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神栖レッドダイヤ
小川 敦司さん 28歳
店長・幹部候補
年収420万円以上
勤続年数3年3ヶ月
「人生観、変わるよ」その一言が男の未来を変えた。尊敬できる仲間のもとで必要とされる存在に
とにかく“勉強が嫌い”だった。野球に没頭した少年時代、遊びに夢中だった大学時代
――ご出身は?
生まれてからずっと東京です。『神栖レッドダイヤ』に入社して、初めて東京を離れました。だから、今でも都内に友人もいますし、休日は草野球をしによく帰ってきてるんです。
――野球がお好きなんですね。
ずっと続けていますね。ポジションは、キャッチャーとかサードとかファーストとか……あんまり動かなくていいところばかりを(笑)。昔から身体が大きかったもので。
小中と地元のリトルリーグでがんばって、高校も野球推薦で入れるところに行きました。
――エリートじゃないですか!
いえいえ、そんなにすごいレベルではなかったので、別に強豪校というわけでもなく。ただ、とにかく勉強が嫌いで、野球推薦をもらうしか高校に上がる手段がなかったんですよ。そんな事情もあって、高校の3年間も野球漬けの生活を送りました。え、勉強? 一切していませんよ(笑)。
その後は声がかかれば続けるのもいいかな、とは思っていましたが、特にお呼びもかからなかったのですっぱり諦めました。大学なりアマチュアなり、この先本気で野球を続けていくにはすごくお金がかかることもわかっていたので、大学ではお遊び程度に草野球をやるくらいでいいかな、と。
――大学生活はいかがでしたか?
それが、友達と遊ぶのがすごく楽しくてですね、中退を……(笑)。カラオケ行ったりパチンコ行ったり、授業にも出ないで遊び回っていたので、単位が取れず、当然進級もできず。いったん休学という扱いにしてもらって、学割なんかもギリギリまで使わせてもらってから辞めました。
――ちなみに、学部はどちらに?
サービス経営学部だったかな? とにかく勉強してなかったんで、面接だけで入れるのがそこだったんです。大学自体、親や先生から行けって言われてどうせ暇だから……くらいの考えで入ったんで、興味があったわけでもなく。本当に、勉強らしい勉強ってしたことがなかったですね。
生まれてからずっと東京です。『神栖レッドダイヤ』に入社して、初めて東京を離れました。だから、今でも都内に友人もいますし、休日は草野球をしによく帰ってきてるんです。
――野球がお好きなんですね。
ずっと続けていますね。ポジションは、キャッチャーとかサードとかファーストとか……あんまり動かなくていいところばかりを(笑)。昔から身体が大きかったもので。
小中と地元のリトルリーグでがんばって、高校も野球推薦で入れるところに行きました。
――エリートじゃないですか!
いえいえ、そんなにすごいレベルではなかったので、別に強豪校というわけでもなく。ただ、とにかく勉強が嫌いで、野球推薦をもらうしか高校に上がる手段がなかったんですよ。そんな事情もあって、高校の3年間も野球漬けの生活を送りました。え、勉強? 一切していませんよ(笑)。
その後は声がかかれば続けるのもいいかな、とは思っていましたが、特にお呼びもかからなかったのですっぱり諦めました。大学なりアマチュアなり、この先本気で野球を続けていくにはすごくお金がかかることもわかっていたので、大学ではお遊び程度に草野球をやるくらいでいいかな、と。
――大学生活はいかがでしたか?
それが、友達と遊ぶのがすごく楽しくてですね、中退を……(笑)。カラオケ行ったりパチンコ行ったり、授業にも出ないで遊び回っていたので、単位が取れず、当然進級もできず。いったん休学という扱いにしてもらって、学割なんかもギリギリまで使わせてもらってから辞めました。
――ちなみに、学部はどちらに?
サービス経営学部だったかな? とにかく勉強してなかったんで、面接だけで入れるのがそこだったんです。大学自体、親や先生から行けって言われてどうせ暇だから……くらいの考えで入ったんで、興味があったわけでもなく。本当に、勉強らしい勉強ってしたことがなかったですね。
行き詰まりを感じていた心に刺さった知人の一言。“新たな世界”を求めて見知らぬ土地へ
――卒業後は?
僕がブラブラしているのを知った先輩が「ちょっと手伝ってくれない?」と、知り合いの内装業者さんを紹介してくれまして。最初は手伝いから始まって、やっているうちになんとなく面白くなってきたんですよね。壁紙を貼る仕事だったんですけど、最初は汚いボードだった壁が、自分の仕事ですごくキレイになる。その達成感というか、爽快感というか。
それで、そのまま5年ほど職人をやっていました。
――それがなぜ風俗業界に?
内装の仕事は好きだったんですが、職人としての自分の将来に不安があったり、この先ずっとこの仕事を続けていくのかな……と考えたときに、正直つまんないと思い始めていたんですよ。
そんなとき、たまたま顔を出した飲み会で知人からこの業界のよさを熱弁されまして。最初は興味本位だったのがだんだんと面白そうに思えてきて、最終的に「人生観、変わるよ」の一言が胸に刺さっちゃった(笑)。
それで、その方の紹介で『神栖レッドダイヤ』に入社しました。
――東京を離れることに抵抗は?
まったくなかったです。むしろ、知らない土地だし面白そうだな、と。
昔から人と一緒に行動するよりも、1人でサクッと行動しちゃうタイプでして。集団行動、あんまり得意じゃないんです。野球は友達ばっかりだったから平気だったんですけどね(笑)。
だから知らない人がいっぱいいるとおとなしくなっちゃうので、入社してすぐは苦労しましたよ。特に接客とか。
――それまでに接客のご経験は?
一応、スーパーでアルバイトをしていたときに対面販売を。ただ、あれはお客様から言われたことをやるだけなんで、今の仕事とは全然違う。ここでは自分からいろいろと考えてお客様に接しなくてはいけないので、かなりハードルは高かった。
とはいえ、仕事だからやるしかないんで「いつかは慣れるものだ」と腹をくくって努力するのみ、でしたね。
僕がブラブラしているのを知った先輩が「ちょっと手伝ってくれない?」と、知り合いの内装業者さんを紹介してくれまして。最初は手伝いから始まって、やっているうちになんとなく面白くなってきたんですよね。壁紙を貼る仕事だったんですけど、最初は汚いボードだった壁が、自分の仕事ですごくキレイになる。その達成感というか、爽快感というか。
それで、そのまま5年ほど職人をやっていました。
――それがなぜ風俗業界に?
内装の仕事は好きだったんですが、職人としての自分の将来に不安があったり、この先ずっとこの仕事を続けていくのかな……と考えたときに、正直つまんないと思い始めていたんですよ。
そんなとき、たまたま顔を出した飲み会で知人からこの業界のよさを熱弁されまして。最初は興味本位だったのがだんだんと面白そうに思えてきて、最終的に「人生観、変わるよ」の一言が胸に刺さっちゃった(笑)。
それで、その方の紹介で『神栖レッドダイヤ』に入社しました。
――東京を離れることに抵抗は?
まったくなかったです。むしろ、知らない土地だし面白そうだな、と。
昔から人と一緒に行動するよりも、1人でサクッと行動しちゃうタイプでして。集団行動、あんまり得意じゃないんです。野球は友達ばっかりだったから平気だったんですけどね(笑)。
だから知らない人がいっぱいいるとおとなしくなっちゃうので、入社してすぐは苦労しましたよ。特に接客とか。
――それまでに接客のご経験は?
一応、スーパーでアルバイトをしていたときに対面販売を。ただ、あれはお客様から言われたことをやるだけなんで、今の仕事とは全然違う。ここでは自分からいろいろと考えてお客様に接しなくてはいけないので、かなりハードルは高かった。
とはいえ、仕事だからやるしかないんで「いつかは慣れるものだ」と腹をくくって努力するのみ、でしたね。
“認められたい、必要とされたい”。尊敬する先輩たちを目標に、自己研鑽を重ねる日々
――入社から3年。現在のお仕事は?
今は、シフトを組んだりする管理の仕事や、カメラを使った撮影などを中心に行っています。カメラは入社後1年くらいで、管理の仕事は徐々に、という感じでいつの間にかやり始めていましたね。いつかは自分でやらなきゃいけなくなる仕事だから、任せてもらえるものについては最初から積極的に取り組むようにしていましたし。
――職場の環境はいかがですか?
とにかく人間関係がすごくいい。同僚はもちろん、先輩も仕事に対する意識がすごく高いんですよね。後輩の面倒見もよくて、わからないことやできないことがあると、真剣に一緒に取り組んでくれる。僕なんか全然まだまだできないことが多いんで、尊敬するばかりです。
――目標は先輩たち?
ある先輩に以前「自分がいなきゃダメ、そう思われれば勝ち。必要とされる人になれ」と言われたことがあって、仕事をするうえでの指針になっています。
現状は……自分で納得できるような仕事はまだできていないかな。「あいつはできなくても仕方ない」みたいに思われるのはすごく嫌なので、もっといろいろなことができるようになりたい。認められたい。
そういう意識が強いのは、もしかしたら野球をやっていたからかもしれません。結果がすべての世界だったので。
――それが収入面にもつながっていく?
実際に、がんばった分だけきちんと評価してもらっている実感はありますね。入社してから今まで、以前感じていたような不安や「つまらない」という感情を抱いたことはありません。むしろ、結果が目に見える部分にすごく満足している。そういう意味で、たしかに人生観は変わったのかも。
――それでは最後にメッセージを。
この業界に抵抗のある人もいると思うし、僕もはじめは怖い人が働いているのかな、というイメージを持っていました。でも、実際は一般企業とほとんど変わらなくて、たまたまジャンルが“風俗”というだけ。一般企業に入ったことのない僕が言うのもなんですけど(笑)。
僕は、知人から言われた「人生観、変わるよ」の一言でこの会社に入り、新しい世界が拓けました。皆さんの人生観も、きっといい意味で変わると思いますよ。
今は、シフトを組んだりする管理の仕事や、カメラを使った撮影などを中心に行っています。カメラは入社後1年くらいで、管理の仕事は徐々に、という感じでいつの間にかやり始めていましたね。いつかは自分でやらなきゃいけなくなる仕事だから、任せてもらえるものについては最初から積極的に取り組むようにしていましたし。
――職場の環境はいかがですか?
とにかく人間関係がすごくいい。同僚はもちろん、先輩も仕事に対する意識がすごく高いんですよね。後輩の面倒見もよくて、わからないことやできないことがあると、真剣に一緒に取り組んでくれる。僕なんか全然まだまだできないことが多いんで、尊敬するばかりです。
――目標は先輩たち?
ある先輩に以前「自分がいなきゃダメ、そう思われれば勝ち。必要とされる人になれ」と言われたことがあって、仕事をするうえでの指針になっています。
現状は……自分で納得できるような仕事はまだできていないかな。「あいつはできなくても仕方ない」みたいに思われるのはすごく嫌なので、もっといろいろなことができるようになりたい。認められたい。
そういう意識が強いのは、もしかしたら野球をやっていたからかもしれません。結果がすべての世界だったので。
――それが収入面にもつながっていく?
実際に、がんばった分だけきちんと評価してもらっている実感はありますね。入社してから今まで、以前感じていたような不安や「つまらない」という感情を抱いたことはありません。むしろ、結果が目に見える部分にすごく満足している。そういう意味で、たしかに人生観は変わったのかも。
――それでは最後にメッセージを。
この業界に抵抗のある人もいると思うし、僕もはじめは怖い人が働いているのかな、というイメージを持っていました。でも、実際は一般企業とほとんど変わらなくて、たまたまジャンルが“風俗”というだけ。一般企業に入ったことのない僕が言うのもなんですけど(笑)。
僕は、知人から言われた「人生観、変わるよ」の一言でこの会社に入り、新しい世界が拓けました。皆さんの人生観も、きっといい意味で変わると思いますよ。
写真・記事:メンズバニラ編集部
店長・幹部候補
小川 敦司さん 28歳
年収420万円以上
勤続年数3年3ヶ月
東京都出身。小学校時代から野球に打ち込み、高校まで野球漬けの生活を送るも、大学進学後は一転、遊びが中心の生活に。もともと勉強嫌いだったこともあり、進級を断念して中退する。その後、知人の紹介で内装業に従事。5年間、職人として過ごす。
将来への行き詰まりを感じ始めた頃、知人の一言がきっかけで『神栖レッドダイヤ』に転職。尊敬できる先輩たちに囲まれながら、日々業務に打ち込んでいる。
小川 敦司さんがはたらく会社の求人募集情報
リアル給与明細
店長・幹部候補
職位
店長
年齢
28歳
勤続期間
2年
-
合計950,000円
-
基本給500,000円
-
役職手当100,000円
-
売上手当300,000円
-
交通費手当50,000円
店舗スタッフ
職位
店舗運営スタッフ
年齢
32歳
勤続期間
1年
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合計460,000円
-
基本給380,000円
-
能力手当50,000円
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交通費手当30,000円
送迎ドライバー
職位
アルバイトドライバー
年齢
35歳
勤続期間
6ヶ月
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合計390,000円
-
日給×勤務日数330,000円
-
ガソリン代60,000円
神栖レッドダイヤ
茨城(神栖市)
風俗ワーク(デリバリーヘルス)
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