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INTERVIEW
元町奥様
店舗スタッフ
川内 良雄さん 41歳

家業の倒産から始まった職場の流転。収入1,000万円の営業マンが、四十路の手前で夜の世界へ

家業の倒産から始まった職場の流転。収入1,000万円の営業マンが、四十路の手前で夜の世界へ

元町奥様

店舗スタッフ
川内 良雄さん 41歳
年収
360万以上
勤続年数
1年8ヶ月

東京都八王子市出身。工業高校の機械科を卒業後、工業機器のメーカーに就職。家業の町工場を継ぐため23歳で実家に戻るも2年後に倒産。
その後、製作会社や不動産屋など4つの会社を渡り歩き、39歳のときに『元町奥さま』に入社。現在は信頼を寄せる店長のもと、年収アップを目標に日々奮闘中。
学生時代はスポーツと筋トレに熱中。穏やかな外見とは裏腹に、身体を動かすことが好きなアウトドア派。

“数千万円の選択ミス”で家業の町工場が倒産。新たな職場を経営危機に追い込んだ、株価の歴史的な大暴落

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――これまでの経歴は?

父親が営む町工場を継ぐために都内の工業高校へ進み、卒業後は工業機器のメーカーに就職を。まずは社会人としての経験を積み、よその技術も学ぼうという、いわば武者修行ですね。
その会社の工場で働きながら、金属の加工や旋盤といったスキルを磨き、実家に戻ったのが23歳。「これからは家業を盛り上げていこう」と張り切っていたものの、2年後に倒産しちゃいまして。不況のあおりを受け売上が下がっていたうえに、V字回復を目指した投資も失敗という……。

――投資とは?

うちが請け負っていた機械部品の製作をもっと受注できるようにと、父親が数千万円もする新しい工作機械を導入したんです。でもそれは時代のニーズに合わない代物だった。顧客の要望は多様化していたのに、僕の「買うならほかの部品も作れたほうがいい」って意見もスルーして、今までと同じ作業しかできない機械の上位互換を選んでしまったんですよね。結果、依頼の数はどんどん減り、負債は増える一方。まあ、先見の明がなかったんでしょう。

――その後は?

父親の知人で、横浜にある会社の社長が「息子さんをうちに預けないか?」と申し出てくれたので、お世話になることにしました。主な事業はメーカーから依頼された商品やパーツのサンプル製作。玩具、教材、医療機器、車のパーツ、イベントの展示品……いろいろ作りましたね。開発の工程に携わることができる面白い仕事でしたよ。8、9年くらい勤めたのかな。

――なぜ辞めることに?

リーマン・ショックの影響をモロに受けて(笑)。
ちょうど会社の業績が伸びていたところに、大手自動車メーカーから大口の注文が入りそうだったことも手伝って、長野県にでっかい自社工場を建てたんですよ。その直後に株価が大暴落、予定されていた取引は白紙撤回。経営が一気に傾いてしまったわけです。
手取りで30万円弱だった月給は3割カット、残業代もボーナスもなし。とはいえ社長には拾ってもらった恩があるし、借金の返済も大変だろうと思っていたので、しばらくは我慢をしようと。それが1年、2年と経っても給料は現状維持。休日出勤や深夜残業が当たり前になるくらい仕事量が増えても状況は変わらず、上司に「せめて基本給だけでも戻して欲しい」と直談判しても「ちょっと待ってくれ」の一点張り。さすがに「もう無理だ」と見切りをつけて、転職を決めました。

過酷な職場環境でつかんだ“1,000万円の収入”。四十路の手前でたどり着いたナイトレジャー業界の仕事

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――転職先は?

不動産屋の営業職です。選んだ理由は求人情報に“年収1,000万円も可能”と書いてあったから(笑)。畑違いの職種でしたが、とにかく金を稼ぎたかったんですよ。
仕事は地主に「マンションやビルを建てませんか?」と交渉する土地活用の提案営業で、給料は契約をまとめるたびにインセンティブが発生する歩合制。結果を出せば高収入を得られる会社ではありましたけど……まあ、職場環境はキツかったですね。

――どのような職場環境?

まず「8時から始まる朝礼の2時間前に出勤」「土日のサービス出勤」は暗黙の了解。加えて「定時を過ぎても帰れない雰囲気」「社内に飛び交う罵詈雑言」。労基対策として「22時までの退勤処理」も厳命されてました。もちろんそのあとも仕事は続きましたよ。帰宅はだいたい午前2時、3時だったし。
ちなみに、さっき“キツかった”という話をしましたけど、当時は「これがお金の対価なのかな」くらいに考えていて、キツいと感じてなかったんですよね(笑)。入社してからの1年間で、収入が1,000万円を超えたことも相まって。

――それはすごい。

同期の稼ぎ頭になったことで社内表彰もされました。入社後1年間は新人期間として、通常のインセンティブだけでなくいろんなボーナスが用意されていたんで、特にやる気がみなぎってたんです。土日祝日関係なしにアポを取って、1日に40人近くの地主に会って、早朝と深夜は資料づくりに勤しんで……。相当がんばってたと思いますよ。180連勤とかしてましたし(笑)。
で、2年目以降もそんな感じで働いてたらぶっ倒れて入院(笑)。診断結果は過労とストレス。医師に「辞めたほうがいいよ」と宣告されたのをきっかけに、また転職を。

――『元町奥さま』に入社した時期は?

今から約2年前。不動産屋のあと、ケーブルテレビの訪問営業、携帯電話の販売員を経て、39歳のときに入社しました。最初はナイトレジャー業界を転職先の候補に入れてなかったんですよ。ただ、資格も管理職の経験もなく、転職を繰り返している30代後半を受け入れてくれる企業なんて、そうそう見つからない。ある程度の給料を求めればなおさら。面接は片っ端から落ちましたね。
そこで「四の五の言わず、昼だろうが夜だろうが正社員になれる仕事を探そう」と考えを改め、高収入求人サイトで見つけた『元町奥さま』に応募。なんとか採用していただき、今に至ります。

掲示板に名指しで批判された事務的な対応。店長の細やかな気配りで気付いた“コミュニケーションの重要性”

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――入社当時のことを。

実は僕、不動産屋のあとに勤めた2つの会社でも売上の上位ランカーだったんですよ。正直、絶対の自信を持って入社したわけです。だけど扱う“商品”が人間だという認識が希薄だった。
例えば携帯電話は誰が使っても性能は一緒じゃないですか。でも女の子は体調や気分によって変わるもの。毎日同じとは限らない。それに気付かず通り一遍の案内をしていたもんだからミスマッチも多くて。お客様に「リクエストしたタイプと違う」と怒られたこともありますし……。
あとは女の子への接し方も間違っていましたね。何せ彼女たちが使うナイトレジャー系の掲示板に“川内は最悪”って書かれたんで。

――名指しで?

名指しで(笑)。まあ、当時はロボットみたいな対応をしてましたからね。店で顔を合わせても「おはようございます」「今日も予約が入ってます」「お疲れさまでした」くらいしか話さない。シフトを確認する際も、ねぎらいの言葉1つ掛けず、「来週はどうですか?」「どの日だったら空いてますか?」といった事務的なやり取りに終始。仕事上の付き合いなんだから、それで十分だと思っちゃってたんですよ。
だけどこの仕事は、女の子への気配りやフォロー、しっかりしたコミュニケーションが重要。彼女たち1人ひとりのことを知って初めて、適切なマッチングも可能になるんじゃないかと。「このお客様にはあの子が合うな」とかね。

――現在は女の子への接し方が変わった?

店長のおかげですね。彼は女の子の顔色とか仕草とか、すごく細かいところまで見ているんですよ。言い方1つ、語尾1つまで考えて話すことの大切さも教えてくれました。せっかく築いた信頼関係も、不用意なひと言であっという間に失ってしまうとも。いつかは追いつき、追い越したい存在ではありますが、まだ10パーセントも届いてないと思います(笑)。

――未来の後輩にアドバイスを。

ナイトレジャーの仕事といっても、普通の企業と何ら変わりません。だから「楽そう」とか「片手間で働ける」みたいなイメージは持って欲しくないかな。大変なこともあるし、細かい仕事の積み重ねではありますが、成果を出した分だけ収入に返ってくるのでやりがいはありますよ。僕はまだ初心者で稼ぎもまだまだですが、もう一度、年収1,000万円を目指しています。不動産屋時代の貯金も、職探し中の散財ですべてなくなっちゃったし……(笑)。
写真・記事:メンズバニラ編集部

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元町奥様
職種 ナイトワーク/店舗型
地域 神奈川県・関内・曙町・福富町

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