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Mrsダイヤモンド札幌店
スタッフBさん 56歳
店舗スタッフ
年収330万円以上
勤続年数0年4ヶ月
年齢を理由に諦めなくてもいい。アラ還の新人スタッフが語る、職場への思い、自らの役目
うまくいったかに思えた初就職。しかしホームシックに悩まされ“これからも故郷で生きていく”ことを決めた

――ご出身は?
生まれも育ちも北海道です。もう50代後半になりますが、人生のほとんどを過ごしていますね。自然は豊かだし、ご飯はおいしいしで、やっぱり愛着がありますよ。就職で道外へ出たこともありますけど、すぐに戻ってきちゃったくらいですから(笑)。
――そうなんですね(笑)。ではご経歴をお聞かせください。
学生時代は理工系の学部に通っていて、進路を決めるときにオーディオメーカーへの就職を希望していたんです。当時の僕は音楽鑑賞が趣味で、興味のある分野の仕事をしたくて。
とはいえ、その頃は理系の就職というと研究室と企業のコネで決まるのが当たり前。仮にそれを蹴って自分で就活するなら、大学からのサポートは一切受けられないっていう。
結局、研究室の都合もあって、希望していたオーディオメーカーへの就職は叶わなかったんですが、一応オーディオも扱っている大手の電機メーカーに就職することはできました。
――第一希望ではないにしろ、就職はうまくいったと。
僕も最初はそう思ったんです。でも配属されたのは、まったく無関係の部署なうえに勤務地は関西。仕事には興味が持てないし、住み慣れない土地で軽くホームシックにもなり、ストレスを抱えるばかり。結局、一年足らずで退職して北海道に戻ってきたというわけです。
――その後は?
札幌にある眼鏡の卸会社に就職を。従業員15人くらいの小さなところだったから、営業から配達、眼鏡の作成まで全部やらなきゃいけなかったんですけど、いろいろ関われるのがむしろ楽しくて。道内全域の人をお客様にして駆け回りながら仕事をする生活も、まだ若くて体力もあったから苦にならず。10年くらいは働きましたね。
――自分に合う仕事を見つけられたんですね。
なんとか無事に(笑)。ただある日、社長が急病で亡くなってしまったんですよ。それで社長の息子に代替わりして営業を続けていたんですが、前社長の人脈で会社が持っていた部分も大きくて、業績はみるみる悪化。
そんなとき、取引先だった眼鏡の販売店に声をかけてもらえたので、そちらへ移ることになりました。まあ、店内にこもって販売するのが合わなくてすぐに退職しちゃったんですけどね。それからは、ネット回線を扱うコールセンターの運営会社に就職しました。
生まれも育ちも北海道です。もう50代後半になりますが、人生のほとんどを過ごしていますね。自然は豊かだし、ご飯はおいしいしで、やっぱり愛着がありますよ。就職で道外へ出たこともありますけど、すぐに戻ってきちゃったくらいですから(笑)。
――そうなんですね(笑)。ではご経歴をお聞かせください。
学生時代は理工系の学部に通っていて、進路を決めるときにオーディオメーカーへの就職を希望していたんです。当時の僕は音楽鑑賞が趣味で、興味のある分野の仕事をしたくて。
とはいえ、その頃は理系の就職というと研究室と企業のコネで決まるのが当たり前。仮にそれを蹴って自分で就活するなら、大学からのサポートは一切受けられないっていう。
結局、研究室の都合もあって、希望していたオーディオメーカーへの就職は叶わなかったんですが、一応オーディオも扱っている大手の電機メーカーに就職することはできました。
――第一希望ではないにしろ、就職はうまくいったと。
僕も最初はそう思ったんです。でも配属されたのは、まったく無関係の部署なうえに勤務地は関西。仕事には興味が持てないし、住み慣れない土地で軽くホームシックにもなり、ストレスを抱えるばかり。結局、一年足らずで退職して北海道に戻ってきたというわけです。
――その後は?
札幌にある眼鏡の卸会社に就職を。従業員15人くらいの小さなところだったから、営業から配達、眼鏡の作成まで全部やらなきゃいけなかったんですけど、いろいろ関われるのがむしろ楽しくて。道内全域の人をお客様にして駆け回りながら仕事をする生活も、まだ若くて体力もあったから苦にならず。10年くらいは働きましたね。
――自分に合う仕事を見つけられたんですね。
なんとか無事に(笑)。ただある日、社長が急病で亡くなってしまったんですよ。それで社長の息子に代替わりして営業を続けていたんですが、前社長の人脈で会社が持っていた部分も大きくて、業績はみるみる悪化。
そんなとき、取引先だった眼鏡の販売店に声をかけてもらえたので、そちらへ移ることになりました。まあ、店内にこもって販売するのが合わなくてすぐに退職しちゃったんですけどね。それからは、ネット回線を扱うコールセンターの運営会社に就職しました。
20年間務めた果ての、報われない待遇。諦めかけたときに“見出した希望”は、ナイトレジャーという選択肢

――またしても異業種に就職を。
当時はネット回線が家庭にどんどん普及している時期で、もともと理系だったのもあって通信関係の技術に興味があったし、関連するスキルを身に着けたいなと思ったんです。
それでコールセンターの裏側って、どういうシステムで動かしているのか気になって。軽く覗いてみようくらいの気持ちで、そんなに続けるつもりはなかったんですが、なんだかんだで20年も働くことに。
――そちらでキャリアを積まれたと。
ええ。経験を重ねるにあたって現場のまとめ役を担い、オペレーターの採用や育成、採算管理も任されるようになりました。54歳のときに担当する部署が変わるまでは、これといった不満もなく働けていたように思います。
――異動した部署が合わなかった?
そんなところですね……。コールセンターの内部を管理する部署から、オペレーターを外部に派遣する部署に変わりまして。その派遣先だけで数十社にのぼり、膨大な人数の管理をたった1人で行わなければいけなかったんです。
しかも人材を社外に出しているものだから、自社の勤務時間外にも対応をしなければいけなくて。退勤後も休日も電話対応に追われる日々。とてもじゃないですが、50代の体力では耐えられない激務でした。これで稼ぎが良ければまだがんばりがいもあったんですが、業務の責任が増えても給料が増えることはなく……。
――それで退職を?
長く務めたから残念ではありましたが、まあ仕方がないです。明らかに負荷と収入が見合っていなかったですからね。
仕事を辞めて、気づけばもう55歳。貯金だってたいして残っているわけじゃないし、まだこれからも働かなければいけない。でも、この年齢の人間を雇ってくれる職場なんて、ほとんどない。それは前職で採用も担当していた自分が一番わかっていたんです。
そんなときたまたま見つけたのが『アクセスグループ』の求人。「40代50代歓迎」ということを大きく打ち出しているのが目に留まりまして。正直、半信半疑ではあったんですが、ダメ元で面接を受けてみることにしました。
当時はネット回線が家庭にどんどん普及している時期で、もともと理系だったのもあって通信関係の技術に興味があったし、関連するスキルを身に着けたいなと思ったんです。
それでコールセンターの裏側って、どういうシステムで動かしているのか気になって。軽く覗いてみようくらいの気持ちで、そんなに続けるつもりはなかったんですが、なんだかんだで20年も働くことに。
――そちらでキャリアを積まれたと。
ええ。経験を重ねるにあたって現場のまとめ役を担い、オペレーターの採用や育成、採算管理も任されるようになりました。54歳のときに担当する部署が変わるまでは、これといった不満もなく働けていたように思います。
――異動した部署が合わなかった?
そんなところですね……。コールセンターの内部を管理する部署から、オペレーターを外部に派遣する部署に変わりまして。その派遣先だけで数十社にのぼり、膨大な人数の管理をたった1人で行わなければいけなかったんです。
しかも人材を社外に出しているものだから、自社の勤務時間外にも対応をしなければいけなくて。退勤後も休日も電話対応に追われる日々。とてもじゃないですが、50代の体力では耐えられない激務でした。これで稼ぎが良ければまだがんばりがいもあったんですが、業務の責任が増えても給料が増えることはなく……。
――それで退職を?
長く務めたから残念ではありましたが、まあ仕方がないです。明らかに負荷と収入が見合っていなかったですからね。
仕事を辞めて、気づけばもう55歳。貯金だってたいして残っているわけじゃないし、まだこれからも働かなければいけない。でも、この年齢の人間を雇ってくれる職場なんて、ほとんどない。それは前職で採用も担当していた自分が一番わかっていたんです。
そんなときたまたま見つけたのが『アクセスグループ』の求人。「40代50代歓迎」ということを大きく打ち出しているのが目に留まりまして。正直、半信半疑ではあったんですが、ダメ元で面接を受けてみることにしました。
55歳にして行き着いた新天地。“想像以上に恵まれた環境”で、果たすべき自らの役割

――面接を受けた感想を。
思っていた以上に真摯に対応してもらえましたね。この業界は体育会系でいかにも厳しそうなイメージだったんですけど、面接担当者の部長は真逆の穏やかな雰囲気。これまでコンプライアンスを重視した会社で働いていた僕から見ても、同じくらいしっかりしているのも好印象でした。まあとにかく、話を聞けば聞くほど魅力的な職場だと感じていきましたね。
だからその場で採用を決めてもらえたときは、すごくうれしかったですよ。まさか本当に、55歳を過ぎた未経験のおじさんを雇ってくれるなんて思わなかったですから(笑)。
――業務には慣れましたか?
僕の場合は部長と一緒にグループの店舗を回りつつ仕事を教えてもらえて、おかげで一通りの業務は覚えられたかな。コールセンターの経験もあるから、女性とのコミュニケーションにもそれほど苦労しませんでした。
逆に難しいのは、受付時にフリーのお客様にどの女性を推すかの判断。瞬時にいろんな要素を考慮しておすすめしないといけませんから。でも同時にこれはやりがいでもある。自分の采配がハマってお客様から感謝されたときは、仕事をしていて一番うれしい瞬間ですね。
――職場環境などはいかがですか?
とにかく人に恵まれているのを感じます。部長は僕より一回り近く年下であるにもかかわらず、すごく尊敬できる方ですし、もちろんほかの先輩方も優しい。僕は新人なのに最年長ですが、変に気を遣うことなく接してもらえるので心地いいんです。
それに前職よりも給料は上がったうえに、プライベートの時間も増えました。早番遅番でしっかり勤務時間が別れているし、休みに電話対応することなんてありません。この前の休日は、自分へのご褒美としてシャトーブリアンを食べに行きましたよ(笑)。
――いいですね(笑)。では、最後に今後の目標を。
どんどん昇進して、いつかは役員に……なんて言ってみたいところですが、そんな大口を叩けるほど、甘い世界じゃないと思っています。それに自分自身、そこまでどん欲な性格でもありません(笑)。
僕が目指すのは、女の子もスタッフもみんなが幸せになれる店をつくること。もちろんお金なのか、人間関係なのか、働く時間なのか、大事にしていることは人それぞれ違うと思いますが、そのバランスを取り持てるような役割を果たしていきたいんです。
思っていた以上に真摯に対応してもらえましたね。この業界は体育会系でいかにも厳しそうなイメージだったんですけど、面接担当者の部長は真逆の穏やかな雰囲気。これまでコンプライアンスを重視した会社で働いていた僕から見ても、同じくらいしっかりしているのも好印象でした。まあとにかく、話を聞けば聞くほど魅力的な職場だと感じていきましたね。
だからその場で採用を決めてもらえたときは、すごくうれしかったですよ。まさか本当に、55歳を過ぎた未経験のおじさんを雇ってくれるなんて思わなかったですから(笑)。
――業務には慣れましたか?
僕の場合は部長と一緒にグループの店舗を回りつつ仕事を教えてもらえて、おかげで一通りの業務は覚えられたかな。コールセンターの経験もあるから、女性とのコミュニケーションにもそれほど苦労しませんでした。
逆に難しいのは、受付時にフリーのお客様にどの女性を推すかの判断。瞬時にいろんな要素を考慮しておすすめしないといけませんから。でも同時にこれはやりがいでもある。自分の采配がハマってお客様から感謝されたときは、仕事をしていて一番うれしい瞬間ですね。
――職場環境などはいかがですか?
とにかく人に恵まれているのを感じます。部長は僕より一回り近く年下であるにもかかわらず、すごく尊敬できる方ですし、もちろんほかの先輩方も優しい。僕は新人なのに最年長ですが、変に気を遣うことなく接してもらえるので心地いいんです。
それに前職よりも給料は上がったうえに、プライベートの時間も増えました。早番遅番でしっかり勤務時間が別れているし、休みに電話対応することなんてありません。この前の休日は、自分へのご褒美としてシャトーブリアンを食べに行きましたよ(笑)。
――いいですね(笑)。では、最後に今後の目標を。
どんどん昇進して、いつかは役員に……なんて言ってみたいところですが、そんな大口を叩けるほど、甘い世界じゃないと思っています。それに自分自身、そこまでどん欲な性格でもありません(笑)。
僕が目指すのは、女の子もスタッフもみんなが幸せになれる店をつくること。もちろんお金なのか、人間関係なのか、働く時間なのか、大事にしていることは人それぞれ違うと思いますが、そのバランスを取り持てるような役割を果たしていきたいんです。
写真・記事:メンズバニラ編集部

店舗スタッフ
スタッフBさん 56歳
年収330万円以上
勤続年数0年4ヶ月
北海道札幌市出身。
大学を卒業後、電機メーカー、コールセンターなどの経歴を経て、50代半ばを過ぎてからナイトレジャー業界に初挑戦する。穏やかで紳士的な人柄と真面目な仕事ぶりから、新人ながらも周囲からの信頼は厚い。
趣味はおいしいものを食べること。特に肉が好物で、焼き加減はミディアムレアが好みとのこと。
スタッフBさんがはたらく会社の求人募集情報
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