近はもう連絡を取ることもなくなっちゃいました。

――その後は?

日本に戻ってからしばらくは在宅でコンサルティングの仕事を。でも、じっとしていられない性格だからね。家の中にいるのがしんどくなってきたんです。で、何か違うことを始めたいなと考えていたとき、『FROZEN』の立ち上げの話が耳に入って。よし、やろうって。結局また風俗業界に戻ってきたというわけ。

お金と数字を追う中で、自然に生まれてきた“やりがい”。夢は、『FROZEN』の名前を日本全国へ

――『FROZEN』の立ち上げから約2年。今の状況は?

おかげさまで順調です。だからこそ今はスタッフ教育に力を入れています。やっぱり人を育てないと今後の展開も難しいし。ちなみに、誤解を恐れずに言うと、僕は自分が楽になるように仕事を教えてるって感じ(笑)。

――それはどういうこと?

後輩が仕事を覚えたら、自ずと僕の手が空く。すると次は後輩も楽をしたいと考える。だから、そのまた後輩に仕事を教えていく。そうやってみんなが成長していくことで、いい店がつくられると思っています。

――なるほど、理にかなっていますね。ちなみに、どんな人が向いている?

僕みたいに適当な人(笑)。

――(笑)。具体的には?

やることはしっかりやる、でもちゃんと手の抜き方も知っているっていう感じ。持論だけど、適当な人間にメンタルが弱い人はいないんですよね。この仕事はキャストと向き合わないといけないから、精神的に強くなければ難しい。「もう接客したくない」とか「あの子とケンカしたから辞めたい」と相談されて、さまざまな対応が求められる。でね、聞いてるこっちのメンタルがやられちゃう。だから、そういう意味で適当さが必要なんです。

――では、求める理想の人材は?

さっき言ったようにいい意味での適当さを持ってて、加えて売上を気にしてくれる人。数字を追える人。目標を持ってお金を稼いでほしいからね。風俗業界で働く一番の目的は、やっぱりお金じゃないですか。売上をアップさせれば、その分だけ自分の手元にたくさんのお金が残りますからね。
少なくとも、僕は常にお金を稼ぐことを優先しながら、いろんな仕事をしてきました。ただ、そのおかげで人を育てる責任のような“やりがい”まで残ったと感じています。

――竹田さんの今後の目標は?

看板スターを見つけたいですね。全国に『FROZEN』の名前を知ってもらえるような女の子を発掘したい。そういう女の子がいると客足が伸びて、売上が安定する。当たり前だけど、売上が悪いと給料の支払いに影響するから、そういう店には女の子が寄り付かない。お客さんも来ません。閑散期に左右されない安定した店をつくるためにも、看板になる女の子を見出したいと思っています。

――最後に未来の後輩へメッセージを。

まずは楽しく働きましょう。経営が気になる方も多いと思うので、知識を身に付けたければ僕がサポートします!
写真・記事:メンズバニラ編集部

店長・幹部候補

竹田 純さん 38

年収800万円以上

勤続年数21ヶ月

島根県出身。アルバイトで入った雑貨屋の社長が風俗店の経営者だったことをきっかけに、ナイトレジャーの世界へ。いくつものデリヘル店を経営し、Web制作会社やコンサルタント会社でも手腕を発揮。現在は『FROZEN』の責任者として、人材育成に注力している。
周囲からは「仕事に対して厳しい人」と言われるも、自身は「適当な人間です」とのこと。ただいま絶賛お嫁さん募集中。

竹田 純さんがはたらく会社の求人募集情報

応募について

随時面接受付中です。

採用担当者:梅谷

FROZEN

広島(広島市)

風俗ワーク(ソープランド)

  • キープリストに追加しました

    x

  • 今すぐ応募
キャンペーン対象企業
電話応募について
「メンズバニラを見た!」で限定特典!

メンズバニラ限定特典

安心の社会保険あり!

電話番号
080-9797-3992
採用担当者:梅谷
アプリ応募について
会社名
店舗名

FROZEN

※アカウント名が店名と異なる場合があります

IDをコピーする

友だち追加がうまく出来ない場合はIDをコピーしてください。
ID検索で引っかからない時は、 こちら からご連絡をお願い致します。

サイトに関するご意見・ご要望

いただいたご意見への返信は行っておりません。
返信の必要な内容については、お問い合わせよりご連絡をお願いいたします。

メンズバニラへのご意見ありがとうございます。

いただきました貴重なご意見は、
メンズバニラのサービス向上に役立たせていただきます。

今後ともメンズバニラをよろしくお願いいたします。