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INTERVIEW
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株式会社グランパス
店長・幹部候補
森本考弘さん 36歳

亡き恩人との絆が男を導く。抵抗感を情熱に変えてくれた、ボクと専務の友情物語

亡き恩人との絆が男を導く。抵抗感を情熱に変えてくれた、ボクと専務の友情物語

株式会社グランパス

店長・幹部候補
森本考弘さん 36歳
年収
600万以上
勤続年数
13年3ヶ月

北海道出身。学生時代につくった借金返済のため、22歳で『株式会社グランパス』に入社。持ち前の負けん気で幾多の困難を乗り越えながら、現在は統括部長として手腕を振るう。
日々真面目に業務にあたるが、借金返済中の貧乏生活ではもやしを食べすぎて心が荒む。最後の良心と戦いながらも唯一盗みを働いてしまったものは“上司が食べようとしていたカレーライス”。

第一印象はお調子者。耐え忍ぶ日々、“水商売のいろは”を教えてくれた専務との出会い

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――現在の会社で働くまでの経緯は?

進学のために18歳で地元を出て札幌に来ました。昼にアルバイトをしながら大学の夜間学部に通って、夜は大好きなすすきので遊んでいて。でも、寝ないで遊ぶ毎日を過ごしていたら留年が確定して、奨学金が打ち切られたんです。学費が払えなくなって、やむなく中退。それでも懲りずに遊び続けていたら、いつしか300万円の借金だけが残りました。ガス、水道、電気が止まって家賃も3カ月滞納して、退去命令が出たときは「もうホームレスになるんだな。死のうかな」と思いましたよ、本当に。
お金がなくて3日間何も食べていないとかもザラにあったので、とりあえず引っ越しなどの日雇いバイトをやりました。でも毎日必ず仕事があるわけじゃない。安定した収入を求めて就職活動をしたものの軒並み落ちて、なんやかんや『株式会社グランパス』に行き着いたのが入社のきっかけですね。

──夜の世界に抵抗はあった?

夜職にはすごく抵抗があったので、当面の借金を返すための3カ月だけで辞めようと思っていたんです。つらいことがあっても「すぐ辞めるからいいや」って我慢していました。それでも、30歳で一度退職するまで8年近くいましたね。

――長期に渡って在職することになった要因は?

僕が入社してから1、2カ月後に入ってきた“専務”との出会いですね。彼はいろいろな店舗で店長をやってきた、自他ともに認める“口で生きてきた人”でした。だから最初は「調子がよさそうな人だなあ」とあまりいい印象ではなくて。
でも専務はマネージャー、店長、部長とどんどん昇格して、店も会社も“人を大事にする社風”へと変えてくれたんです。それに、僕は水商売の“いろは”をすべて専務から教わったので、お調子者からカリスマみたいな存在に変わったのはすぐのことでした。

──借金は返済できた?

はい。3カ月働いて当面の借金も返し終えたんですが、ちょうどその頃は従業員がすごく足りない時期だったんです。僕は専務に恩義があったので「もうちょっと我慢して人が揃ったら辞めよう」と思っていました。
ただ、そこから半年経って僕は副主任、主任、マネージャーとトントン拍子に役職が付いて、店をほぼ任される立場になったんですよ。このときには、僕がいるからという理由で働き続けてくれている女の子もいたので「この子たちを裏切りたくない。これは辞められない」と感じて退職を踏みとどまりましたね。

自店舗への愛ゆえの対立。すれ違う中で気付いたボクと専務の“深い友情”

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――仕事は順調だった?

僕が26歳のとき、新店『ベティ』にマネージャーとして配属されました。結果を出して店長にもなったので「負けられねえ」っていうプライドはありましたね。でも、実はこの期間、専務と僕の仲がめちゃくちゃ悪くなるんですよ。

――恩義を感じていた人だったのに?

『ベティ』はオープン当初の売上が悪くて、専務の店のスタッフたちにすごくバカにされたんです。それで専務との関係もギスギスしちゃって。おまけに、会社的にも当時は売上の少ない『ベティ』の位置付けは低かったようで、あまり扱いもよくなかったんです。そういう部分が原因のトラブルも多くて「どういうことだ」と会社に乗り込んだりもしましたよ。

――そのあいだ専務と連絡は取っていた?

専務の店はもともと僕が実務面のほとんどを管理していたので、僕が異動したことで数字が落ちていったんです。だから専務からは「どうしたらいい?」という相談の連絡はよくいただいていましたね。でも僕もそれに対して「僕がいなくても大丈夫だって言ってましたよね?」って返していて。
それでも今思えば、“会社に乗り込んだ僕”も“売上をつくるために必死だった専務”も「店をよくしたい、守りたい」という思いは一緒だったんですよね。それに、いくら店の相談とはいえど、こまめに連絡をくれていたのは、きっと僕のことを気にかけてずっと愛し続けてくれていたからなんだと思います。だからこそ、30歳でここを退職するときはすごくつらかったですね。

──なぜ退職を?

実は僕、家柄がすごく堅くて、両親から「水商売は30歳で辞めてほしい」って言われていたんです。決して店長という役職を悪く言うわけじゃないんですが、三十路にさしかかった時点で店長止まりだったので「これじゃすごいだろって言えないな」って。だから両親の意向を尊重して退職しました。

──退職してからは何をしていた?

携帯会社や水道業者で2年ほど働きました。最初は専務からの連絡も月1回くらいのペースだったんですけど、しばらく経った頃に「戻ってきてほしい」って連絡を3カ月間毎日するという……すごいアプローチをかけてきたんですよ(笑)。僕も戻らないつもりで「コレが嫌。アレも嫌。だから戻りません」ってかなり無理難題を言ったんですが、専務がそれをすべて解消してくれたこともあって「戻らざるを得ないかな」と折れた感じですね。

苦楽を共にした恩人の早世。事業拡大の先に見据えるのは“あのとき果たせなかった2人の夢”

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──復帰について、ご両親は反対しなかった?

もちろん最初は反対していました。でも、口達者なはずの専務がそれはもう誠心誠意「水商売がお嫌いなのはわかっていますが、考弘さんはうちの会社に必要な人間なんです」って実家の両親にわざわざ頭を下げにきてくれて。最終的には両親も折れた感じでしたね。

――約2年のブランクを経ての復帰はどう感じた?

復帰先となった専務の店『クラウディア』は、すべてにおいて仲良しという部活の延長線上みたいな仕事の進め方でした。ただ、それだけでは売上が上がらないので、商売という気持ちを持たせてあげようといろいろテコ入れしましたよ。

――水商売のイロハを教えてくれた専務を超えた?

いえ、それは専務のほうがすごいと思います。専務は人に指示を出すのが上手なんですが、その指示通りに動ける人間が下にいるかどうかで、売上が大きく変わってくるんです。そのときの『クラウディア』には専務の指示を形にできる人間がいなかったというだけですね。
順調に利益も出始めて、僕も統括次長になって、割とうまくいっていたんですよ。でも、そんなときに専務が突然病気で亡くなって……。本当にショックでした。でも、それと同時に「専務にあれだけ頭を下げてもらったんだから、もう実家に戻るわけにはいかない。仕事をがんばらないと」っていう気持ちは強くなりましたね。

──最初は抵抗しかなかった水商売。今はどういう気持ちで働いている?

仕事が趣味ですね。今は統括部長として『クラウディア』『ベティ』の両店舗を見ていますが、自分のやったことが売上という結果に直結することがすごく楽しいです。
あと、僕は現場が好きなので、たまに店で掃除なんかもしています。うちのスタッフはみんな勤続年数が長いから、ずっと同じ仕事をしているとどこかで緩んでくるんですよね。だから僕が“お客様からどう見られているか”とか“お客様に満足してもらうにはどうすべきか”っていうところまで考えて掃除や備品の配置をする姿を見せて、刺激を与える意味もあります。そうすることで「そこまでやるんだ。見てるんだ」って思わせて、よりよい店にしていきたいです。

──今後の目標は?

仕事が趣味とはいえ、40歳以降は働きたくないんですよ(笑)。そのためには店舗数を増やして、各店舗からちょっとずつお小遣いをもらって生活できるようにならないと。そしていつかは専務との夢だった世界旅行をしたいですね。
写真・記事:メンズバニラ編集部

会社情報

異業種からの転職、全くの未経験者も大歓迎!!
株式会社グランパス
職種 ナイトワーク/店舗型
地域 北海道・札幌・すすきの

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