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ラブファクトリー
槙野さん 37歳
店舗スタッフ
年収400万円以上
勤続年数0年2ヶ月
北の大地でマイナスからのスタートを切った元オーナー社長。その熱き闘志は変わらず燃え続ける
高校を中退し夜の世界へ。昼と夜の“二足のわらじ”を履きこなした男に巡ってきた、新たなるチャンス
──ご出身は?
島根県です。地元は結構な田舎で車社会だったので、僕も18歳になってすぐ免許を取得。それを機に、友達から割のいい仕事を紹介してもらえまして。そもそも勉強が大嫌いだったし、早く社会に出てお金を稼ぎたいと常々思っていたし、高校卒業間近ではあったけど、中退してそのまま働くことにしたんです。
──仕事は何を?
地元のデリヘルで、内勤兼ドライバーという感じです。そこのグループは当時すごく勢いがあり、僕も系列店の雑用に駆り出されるなど、とにかく忙しい毎日。でもその分収入にはつながっていて、19歳のときには手取りが40万円超え。当時流行りのVIPカーに乗ることもできて、お金を稼ぐ楽しさを感じながら、充実した日々を送っていましたよ。
──10代で40万円超えとはすごい。
ただ、2年くらい働くといろいろと目移りしてきちゃいまして(笑)。上司から昇進の話ももらいましたが、半ば勢いで退職することにしたんです。
その後はハウスメーカーで営業を。収入的に食っていくには困らなかったものの、それまでの稼ぎがよすぎた分、一度上げた生活水準はなかなか下げられず。かといって風俗でまた働くのもなんだかなと思い、副業でスナックのボーイを始めました。
昼と夜のダブルワークだったため、ほとんど休みはなし。まあ、完全に若さゆえにこなせていただけだと思いますが(笑)。
──(笑)。
先ほども言いましたけど、とにかくお金を稼ぐのが楽しくて、忙しくても苦に感じること自体ありませんでした。
それから昼の仕事で転勤があって山形に移り住むことになるんですが、そこでも副業としてバーで働いて。お酒の場の特有の楽しい雰囲気がどうしようもなく好きになっていました。この頃からですかね、はっきりと自分の店を持ちたいと思うようになったのは。
で、26歳のとき、地元の島根で僕が働いていたスナックのオーナーが店を畳むのを知ったんです。「もしテナントが空くなら僕にください!」って連絡したら、あっさりOKをもらいました。
──まさに渡りに船。
ですね(笑)。それで自分の店を持てるってなったら張り切っちゃって。昼の仕事をスッパリ辞めて地元に戻って、飲み屋の経営に専念することにしました。
島根県です。地元は結構な田舎で車社会だったので、僕も18歳になってすぐ免許を取得。それを機に、友達から割のいい仕事を紹介してもらえまして。そもそも勉強が大嫌いだったし、早く社会に出てお金を稼ぎたいと常々思っていたし、高校卒業間近ではあったけど、中退してそのまま働くことにしたんです。
──仕事は何を?
地元のデリヘルで、内勤兼ドライバーという感じです。そこのグループは当時すごく勢いがあり、僕も系列店の雑用に駆り出されるなど、とにかく忙しい毎日。でもその分収入にはつながっていて、19歳のときには手取りが40万円超え。当時流行りのVIPカーに乗ることもできて、お金を稼ぐ楽しさを感じながら、充実した日々を送っていましたよ。
──10代で40万円超えとはすごい。
ただ、2年くらい働くといろいろと目移りしてきちゃいまして(笑)。上司から昇進の話ももらいましたが、半ば勢いで退職することにしたんです。
その後はハウスメーカーで営業を。収入的に食っていくには困らなかったものの、それまでの稼ぎがよすぎた分、一度上げた生活水準はなかなか下げられず。かといって風俗でまた働くのもなんだかなと思い、副業でスナックのボーイを始めました。
昼と夜のダブルワークだったため、ほとんど休みはなし。まあ、完全に若さゆえにこなせていただけだと思いますが(笑)。
──(笑)。
先ほども言いましたけど、とにかくお金を稼ぐのが楽しくて、忙しくても苦に感じること自体ありませんでした。
それから昼の仕事で転勤があって山形に移り住むことになるんですが、そこでも副業としてバーで働いて。お酒の場の特有の楽しい雰囲気がどうしようもなく好きになっていました。この頃からですかね、はっきりと自分の店を持ちたいと思うようになったのは。
で、26歳のとき、地元の島根で僕が働いていたスナックのオーナーが店を畳むのを知ったんです。「もしテナントが空くなら僕にください!」って連絡したら、あっさりOKをもらいました。
──まさに渡りに船。
ですね(笑)。それで自分の店を持てるってなったら張り切っちゃって。昼の仕事をスッパリ辞めて地元に戻って、飲み屋の経営に専念することにしました。
飛ぶ鳥を落とす勢いで“飲み屋を束ねるオーナー社長”に。大きな舞台に挑戦するも、大きな壁が立ちふさがる
──その後のお話を。
初めての経営だから苦労の連続。でも前身の店のつながりもあり、人脈にも売上にも恵まれて、2年目で新しい事業に手を出せるまでになりましたよ。
──新しい事業?
島根にはブラジル人労働者の働く工場が多かったので、「ブラジル人の女の子を集めて飲み屋を出したら儲かるんじゃないか?」って、常連のお客様からビジネスに誘われたんです。その方は介護系の会社の社長で幅広いツテを持っていたので、僕もいろんな人を紹介してもらって、海外から人材派遣の手続きをするために法人化もしました。
まあ結局はアテが外れて、就労ビザの関係で女の子が集まらなくて大失敗。だから急遽方向転換して、日本人の女の子を集めてラウンジを開きました。転んでもタダでは起きたくありませんから(笑)。
──素晴らしい機転!
なんならそのあと、縁あって3店舗目も運営することになりましたよ。
──詳しくお聞かせください。
クラブを引き払うっていう知人から話をもらい、「それなら僕の会社で運営します!」って。それで飲み屋3店舗を手掛けるオーナーになったというわけです。しかもどの店も売上は順調そのもので、僕もどんどん羽振りがよくなりましたね。
で、そろそろ大きな舞台に挑戦したいと、大阪進出を決めたんです。世間ではコロナが騒がれ始めた、まさにその頃に。
──そんな時期に!?
当然そうなりますよね。僕自身、完全に見通しが甘かったと後悔していますから。
その頃、島根には本格的な波が来ておらず、コロナというものをナメていたんです。意気揚々と大阪に移り住んで、新規店のオープン準備をしているときに島根に波が。すると僕の店の売上も軒並み急落しまして……。
結果、新規店に構う余裕なんてなく、既存店の立て直しで精一杯。大阪進出からは完全に手を引いたうえ、経営していた3店舗の飲み屋のうち、最初に出したスナックを残して閉店することを決めました。
──それからのことを。
恥ずかしい話、その一件で負債まで抱えてしまったんですよ。その額、数千万円ほど。損切りできずに残したスナックは、コロナ禍が落ち着き始めても売上が奮わなくて、思い入れのある大切な店でしたが8年間の営業に終止符を打つことにしました。
それでもまた飲み屋で再起しようと躍起になる僕に、友人が助言をくれたんです。
初めての経営だから苦労の連続。でも前身の店のつながりもあり、人脈にも売上にも恵まれて、2年目で新しい事業に手を出せるまでになりましたよ。
──新しい事業?
島根にはブラジル人労働者の働く工場が多かったので、「ブラジル人の女の子を集めて飲み屋を出したら儲かるんじゃないか?」って、常連のお客様からビジネスに誘われたんです。その方は介護系の会社の社長で幅広いツテを持っていたので、僕もいろんな人を紹介してもらって、海外から人材派遣の手続きをするために法人化もしました。
まあ結局はアテが外れて、就労ビザの関係で女の子が集まらなくて大失敗。だから急遽方向転換して、日本人の女の子を集めてラウンジを開きました。転んでもタダでは起きたくありませんから(笑)。
──素晴らしい機転!
なんならそのあと、縁あって3店舗目も運営することになりましたよ。
──詳しくお聞かせください。
クラブを引き払うっていう知人から話をもらい、「それなら僕の会社で運営します!」って。それで飲み屋3店舗を手掛けるオーナーになったというわけです。しかもどの店も売上は順調そのもので、僕もどんどん羽振りがよくなりましたね。
で、そろそろ大きな舞台に挑戦したいと、大阪進出を決めたんです。世間ではコロナが騒がれ始めた、まさにその頃に。
──そんな時期に!?
当然そうなりますよね。僕自身、完全に見通しが甘かったと後悔していますから。
その頃、島根には本格的な波が来ておらず、コロナというものをナメていたんです。意気揚々と大阪に移り住んで、新規店のオープン準備をしているときに島根に波が。すると僕の店の売上も軒並み急落しまして……。
結果、新規店に構う余裕なんてなく、既存店の立て直しで精一杯。大阪進出からは完全に手を引いたうえ、経営していた3店舗の飲み屋のうち、最初に出したスナックを残して閉店することを決めました。
──それからのことを。
恥ずかしい話、その一件で負債まで抱えてしまったんですよ。その額、数千万円ほど。損切りできずに残したスナックは、コロナ禍が落ち着き始めても売上が奮わなくて、思い入れのある大切な店でしたが8年間の営業に終止符を打つことにしました。
それでもまた飲み屋で再起しようと躍起になる僕に、友人が助言をくれたんです。
希望を見出してたどり着いた北の大地。マイナスからのスタートゆえに、“ゆっくりしてはいられない”
──その助言とは?
島根じゃまだまだだけど、大きな繁華街はコロナ禍以前の勢いを取り戻しつつあるって。中でも札幌は、ほかの地域と比べて安い費用で店を出せると。それで僕はすすきのに希望を見出したんです。
幸いなことに、僕と一緒に店をやってくれるという知人も見つかって、意気揚々と札幌へ。急ピッチで準備を進め、昨年末にはガールズバーを開店しました。
といっても、結局はうまくいきませんでしたけどね。
──いったい何が?
地元から離れ、人脈も何もないところで商売を始めるのがこんなに難しいだなんて思いもしませんでした。僕の管理不足でもありますが、そんな状況だと女の子もどんどん辞め、知人もいなくなり、最後に残ったのは僕一人。店を存続させるべく、なんとか2カ月ほど営業していたんですが、自分の生活がままならないくらい逼迫してしまって。
それでもう経営からはスッパリ手を引き、安定した場所で働こうと職探しを始め、見つけたのが『ラブファクトリー』というわけです。その折、メンズバニラにはお世話になりました(笑)。
──ありがとうございます(笑)。
最初こそ飲み屋も探しましたが、気付いたらここにポチッと(笑)。思い返すと、業種こそ違いますが、僕の出発はデリヘルだったし、とにかく稼げていた記憶があったからこそ、気持ちのどこかですがりたくなったのかもしれません。
──経験も活かせますからね。ちなみに、現在の目標はありますか?
これまではオーナーとして店の舵取りをしていた身ですが、ここではあくまで一兵卒。膨大な借金を返すためにも、まずは目の前の仕事を着実にこなしていかないと。
安定した職場で、ゆっくりと将来のことについて考える時間も欲しい一方で、立ち止まっているのも違うだろうなと。
──というと?
集客イベントの立案だったり、キャストさんのブランディングだったり、この『ラブファクトリー』に貢献できることはたくさんあると思いますから。なんとなく応募したお店ですが、すすきのでも有数の老舗店。ゼロからの、というかマイナスからのスタートという気持ちで、これまでの僕に足りなかったものを見つけて、もっと成長していきたいです。
そして何十年後になるかはわかりませんが、また自分の店を持てたら最高かな。
島根じゃまだまだだけど、大きな繁華街はコロナ禍以前の勢いを取り戻しつつあるって。中でも札幌は、ほかの地域と比べて安い費用で店を出せると。それで僕はすすきのに希望を見出したんです。
幸いなことに、僕と一緒に店をやってくれるという知人も見つかって、意気揚々と札幌へ。急ピッチで準備を進め、昨年末にはガールズバーを開店しました。
といっても、結局はうまくいきませんでしたけどね。
──いったい何が?
地元から離れ、人脈も何もないところで商売を始めるのがこんなに難しいだなんて思いもしませんでした。僕の管理不足でもありますが、そんな状況だと女の子もどんどん辞め、知人もいなくなり、最後に残ったのは僕一人。店を存続させるべく、なんとか2カ月ほど営業していたんですが、自分の生活がままならないくらい逼迫してしまって。
それでもう経営からはスッパリ手を引き、安定した場所で働こうと職探しを始め、見つけたのが『ラブファクトリー』というわけです。その折、メンズバニラにはお世話になりました(笑)。
──ありがとうございます(笑)。
最初こそ飲み屋も探しましたが、気付いたらここにポチッと(笑)。思い返すと、業種こそ違いますが、僕の出発はデリヘルだったし、とにかく稼げていた記憶があったからこそ、気持ちのどこかですがりたくなったのかもしれません。
──経験も活かせますからね。ちなみに、現在の目標はありますか?
これまではオーナーとして店の舵取りをしていた身ですが、ここではあくまで一兵卒。膨大な借金を返すためにも、まずは目の前の仕事を着実にこなしていかないと。
安定した職場で、ゆっくりと将来のことについて考える時間も欲しい一方で、立ち止まっているのも違うだろうなと。
──というと?
集客イベントの立案だったり、キャストさんのブランディングだったり、この『ラブファクトリー』に貢献できることはたくさんあると思いますから。なんとなく応募したお店ですが、すすきのでも有数の老舗店。ゼロからの、というかマイナスからのスタートという気持ちで、これまでの僕に足りなかったものを見つけて、もっと成長していきたいです。
そして何十年後になるかはわかりませんが、また自分の店を持てたら最高かな。
写真・記事:メンズバニラ編集部
店舗スタッフ
槙野さん 37歳
年収400万円以上
勤続年数0年2ヶ月
島根県出身。高校中退後、風俗店のスタッフとして夜の世界へ。のちにハウスメーカーの営業マンに転身するが、収入に満足できず地元のスナックで副業を開始。縁あって店を譲り受けたあと、瞬く間に3店舗を束ねるオーナー社長へと成長するも、とある事情で経営者の幕を下ろした。
その後は『ラブファクトリー』に入社。「マイナスからスタートを切った今、ゆっくり休むつもりはないです」と闘志を燃やす。
槙野さんがはたらく会社の求人募集情報
リアル給与明細
店舗スタッフ
職位
リーダー(店舗スタッフ)
年齢
28歳
勤続期間
3年
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合計346,000円
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基本給250,000円
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役職手当50,000円
-
勤労年数加給25,000円
-
業績達成歩合21,000円
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