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INTERVIEW
札幌ハレ系
店舗スタッフ
小澤昭二さん 38歳

父の教えで折れない心を鍛えた元高校球児。将来の安定を目指し、ひたすらまっすぐ我が道をゆく

父の教えで折れない心を鍛えた元高校球児。将来の安定を目指し、ひたすらまっすぐ我が道をゆく

札幌ハレ系

店舗スタッフ
小澤昭二さん 38歳
年収
400万以上
勤続年数
2年10ヶ月

北海道札幌市出身。高校時代は野球部で甲子園を目指した球児。卒業後は米穀販売会社の精米工場で16年間働いたが、業界の先行きに不安を抱き、転職を決意する。
高収入と大手ならではの安定性に惹かれて、35歳のときに『ハレ系』に入社。現在は主任を務め、『ナース・女医治療院』で幅広い業務に携わっている。
趣味は自転車。いずれ本格的なロードバイクを購入し、札幌から函館まで200キロ以上を走破する計画とのこと。

無口な少年を変えた野球との出会い。幼少期の葛藤を乗り越えた“孝行息子”は、安定を求めて未知の業界へ

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――以前は稚内で働いていたとお聞きしました。

はい。稚内の米穀販売会社に16年間勤めていました。ただ、決して景気のいい業界というわけではなかったので、いずれ先細りになっていくのではないかとだんだん不安になり……。
そんなときに転職サイトで風俗店の求人を見て、「こんなに高額な給料をもらえるなんて、一体どんな仕事なんだろう?」と興味が湧いたんです。風俗好きの友人から「『ハレ系』は大手だし、待遇もいいんじゃないか」と聞いたので、すぐに応募を。
実際、初任給の時点ですでに前職の収入を上回っていたし、主任に昇格した今は、以前よりも安定した暮らしができているのかなと。実家は札幌にあるんですが、社会人になってからずっと両親に仕送りをしていて、最近では毎月10万円くらい送ることができていますね。

――親孝行ですね。

親は元気なうちに大切にしておくもの。いなくなってからでは何もしてあげられませんからね。でも、今でこそ親子仲はいいほうですが、子どもの頃は両親に対してちょっと屈折した感情を持っていたんですよ。
僕は次男坊なので、服でもなんでも、いつも兄貴のお下がりばかり。新しい物を買ってもらえることなんてほとんどなかった。だから「どうせ自分は親に嫌われているんだ」なんて殻に閉じこもっちゃって。小学校低学年くらいまでは、家でも学校でも、ほとんど誰とも口をきかないような子どもだったなあ。

――お話を聴いている限り、そんな印象はありませんが。

今は「うるさいからちょっと黙っていろ」って言われるほどのおしゃべりですからね(笑)。小学校4年生のときに少年野球チームに入ってからはどんどん友達も増えて、いつの間にか明るい性格に変わっていました。

――野球のおかげ?

父が野球好きで、兄貴を少年野球チームに入れて熱心に教えたりしていたんです。それがうらやましくて、「だったら俺もやってみようかな」って。
最初こそそんなノリでしたが、僕は中学生くらいまでかなり体格に恵まれていたので、キャッチャーとしてそこそこ活躍できるようになりました。高校進学のときには、甲子園常連の強豪校から誘われたりもしたんですよ。まあ、同学年の同じポジションでメチャメチャうまい奴が入るとうわさに聞いて、「勝ち目はないな」とあきらめましたけど(笑)。
幸いにも稚内の高校が声を掛けてくれたので、「じゃあお世話になります」と。3年間、実家を遠く離れて寮生活でした。

苦しいとき心に響いた“父の教え”。腰の痛みと戦いながらの重労働も、16年間投げ出さず続けた不屈の精神

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――高校野球でも活躍を?

それが、誘われて行ってはみたものの、なかなかレギュラーを奪うことができなくて。「実力では絶対に負けていないのに、なんで俺が試合に出られないんだ」と腐ってしまった時期もありました。でもそのとき父に言われたんです。「お前は今、試されているんだ。ここで投げ出して逃げるか、『なにくそ』と踏ん張るか、それですべて決まるんだぞ」ってね。
それからはとにかく監督とコミュニケーションを取って、チームを勝たせるための方針を理解しようと努め、2年生の秋、ようやく正捕手に。最後の夏は、あと少しのところで甲子園出場を逃したものの、「野球はこれでやり切ったな」という達成感もあり、清々しい気持ちでした。

――卒業後は?

「自衛隊に入って野球を続けないか?」という話もありましたが、高校で完全燃焼しましたからね。腰も痛めてしまっていたので、ほかの道を探そうと思い、稚内で就職を。それが前職の16年間勤めた米穀販売会社です。仕事内容は精米工場の機械作業。札幌に支社があって、3年経ったらそちらに移れるという約束でした。最初は安月給だったけど、札幌に戻れば実家に住めるし、「少し間の我慢だ」とがんばる毎日。それなのに、結局7年も稚内から出してもらえなくて……。

――なぜ?

精米工場って、お米を選別したり、袋詰めをしたりする、いろいろな機械があるんですよ。それを全部扱えるのが僕だけだったので。休みもなかなか取れなかったし、不規則な時間に駆り出されることも多々ありました。終業時間ギリギリに急な注文が入って、そこから朝の4時までぶっ通しで作業なんてこともザラでしたからね。ハードワークがたたって坐骨神経痛を患ったことも本当につらかった。仕事を休むわけにもいかないのに、毎朝起きるのが憂鬱で。ハッキリ言って「痛い」なんてレベルじゃない。布団から起き上がるまで30分以上もかかるんですから。

――そんな苦労をよく16年も。

「途中で投げ出すな」という父の教えがあったからかな。まあ腰が痛いのはしんどかったけど、自分にしかできない仕事を任されているという責任も感じていたし、そこから逃げるという選択肢はなかったですよ。
転職はあくまでも、収入アップと将来にわたる生活の安定を考えた末の決断。幸い、今の仕事に就いてからは腰の具合もよくて、あの強烈な痛みが再発したことはありません。

どっしり構える“扇の要のポジション”で頼られる存在に。地道にコツコツと、ただ自分らしく歩み続ける道

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――『ハレ系』で約3年間働いた印象は?

やはり大手だけあって、会社の仕組みがすごくしっかりしていますよね。基本的な業務のやり方が細かく決まっていて、段階を踏んで覚えていくことができる。人によって歩みの速さに違いはあれど、誰でも成長していける環境だと思います。
グループの店舗間には異動がありましてね。僕は最初の店に1年10カ月いて、そこで基本的な業務を一通り覚え、主任に昇格しました。今いる『ナース・女医治療院』が4店目。どの店もほとんど業務のやり方は共通化されているので、異動があっても覚えたことは無駄にはなりません。

――仕事で難しいと感じることは?

昔から男ばかりの中で過ごしてきたので、女性との接し方には気を遣いますね。入社して最初のうちは、あまり余計なことはしゃべらないように、当たり障りのない話題を選んでいました。何もわかっていない新人が不用意な言葉で不快な思いをさせたら大問題ですから。
主任になった今も、まだ女性とそんなに立ち入った話をする立場ではありませんが、日常の何気ない会話の中で信頼関係を築いて、頼られるような存在になっていきたいなと。そのために、普段から女性が興味を持ちそうな話題はなんでもインプットするようにしています。

――今後の目標は?

まず1つ上の役職、チーフに上がることかな。ただ、仕事の上でステップアップを目指すのは当然としても、役職が上がった途端に上から物を言うようなことはしたくない。誰に対しても、あくまで自分という人間そのもので向き合っていきたいですね。

――小澤さんの“自分らしさ”とは?

よく言われるのが、「いつもどっしり構えていて、全然慌てないよね」という部分。実際には慌てることもありますが、それを周囲に見せず、落ち着きや安心感を与えられるところは自分の強みなのかなと。扇の要のキャッチャー的な存在ですよね。
僕は最初からなんでも器用にこなすタイプではないけれど、投げ出さず日々の仕事を地道に積み重ね、自分のスタイルを確立していきたいと思っています。

――将来への不安はなくなった?

そうですね。先のことはわかりませんが、今は目の前の仕事に集中できる安定した環境を与えられていますから。「そのうち両親を温泉旅行にでも連れていきたいな」なんて考えるお金と気持ちのゆとりができたのは本当にありがたいですよ。
写真・記事:メンズバニラ編集部

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札幌ハレ系
職種 ナイトワーク/店舗型
地域 北海道・札幌・すすきの
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