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INTERVIEW
秘密倶楽部 凛 船橋本店
店長・幹部候補
木戸 史生さん 49歳

生き字引にしてパイオニア。業界歴30年の大ベテランが語る、夜の世界の平成史

生き字引にしてパイオニア。業界歴30年の大ベテランが語る、夜の世界の平成史

秘密倶楽部 凛 船橋本店

店長・幹部候補
木戸 史生さん 49歳
年収
500万以上
勤続年数
6年0ヶ月

北海道出身。ナイトレジャー業界に身を投じて30年の大ベテラン。型にはまることを嫌い、常に挑戦を続ける開拓精神の持ち主。
一度は現場を退きコンサルタント業に転じるも、“嫁の悪癖”が原因で、再び店舗スタッフの道へ。その後、43歳で『秘密倶楽部 凛 船橋本店』に入社。
実家はクリーニング屋。高校卒業後にすぐ上京するつもりだったが、「育ててもらった恩を返すため」を理由に、1年間家業を手伝った。

平成の幕開けとともに始まった“業界歴30年”のキャリア。古い習慣に逆らい、新しい試みに挑戦する

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――ナイトレジャー業界に長く携わっているとお聞きしました。

もう30年になるかな。初めて勤めた夜の店は、川崎の南町で一番の高級店。ちょうど元号が昭和から平成に変わる頃でした。以来、ナイトレジャー業界ひと筋です。

――デビュー当時のことを。

バブル景気のど真ん中でしたからね。入ってすぐに稼げましたよ。しょっちゅう“大入袋”が出るほど繁盛してたし、お客様はスタッフにも気前よくチップをはずんでくれる富裕層ばかり。基本給は18万円でしたが、そういうボーナス的な要素が加わって、月に70万円くらいの収入はあったんじゃないかと。

――今じゃ考えられないですね。

若葉マークを貼った高級車を何度見たことか(笑)。入社1年目の会社員がポルシェを買えるくらい景気がよかったんです。
そういえば僕、お客様からお下がりの車をもらったことがありますよ。「新車を買ったからあげる」って。しかも購入の理由は「タイヤが擦り減ったから」。買い替えるべきは車じゃなくてタイヤですよね(笑)。まあそういう時代でした。

――高級店に勤めていた期間は?

1年ちょっと。そのあとは同じ川崎の堀之内にある激安店へ移りました。ある程度お金が貯まって生活にも余裕ができたから、「次は一番安いところで働いてみよう」と。いわば興味本位ですね。客単価は10分の1、チップも期待できない客層とくれば、稼ぎが減ることは明らか。みんなに「何を考えてんだ」って言われましたよ(笑)。
実際、収入は以前の半分以下に。だけど新しい試みに挑戦させてくれたので仕事は面白かった。今はどの店でも、受付で写真を見て女の子を選べるじゃないですか。あれを堀之内で最初に始めたのがこの激安店。僕が社長に「やりましょう」と進言したんです。

――いわゆる写真指名?

そう。まだ同業種はどこも取り入れてなかった。だから「顔写真を見て選べる」ってだけで評判になりまして。インスタントカメラで撮った粗末な写真でしたが、それだけでも1日20人だった来客数が80人に増えたんですよ。
あと今でこそ当たり前になった、スタッフが車で女の子を自宅まで送り届ける体制。帰宅中の引き抜き対策やトラブル回避にも有効なんだから、やらない手はないって。
当時の堀之内には「女の子に関わっていいのは店長だけ」みたいな暗黙のルールがあったんです。でも僕はそういった習慣をどんどんぶっ壊していきました(笑)。

吉原で迎えた“時代の転換期”。自身の提案をきっかけに、未知のジャンルだった派遣型店舗を立ち上げる

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――まさに先駆者。

女性求人といえばスポーツ新聞か雑誌か引き抜きか、という時代に、川崎の駅前でスカウトをやったこともありますよ。とはいえ夜の仕事はキャバクラでさえ嫌われていた頃だし、話を聞いてもらうだけでも至難の業。なんとかきっかけだけでもつくろうと、あらゆるパターンを試しました。「ハンカチ落としましたよ」とか「占いに興味あります?」とか、目の前のラーメン屋を指して「1人じゃ入りにくいから一緒に行ってもらえません?」とか(笑)。ちなみに1週間で1,000人くらいに声を掛けて、まともに取り合ってくれた女の子は7人。そして誰も入店には至らず……。いい勉強になりましたね(笑)。

――その後は?

28歳まで川崎にいて、そのあとは吉原の大衆店へ。「日本一といわれている吉原はどんな世界なのか」っていう、これもまた興味本位で。

――日本一の環境に挑戦。苦労したことは?

風土の違いは感じましたが、仕事で苦労したことありません。ただ、めちゃめちゃ忙しかった。誰でも携帯電話を持つようになったので、通常業務の中にお客様への営業が加わったんです。常連さんに「新しい子が入りましたけど、今日お時間あったらいかがですか?」みたいな電話を掛けて、暇さえあればメールを送って……。顧客の管理方法がガラリと変わりましたね。
結局、吉原では5年くらい働いてたんですが、実はその期間中に派遣型の店を立ち上げることに。

――どういう経緯で?

僕が30歳のときに無店舗型の営業が認可されるようになったんです。そこで勤め先のオーナーに「ぜひやりましょう!」って持ちかけたら、「じゃあお前が責任者をやってくれ」と。しかも「半年で結果を出せ」と(笑)。
運営メンバーは僕を含めて6人。キャストは昔のツテをたどって集め、宣伝はスポーツ新聞やナイトレジャー系の雑誌に広告を打つ。あとはほとんど手探り状態。毎日寝不足でがんばってましたよ。

――結果は出た?

出しました。まあ競争相手が少なかったとか、物珍しかったとか、いろいろな要素が絡み合ってのことでしょう。
その後、運営も軌道に乗ったところで、いったん自分の中でケリがついたというか。結婚も決まり、マンションを買えるくらいお金も貯まったので現場から退いたんです。32歳でしたね。それからは友人が経営していた夜の店のコンサルタントとして、ナイトレジャー業界に携わってきました。

5年前の経験は邪魔でしかない。過去の実績に驕らない大ベテランは、夜の世界に“新たな夢”を見る

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――現場に戻ってきた理由は?

奥さんに貯金を使われちゃったんで、離婚してカムバックしました(笑)。

――(笑)。詳しくお聞かせください。

彼女は借金癖があったんですよ。500万円、200万円、700万円……という感じで、定期的に発覚する。クローゼットを開けたらクレジットカードの束が出てきたこともありました(笑)。そして返済と浪費を繰り返し、結婚4年目に別れるまでの間、4,000万円あった貯金のあらかたが消えるという……(笑)。
で、お金もなくなったし、またレギュラーで働こうと考えていたところ、松戸の人妻店で働いていた知人から誘われまして。そんな理由で戻ってきた次第です。

――『秘密倶楽部 凛 船橋本店』に入社した時期は?

6年前ですね。これまでの経験を買われて「うちの店をお願いできないか」と。それで人妻店を辞めました。でも、僕は“5年前の経験は邪魔でしかない”が持論なんですよ。世の中の移り変わりに合わせて自分も進化しないと、早晩「そのやり方はもう通用しないよ」というケースにぶち当たる。例えばガラケーのスペシャリストなんてもう必要ないでしょ?
だからどこの店でも最初は一兵卒として扱ってもらったし、仕事ぶりを見て判断してくださいと伝えてきた。今、『秘密倶楽部 凛 船橋本店』で人材管理を担う立場になったのも、入社してからの僕を評価されてのことだと思っています。

――求める人材像は?

野心がある人かな。集客用の企画にしろ、店舗運営の方法にしろ、どんどん新しいことにチャレンジして、みんなが驚くようなアイディアを提案してもらいたい。僕もそうやって生きてきた。うちは自由な発想を歓迎する環境なので、個々の感性を存分に発揮していただけるかと。いいところは素直に認める会社ですから。
悪いところがあったら「こんにゃろー!」って叱られるかもしれないけど(笑)。

――今後の目標は?

そうですね……。目標というより夢に近いのかもしれませんが、歓楽街をもっと盛り上げたい気持ちはあります。かといって1店舗だけがんばっても何も変わらない。1つひとつの店が協力し合わないといけないでしょう。「自分の店がよければそれでいい」という考え方では、業界の発展なんて見込めませんよ。そこはやっぱりね、みんなで同じ方向を目指して、また新しい時代をつくりたいじゃないですか。
写真・記事:メンズバニラ編集部

会社情報

「信頼」と「喜び」を得られるエンターテイメントの仕組みを作る!
秘密倶楽部 凛 船橋本店
職種 ナイトワーク/無店舗型
地域 千葉県・船橋
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