人に恵まれたからこそ乗り越え続けられた。惚れっぽい男が出会った、成長を実感できるいい職場

PROFESSIONAL
INTERVIEW
熟女10000円DELIHEAL
店舗スタッフ
吉村 哲也さん 49歳
人に恵まれたからこそ乗り越え続けられた。惚れっぽい男が出会った、成長を実感できるいい職場

熟女10000円DELIHEAL
店舗スタッフ
吉村 哲也さん 49歳
- 年収
- 500万以上
- 勤続年数
- 1年0ヶ月
横浜中華街の近くで育った、生粋のハマっ子。第二次ベビーブームに生を受け、バブル崩壊の影響もあり、高校卒業後は22歳までさまざま職を転々とする。30歳を機にバーテンダーを志し、飲食業の道へ。一時は独立を果たすも、数年後に廃業して風俗業界に転じる。現在は『熟女10000円DELIHEAL』にて主任職を務めている。
チャームポイントは、三編みにした襟足。女性キャストたちからも「かわいい」と好評。
30歳で志した“なんかカッコいい”仕事。人に恵まれた先に、入門への道が拓かれた

――以前はバーテンダーだったとお聞きしました。
この業界に入る前、5年くらい前の話ですね。
――バーテンダーを志したきっかけは?
30歳のときに8年間働いた交通誘導の警備の仕事を辞めて、何か新しい分野に挑戦してみようと、バーテンダーを目指すことにしました。
行きつけのバーのマスターがすごくカッコよかったんですよね。そこらへんを歩いてるだけならただのクソオヤジなのに、店のカウンターに入った途端、キリッとした雰囲気に変わる。形のない液体を混ぜ合わせて、いろいろな飲み物をつくるっていうのが、魔法みたいに感じられて。
子どもが警察官やプロ野球選手、パイロットとかに「なんかカッコいい!」って感情を持つようなものと近い、単純な憧れがきっかけです(笑)。
――バーにはすぐ就職できた?
それがなかなか難しくて。当時は携帯電話も普及してない時代なので、とにかく情報がない。どうしたらバーテンダーになれるのかわからないままいろいろ応募してみたものの、30歳で未経験となると、半年経っても決まらない。
最終的に、とあるパブのママさんが「真面目そうだし、きちんと1つの会社で働いてきたこともあるみたいだから」と採用してくださったんです。そこから少しずつ、バーテンダーの世界へ近づいていきました。
――当時はまだバーテンダーではなかった?
カウンターの中でお客様のお酒をつくることはありましたけど、焼酎とかウイスキーの水割り程度。キッチンのチーフがカクテルの知識を持っていたので、その人に教わって少しずつ基礎を身に付けていきました。
そうすると常連のお客様が「せっかく勉強してるんならカクテル作ってよ」なんて言ってくれるわけです。バーテンダーのまねごとをしながら、毎日酔っ払って帰って、みたいな(笑)。
店の隅っこにあるカウンターの中は、僕の小さなお城でした。
――バーテンダーとしての正式なスタートはいつから?
パブのカウンターのあんちゃんを4年もやっていると、いろんな知り合いが増えるんですよ。オススメのバーへ連れてってくれるお客様もいましたし。
そんなある日、ちょうど人手不足で困ってるというバーのマスターと出会って、弟子入りみたいな感じで雇ってもらえることに。
マスターには「バーテンダーって名乗っていいよ」って最初から言われてたけど、胸を張って「バーテンダーです」って言えるようになったのは、弟子入りして1年経ってからじゃないですかね。
この業界に入る前、5年くらい前の話ですね。
――バーテンダーを志したきっかけは?
30歳のときに8年間働いた交通誘導の警備の仕事を辞めて、何か新しい分野に挑戦してみようと、バーテンダーを目指すことにしました。
行きつけのバーのマスターがすごくカッコよかったんですよね。そこらへんを歩いてるだけならただのクソオヤジなのに、店のカウンターに入った途端、キリッとした雰囲気に変わる。形のない液体を混ぜ合わせて、いろいろな飲み物をつくるっていうのが、魔法みたいに感じられて。
子どもが警察官やプロ野球選手、パイロットとかに「なんかカッコいい!」って感情を持つようなものと近い、単純な憧れがきっかけです(笑)。
――バーにはすぐ就職できた?
それがなかなか難しくて。当時は携帯電話も普及してない時代なので、とにかく情報がない。どうしたらバーテンダーになれるのかわからないままいろいろ応募してみたものの、30歳で未経験となると、半年経っても決まらない。
最終的に、とあるパブのママさんが「真面目そうだし、きちんと1つの会社で働いてきたこともあるみたいだから」と採用してくださったんです。そこから少しずつ、バーテンダーの世界へ近づいていきました。
――当時はまだバーテンダーではなかった?
カウンターの中でお客様のお酒をつくることはありましたけど、焼酎とかウイスキーの水割り程度。キッチンのチーフがカクテルの知識を持っていたので、その人に教わって少しずつ基礎を身に付けていきました。
そうすると常連のお客様が「せっかく勉強してるんならカクテル作ってよ」なんて言ってくれるわけです。バーテンダーのまねごとをしながら、毎日酔っ払って帰って、みたいな(笑)。
店の隅っこにあるカウンターの中は、僕の小さなお城でした。
――バーテンダーとしての正式なスタートはいつから?
パブのカウンターのあんちゃんを4年もやっていると、いろんな知り合いが増えるんですよ。オススメのバーへ連れてってくれるお客様もいましたし。
そんなある日、ちょうど人手不足で困ってるというバーのマスターと出会って、弟子入りみたいな感じで雇ってもらえることに。
マスターには「バーテンダーって名乗っていいよ」って最初から言われてたけど、胸を張って「バーテンダーです」って言えるようになったのは、弟子入りして1年経ってからじゃないですかね。
苦節10年、遂に手にした自分の店。しかし不運が続き“近くて遠かった世界”へ歩を進める

――その後は?
しばらくはいろんなバーを渡り歩いて、知識や技術を吸収させてもらっていました。バーテンダーは職人の世界なので、修行の日々でしたよ。
そして40歳のとき、自分の店を持つことになったんです。
――苦節10年。
これも人に恵まれたところなんですけど、伊勢佐木町の居抜き物件を人づてに紹介してもらったんです。備品や家具は全部自由に使ってくれて構わない。使いたいものがあれば入れ替えればいいし、店の造りも変えちゃっていい。開業資金がほぼゼロという好条件。
バーとしては大きめの物件で、ランニングコストの面に不安はあったけど、うまくやりくりすればギリギリなんとかなるかなって。まあちょっとした勢いですよね。このチャンスを逃したら、次に店を持てるなんていつになるかわからなかったですし(笑)。
――軌道に乗るまでは早かった?
そんなに時間はかからず軌道に乗ってくれました。昔から付き合いのある人とか、その人たちの紹介の新規の人も定着してくれたので。土曜日の夜の営業なんて、翌日のお昼くらいまでお店を開けてました。一緒になってダーツをやったり……楽しかったですね。
人の縁を大事にしてきた結果が、そこに集まってきたのかなと思います。
――かなり順調そうですが、その後のお店は?
4年くらいで店は閉めたんですよ。
実は共同出資者が1人いまして。その彼の本業の経営が悪化して、資金を引き上げることになってしまって。
最初はマイナスが出ても毎月の売上でなんとかカバーしていけそうだったんですけど、運悪く家賃の値上げとかいろんなことが重なって、これはもう厳しいぞと。
――持ち直すまで耐えるという選択肢は?
家族もいるんでね(笑)。無駄に粘って、そのダメージが家庭にも影響するくらいなら、閉店するためのマイナスだけで済ませたほうがいい。
で、そのときにできた借金を返すために、この業界へ入ったんです。
――風俗業界になじみはあった?
僕は風俗遊びをしたことがなくてですね(笑)。地元がこのあたりだから、ヘルス街へ変化していく曙町を見て「こういう世界があるんだ」って思ってたくらい。
ただ、場所柄、バーのお客様にその手の仕事をしてる女の子がふらーっと入ってくることは多くて。
「お店たたむよ」って話をしたときに、彼女たちから「日払いだし、ドライバーでもやったら?」ってアドバイスをもらったことも、この業界に飛び込む1つのきっかけでした。
しばらくはいろんなバーを渡り歩いて、知識や技術を吸収させてもらっていました。バーテンダーは職人の世界なので、修行の日々でしたよ。
そして40歳のとき、自分の店を持つことになったんです。
――苦節10年。
これも人に恵まれたところなんですけど、伊勢佐木町の居抜き物件を人づてに紹介してもらったんです。備品や家具は全部自由に使ってくれて構わない。使いたいものがあれば入れ替えればいいし、店の造りも変えちゃっていい。開業資金がほぼゼロという好条件。
バーとしては大きめの物件で、ランニングコストの面に不安はあったけど、うまくやりくりすればギリギリなんとかなるかなって。まあちょっとした勢いですよね。このチャンスを逃したら、次に店を持てるなんていつになるかわからなかったですし(笑)。
――軌道に乗るまでは早かった?
そんなに時間はかからず軌道に乗ってくれました。昔から付き合いのある人とか、その人たちの紹介の新規の人も定着してくれたので。土曜日の夜の営業なんて、翌日のお昼くらいまでお店を開けてました。一緒になってダーツをやったり……楽しかったですね。
人の縁を大事にしてきた結果が、そこに集まってきたのかなと思います。
――かなり順調そうですが、その後のお店は?
4年くらいで店は閉めたんですよ。
実は共同出資者が1人いまして。その彼の本業の経営が悪化して、資金を引き上げることになってしまって。
最初はマイナスが出ても毎月の売上でなんとかカバーしていけそうだったんですけど、運悪く家賃の値上げとかいろんなことが重なって、これはもう厳しいぞと。
――持ち直すまで耐えるという選択肢は?
家族もいるんでね(笑)。無駄に粘って、そのダメージが家庭にも影響するくらいなら、閉店するためのマイナスだけで済ませたほうがいい。
で、そのときにできた借金を返すために、この業界へ入ったんです。
――風俗業界になじみはあった?
僕は風俗遊びをしたことがなくてですね(笑)。地元がこのあたりだから、ヘルス街へ変化していく曙町を見て「こういう世界があるんだ」って思ってたくらい。
ただ、場所柄、バーのお客様にその手の仕事をしてる女の子がふらーっと入ってくることは多くて。
「お店たたむよ」って話をしたときに、彼女たちから「日払いだし、ドライバーでもやったら?」ってアドバイスをもらったことも、この業界に飛び込む1つのきっかけでした。
惚れっぽい男が出会った、いい上司、いい同僚。成長を実感できる“いい職場”

――風俗業界へ飛び込んでからのことを。
最初は『熟女10000円DELIHEAL』とは別のデリヘルで、ドライバーを。女の子との関わり方を評価されたのか、ドライバーが足りてるときは内勤の補助でデスクワークもやらせてもらってましたね。
で、いくつかの店を移りながら、4年くらいかけて借金も完済。そして前職を退職して「これからどうしようかな」ってときがちょうど2020年の3月頃だったんです。
――緊急事態宣言の直前。
仕事も見つかりづらい中、元同僚に紹介してもらって、なんとか『熟女10000円DELIHEAL』の採用が決定。だけど、直後に緊急事態宣言が……。採用の話は、一旦見送りになってしまいました。
でも「先行きが見えたら真っ先に声を掛けるから。その間に仕事が決まるようだったらそれでも構わない。ただ、こっちからは声を掛けるんで」とお言葉をいただいて。その2週間後、「アルバイトのドライバーとして週3、 4日くらいからどうだろうか」って電話がかかってきたんです。借金は完済していたとはいえ、日々の生活費を少しでも稼がなきゃならなかったので、まさに渡りに船でした。
――ここでもまた人に恵まれたというか。
そうですね。2カ月後にはドライバーから、内勤スタッフに異動しました。ここに入って初めてやること、触るものが多かったので、ゼロから始めたような状態でしたね。
――どのように適応を?
実際に僕自身が今「スキルアップできた」って実感が得られてるってことは、やっぱり教えてくれるいい上司、いい同僚に恵まれている。習得するまで付き合ってくれる人がいるってことなんだと思います。
――具体的にどこが「いい人」と言える?
ダメなところはダメ、いいところはいいと言ってくれるところでしょうか。大事なことだけど、人との衝突を恐れると、徹底しきれないじゃないですか。そこをきちんと、真正面からぶつかってきてくれる人たちです。
あとは、何かを指摘するときに「こういうふうにするべきだったんじゃないか」って言い方をせずに、目的を提示したうえで、アプローチの仕方を考えさせてくれるというか。
そういう意味で、すごく成長できる環境なんじゃないかな。だからこそ安心して応募してもらいたいです。
――いい職場に出会いましたね。
まあ、僕は若干人に惚れっぽいところがあるので(笑)。とはいえ、いつかまたバーの経営にも挑戦したいとは思っていますよ!
最初は『熟女10000円DELIHEAL』とは別のデリヘルで、ドライバーを。女の子との関わり方を評価されたのか、ドライバーが足りてるときは内勤の補助でデスクワークもやらせてもらってましたね。
で、いくつかの店を移りながら、4年くらいかけて借金も完済。そして前職を退職して「これからどうしようかな」ってときがちょうど2020年の3月頃だったんです。
――緊急事態宣言の直前。
仕事も見つかりづらい中、元同僚に紹介してもらって、なんとか『熟女10000円DELIHEAL』の採用が決定。だけど、直後に緊急事態宣言が……。採用の話は、一旦見送りになってしまいました。
でも「先行きが見えたら真っ先に声を掛けるから。その間に仕事が決まるようだったらそれでも構わない。ただ、こっちからは声を掛けるんで」とお言葉をいただいて。その2週間後、「アルバイトのドライバーとして週3、 4日くらいからどうだろうか」って電話がかかってきたんです。借金は完済していたとはいえ、日々の生活費を少しでも稼がなきゃならなかったので、まさに渡りに船でした。
――ここでもまた人に恵まれたというか。
そうですね。2カ月後にはドライバーから、内勤スタッフに異動しました。ここに入って初めてやること、触るものが多かったので、ゼロから始めたような状態でしたね。
――どのように適応を?
実際に僕自身が今「スキルアップできた」って実感が得られてるってことは、やっぱり教えてくれるいい上司、いい同僚に恵まれている。習得するまで付き合ってくれる人がいるってことなんだと思います。
――具体的にどこが「いい人」と言える?
ダメなところはダメ、いいところはいいと言ってくれるところでしょうか。大事なことだけど、人との衝突を恐れると、徹底しきれないじゃないですか。そこをきちんと、真正面からぶつかってきてくれる人たちです。
あとは、何かを指摘するときに「こういうふうにするべきだったんじゃないか」って言い方をせずに、目的を提示したうえで、アプローチの仕方を考えさせてくれるというか。
そういう意味で、すごく成長できる環境なんじゃないかな。だからこそ安心して応募してもらいたいです。
――いい職場に出会いましたね。
まあ、僕は若干人に惚れっぽいところがあるので(笑)。とはいえ、いつかまたバーの経営にも挑戦したいとは思っていますよ!
写真・記事:メンズバニラ編集部
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