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INTERVIEW
横浜・川崎ハレ系
店長・幹部候補
桜井さん 38歳

幸せになるための手伝いこそが使命。叔母からもらった無償の愛、夜の世界でつなぐ恩

幸せになるための手伝いこそが使命。叔母からもらった無償の愛、夜の世界でつなぐ恩

横浜・川崎ハレ系

店長・幹部候補
桜井さん 38歳
年収
1,000万以上
勤続年数
8年0ヶ月

千葉県出身。前職は建設会社の現場監督。30歳のときにアルバイトとして『ハレ系』でのキャリアをスタート。さまざまな経歴や境遇の人と接するうち、仕事に対するやりがいを見出し、社員の道へ。現在は横浜の『チェリーBonBon』の店長を務めている。
ヤンキーマンガのような高校時代を送っていたとは信じがたいほど、表情も口調も温厚な紳士。

これからは自分ではなく人のため。荒れる青年が、育ての親から受け取った“忘れられない言葉”

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――どんな青春時代を過ごした?

相当やんちゃでしたね。高校の頃は、本当にヤンキーマンガの世界みたいな感じで、仲間たちと一緒に短ラン姿でバイクを乗り回す毎日。けんかもしょっちゅうしてたし、荒れてました。

――温厚そうな現在の桜井さんからは想像ができません。

物心ついたときには祖父母の家に預けられていて、叔母が何から何まで面倒を見てくれたんです。両親の顔を知らなかったから、本当の母親みたいな存在ですね。
実の母親に初めて会ったのは小学校3年生。継父を連れて俺を迎えにきました。それから実母の家に引き取られて生活を始めるんですが、うまくいくはずがないですよね、自分にとっては他人同然だし。それがグレた大きな要因かな。叔母が恋しくて、よく会いに行っていましたよ。

――高校は卒業できた?

はい。停学を食らうこともありましたが、なんとか(笑)。卒業してすぐに1人暮らしを始めて、ほとんど無一文の状態だったから、とにかく働くしかなかった。最初は知人の紹介で運送会社に勤めました。しかし口座に振り込まれる給料が、入社前に聞かされていた金額よりも明らかに少ないんですよ。かなり盛られた数字だったんでしょうね。うだつが上がらないし、やっていられなくなって2年で退職しました。
次は高校の同級生を頼って、彼の父親が経営する小さな建設会社で働かせてもらうことに。給料はそこそこだったけど、男ばかりで体育会系の社風が自分の性格に合っていましたね。
で、仕事が軌道に乗ってきたある日、叔母から今でも忘れられない言葉をもらったんです。近況報告を兼ねて2人でご飯を食べているときでした。

――忘れられない言葉とは?

「やっと仕事が落ち着いてきたよ。今まで迷惑をかけて申し訳なかった。必ず恩返しするから」と伝えた俺に、彼女は「恩を受けた人に恩を返すんじゃなくて、この先関わる人に恩をつないでいきなさい」と言ったんです。
20歳の若造にはかなり刺さりましたよ。やんちゃ三昧だったときは「誰がどうなろうと知るもんか」と自分のことしか考えていない節があった。それは社会に出てからも大きく変わっていませんでした。さすが育ての親ですよね。きっと見透かされていたんだと思います。これを機に未熟な考えを捨てて、周囲の人のためになることをしていこうと決めたんです。まずは拾ってもらった恩を返す意味で、もっと真面目に仕事に打ち込むことにしました。

断り続けた社員の道へ。“腰掛け”のつもりから方向転換の決め手は、ともに働く仲間たち

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――以降の仕事は順調だった?

5年目には現場監督を任されたし、順調でしたよ。ところが勤めて10年経った頃、ちょっとしたトラブルが。社長の息子である同級生には兄貴がいて、2人が会社の後継問題で衝突してしまいまして。自分はどちらにもすごく世話になったし、同じくらい恩を感じていた。一方の味方をしなければいけないなら、違う道を進もうと思い、退職しました。

――その後は?

多少の貯えがあったのですぐに転職はせず、建設業界でキャリアアップするために「宅建」の取得を目指すことにしたんです。時間ができたから、当時の交際相手の家に行く頻度が多くなりましたね。彼女が仕事に行っている間、俺は家にこもって資格の勉強。目的があるとはいえ、“ヒモ”のような自分が許せなくなってきて、せめてアルバイトでも探そうと考えていました。
そんなある日、夜の店で遊びたいという不純な気持ちで『ハレ系』のホームページを見ていたら、たまたま求人を発見。「へえ、こんなアルバイトあるんだ。どんな世界か見てみたいな」と興味が湧いて、挑戦してみることにしたんです。

――アルバイトとしてどれくらい働いた?

1年間ほどですね。その間、何度も社員登用の話をいただいたけど、毎回断っていたんです。そもそも資格を取るまでの腰掛けのつもりだったから。それに社員となると女の子のフォローも大事な業務。今までずっと“男の世界”で生きてきたので、自信が持てなかったんですよね。ただ上層部の方からも口説かれてしまって(笑)、いよいよ社員になることを決意しました。

――一番の決め手は?

ズバリ“人”ですね。最初は自分と同じく、やんちゃな人が働いているものだと思っていて。でも実際は真面目な人ばかりで驚きましたよ。しかも変わった経歴の人がたくさんいて、ものすごく刺激を受けた。建設業界で一生を終えていたら、彼らに出会うことはなかったと思います。
あとは俺と同じように複雑な家庭環境で育ったとか、恵まれない境遇の人も働いている。自然と手助けをしたくなったんですよね。上から目線に聞こえるかもしれないけど、叔母から受け取った“無償の愛”をつないでいけるかもしれないと。
それとぼちぼち安定した収入を得なきゃ、彼女に申し訳ないという気持ちもありました。お互い年頃だから結婚も考えていたので。

すべての仕事は幸せに通ず。誇りを持って働き、未来の後輩にもつなぎたい“恩の連鎖”

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――社員になってからの話を。

仕事においての苦労は少なかったかな。不安要素だった女の子とのコミュニケーションも意外と問題なく。自分は結構細かいところに気付けるんですよ。髪型が変われば褒めるとか、寒そうにしていれば羽織るものを持ってくるとか。
ただプライベートで事件が起きてしまった。当時の俺は世間体を気にしていて、彼女に仕事の内容を隠していました。晴れて結婚したけど、その後も話せないままズルズルと。結局ひょんなことからバレて、離婚に至ったんです。
精神的にかなりキツかったけど、会社を辞めるという選択肢はありませんでしたね。せっかく誘っていただいて社員になった手前、無責任に投げ出したくなかった。失うものはもう何もないって気持ちでとにかく必死に働いた結果、どんどん昇格させてもらい、5年目には店長を任されました。

――店長として大切にしていることは?

人材育成ですね。家を建てることと同じで、店づくりで最も重要な部分は基礎。間違っていることがあればストレートに伝えて、成果が出たら惜しみなく褒めるという、メリハリのある教育を心がけています。
各自の問題を解決しながら、いいところを伸ばすことで、質の高い接客ができるようになる。そしてお客様の満足度が上がれば、売上もついてきて、店のみんなの収入が増えますよね。そうやって全員が幸せになるための手伝いをしているという感覚ですよ。これも叔母の言葉通り、恩をつないでいることになっているのかな。

――未来の後輩へアドバイスを。

仕事に対して信念やプライドを持ってください。この業界だって、スタッフも女の子も生活をかけて真剣に働いている。悪いことは何もしていないんだから、胸を張っていいんです。誇りを持って働いてもらえたら自然とやりがいが生まれるし、人生も充実すると思いますよ。
あとは大切な人に隠し事をしないことですね。これは自戒の念を込めてですが(笑)。

――ちなみに叔母様とは今でも会う?

もちろん。よく食事に行っています。叔母は見返りを求めない人だけど、自分としてはどうしても何かしてあげたくて、ちょっと前に車をプレゼントしました。歳も歳なので、安全かつ丈夫な車種を選んで。まだまだ長生きしてもらわなきゃ。
写真・記事:メンズバニラ編集部

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横浜・川崎ハレ系
職種 ナイトワーク/店舗型
地域 神奈川県・横浜

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