PROFESSIONAL
INTERVIEW
Maria Belle Aroma~マリアベルアロマ
店長・幹部候補
渡邊さん 49歳

海の向こうでエリート社会を勝ち抜いてきた男。夜の世界の大きな夢に、第2の人生を賭ける

海の向こうでエリート社会を勝ち抜いてきた男。夜の世界の大きな夢に、第2の人生を賭ける

Maria Belle Aroma~マリアベルアロマ

店長・幹部候補
渡邊さん 49歳
年収
600万以上
勤続年数
3年11ヶ月

大阪府出身。17歳で単身海外に渡り、現地の大学へ。その後、公務員を20年以上勤め、外国人としては異例の出世を果たす。
43歳で退職したのち自身で事業を起こすも、『アインズグループ』の社長のカリスマ性に惚れ込み、会社を売却。店舗スタッフとして入社し、4カ月目に新店の立ち上げを任される。
ストイックさと行動力、男気を兼ね備えるが、周囲からの評価は「女子力が高い」。

高校を中退して単身、海外へ。ナマの英語を身につけて大学へ進学したものの、最大の課題は“学費の工面”

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――ご出身は?

大阪府です。でも、17歳で海外に渡って、そこから足掛け15年ほど向こうに。

――ご家族で移住を?

いえ、私1人。高校に上がったあたりから「英語圏の国に住みたい」と思うようになりましてね。当時はインターネットなんてありませんから、どうすれば外国に移住できるか、片っ端から本を読み漁って自分で考えたわけです。そして空いた時間は全部アルバイトにあて、渡航資金を一生懸命ためて。

――海外に興味を持ったきっかけは?

うーん……。強いて言うなら、そういう時代だったからかなと。いまの若い人にはピンと来ないかもしれませんが、当時の若者は欧米に憧れ、英語を話せれば「エリート」「カッコいい」という風潮があった。
もっとも私自身は、父が病気がちだった影響で、当初は海外よりも医学の道に興味を持っていて。ただ、うちは経済的に厳しかったし、自分の学力じゃ学費免除での進学も難しい。それなら別の方法で成功するしかないだろうと。
高校生の息子の突拍子もない夢に両親は猛反対しましたが、なんと、担任の先生が説得してくれたんです。「この子の将来にとって、絶対にいい経験になりますから」と。
それで2年のときに高校を中退。自分で稼いだ400万円近いお金を手に、外国に渡ったんです。

――すさまじい行動力。

あの頃はね、もう無我夢中で……(笑)。
まあ、当初はまだ英会話はカタコト程度だったけど、現地のレストランですぐに雇ってもらえたのはラッキーでした。それからは職場で毎日ナマの英語を聞いて話して、閉店後は自宅で座学の繰り返し。半年もすれば、生活には困らないレベルの英語力が身に付いていたんです。するとだんだん「これなら大学にも行けるんじゃないか」と欲が出て(笑)。
受験には母国の高卒資格が必要ということで、いったん帰国して高校卒業資格を取得。またすぐに海外に舞い戻り、現地の大学の法学部に入学しました。

――なぜ法学部に?

「一番合格しやすい」って聞いたもので(笑)。それに“国際関係法”を専攻すれば「ゆくゆくは日本と海外の架け橋になれるかも」なんて淡い期待も。将来的には弁護士や銀行員も目指せるとあって、希望にあふれ、学ぶこと自体がすごく幸せで楽しかったですね。
ただ、勉強をがんばればがんばるほど働ける時間は減るわけで、学費の支払いは苦しくなるばかり。当然、実家を頼るわけにもいかず、ついに3年で限界に……。

卒業と生活のために選んだ政府職員の道。“差別と出世争い”に勝ち抜くも、起業して己の脆さを思い知る

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――卒業が見えてきた頃なのに。

そうなんです。ただ、そこで思ってもみない展開が(笑)。

――というと?

実は、現地には在学中から政府の職員として働く制度があり、それを使えば給料をもらいながら卒業まで勉強もできるんです。苦学生にとってはありがたい話ですが、反面、卒業後はそのまま公務員になるしかなくなってしまう。とはいえ背に腹は変えられず、結局は政府の仕事を選んじゃったんですよね。

――現地の政府職員ならむしろエリートなのでは。

いやいや、とんでもない(笑)。そもそも想像以上に閉鎖的な職場でしてね……。当初は何をするにも外国人差別がひどく、毎日がキツかった。ただ、一度始めたからには「絶対に負けるか!」「見返してやる!」と必死で耐えて、上を目指しました。

――なぜそこまでの気概が?

これはね、おそらく劣等感の裏返し。もともとがいじめられっ子だったから、「強くなりたい」「自分を変えたい」って思いがずっとあってね。カッコいい男になりたくて、若い頃はラグビーや空手なんかで心身を鍛えたりもしたものです。
まあ、その負けん気のおかげか、ポジションが上がるたびに差別は減り、最終的には誰にも文句を言わせないところまで上り詰めました。30代半ばには日本に赴任することになったんですが、帰国して環境が変わってからも、人に寝首をかかれないか常にピリピリして、策略を巡らせ続けて。

――気が休まりませんね……。

本当に……。あの頃はもう長らく笑っていませんでしたからね。差別をはねのけ成功はしたけど、鏡に映るガチガチの強面を見るたび「これが本当になりたかった自分なのか?」と思うこともしばしば。
40代も中盤に差し掛かり、出世の限界まできていたこともあって、退職を決めました。

――その後は何を?

水商売のお店を相手に、店舗の改装やキャストの派遣を行う事業を始めたんです。長年、接待で高級クラブを利用してきて人脈があったおかげか、始めるなり順調で、法人化から2年もせずに10名ほどの会社に成長しました。

――公務員からの華麗な転身。

そう思われるでしょう?(笑) ところが、外面の好調ぶりとは裏腹に心の中は不安一色。いつも従業員の生活を考え、責任感に押しつぶされそうでした。
そのうえ複数の会社からM&Aの話が舞い込み、迷いは増えるばかり。どうすれば心穏やかに経営できるかを知りたくて、社長たちが集まるコミュニティに参加してみたんです。

運命の出会いが、考え方も人生も180度変えてくれた。カリスマ社長のもとで初めて“独立独歩の責任者”に

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――収穫はあった?

そこで『アインズグループ』の北村社長に出会ったんです。彼は海外のトップ経営者のようなビジョンがあり、バイタリティもすごい。話せば話すほどに惹き込まれ、最終的には「御社で僕を使ってみませんか?」と売り込んでしまって(笑)。
その日のうちに会社の売却を決め、一週間後には『アインズ』に入社しました。

――すごい急展開。

当時は45歳。「新しいことを始めるならラストチャンスだ」と思うと1秒でも惜しくてね。

――特別待遇での入社だった?

まさか(笑)。どんなキャリアがあろうと新人は新人。最初はグループ内の高級デリヘルに店舗スタッフとして配属され、サイト更新にタオル畳みにと、文字通りの下積み生活でした。
そりゃあ複雑な気持ちもなくはなかったけど、腐るより、いまできることを完璧以上にやるのが私のやり方。通常業務に加え備品の管理方法を分析して、補充漏れが起こらないシステムを作ったりもしていました。
そんなこんなで入社して4カ月目。社長から突然「新しい店を任せたい」と、グループ初の高級エステの立ち上げを託されまして。

――大抜擢じゃないですか。

ええ。実際は周囲の反対を押し切っての人事だったと聞き、「絶対にご恩に報いるんだ」と死にものぐるいで全業務にあたりました。ところが開店から1年経っても売上は低迷。本来なら閉店や降格もやむなしという状況なのに、社長は「気にせんと、もっと自由にやりや」と笑うんです。
よく考えると、自由にやるには「どんな店にしたいか」という明確なビジョンがまず必要。でも私はどこか公務員気質が抜けず、ただマジメにやるだけだった。責任者としての自我が足りないせいで、うまくいかなかったんじゃないかと。

――ようやく経営者の視点が。

はい。そこからは「私が思う“高級”」を考え抜くことに。他店を研究しつくし、お客様には何度もヒアリング。毎日時間を取ってキャストはもちろんスタッフにも、富裕層に通用する接客をイチから教育し直したんです。
すると徐々に売上が伸び始めリピーターも増えて、オープン1年半で初めて売上目標を達成。その後は右肩上がりでグループ内上位の店に成長を果たしました。
いずれはこの店を「富裕層の遊びの新しいスタンダード」にしたい。そのためには人員を増やしてさらに教育に力を入れ、エリートの世界を浸透させること。私自身も上を目指して変わり続け、常に最前線を走っていたいと思います。
写真・記事:メンズバニラ編集部

会社情報

ずっと働き続けたい!働くのが楽しくなった!従業員のニーズに応えた福利厚生が喜ばれています!
Maria Belle Aroma~マリアベルアロマ
職種 風俗ワーク/デリバリーヘルス
地域 大阪府難波
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