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INTERVIEW
67
one more奥様 蒲田店
店長・幹部候補
中村 たかしさん 31歳

恵まれた環境からの逸脱。帰国子女の失敗作と呼ばれた男が、新天地で描くテッペンの風景

恵まれた環境からの逸脱。帰国子女の失敗作と呼ばれた男が、新天地で描くテッペンの風景

one more奥様 蒲田店

店長・幹部候補
中村 たかしさん 31歳
年収
900万以上
勤続年数
3年1ヶ月

タイ生まれの帰国子女。裕福な家に育ち、高校入学まではエリートコースを歩むも、渋谷センター街の享楽的な誘惑に勝てず遊び人の道へ。
その後、24歳のときにお笑い芸人としてデビュー。様々なアルバイトを経て、『one more 奥様』のオープニングスタッフとして働き始める。今年の6月から蒲田店の店長として日々奮闘中。現在活動中の漫才コンビではツッコミを担当。立ち位置は向かって右。

エリート候補から一転、付いたあだ名は“帰国子女の失敗作”。渋谷に繰り出し酒と遊びに明け暮れる

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――実は帰国子女だとお聞きしました。

タイのバンコクで生まれて、12歳の夏まで現地で暮らしてました。帰国後は東京の中学校に編入したんですけど、それまでも日本人学校に通ってたし、家の食事は和食が当たり前だったから、カルチャーギャップを感じることはありませんでしたね。強いて言うなら「タイの街ってゾウ歩いてんの?」とか、“タイあるある”みたいな質問にいちいち答えるのが面倒くさかったかも。全然あるあるじゃないんですけど(笑)。まあそれくらいで、周りにもすんなり溶け込めましたよ。
でも……そもそも僕、“帰国子女の失敗作”って言われてるんで。

――(笑)。それってどういう意味ですか?

帰国子女って“かなりイケてる”みたいな印象ありません? 進学にもいろいろ有利ですし。例えば入学試験が免除されたり、あっても「英語が喋れたらOK」とか「日本語の問題文が読めるか」程度だったり。いわゆる“帰国子女枠”ですね。だから割と簡単にいい学校に入れるし、学歴や海外経験が武器になって大企業に入社できる人が多いんです。
だけど僕は、その恩恵を受けていない……というか受けられなくなった。学校に行かないで遊んでたから(笑)。高校は都内の有名な進学校だったんですけど、中退して転校もしたりで、大学受験のときには帰国子女枠が使えなくなってました。

――特権を失ってしまったと。ではその後は何を?

仲間と渋谷に繰り出しては、遊んで飲んでときどき暴れて……みたいな生活を。特にお酒を覚えてからはひどかった。酔っ払うと「ウェーイ! どこ行くー!?」みたいなテンションになって“エアラグビー”を始めるんです。「おっしゃあ!」と叫びながら駐輪場に突っ込むという……。

――危ないことはなかったんですか?

一番ヤバかったのが、朝5時に歯科医院の正面玄関にタックルしたとき。入口のガラスを割っちゃって、僕は左足を16針縫うケガを……。あれは親にものすごい怒られましたね。次の日みんなで謝りに行って弁償して……本当に最低でした。反省してます。そこでエアラグビーは完全に引退しました。
とまあ、僕がそんなことをやってた頃、タイ時代の同級生のほとんどは、いい大学に入って、誰もが知ってるような大手広告代理店とか食品会社に就職してるわけですよ。そりゃあ失敗作扱いされますよね(笑)。

お笑い芸人デビューを果たすも食えない日々。たどりついた先は“素人の集まり”が立ち上げた夜の店

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――ところでお笑い芸人としても活動してるとか。

今年で8年目かな。もうほとんど舞台に立ってないんですが、一応、今でもコンビ組んで漫才してます。

――いつからお笑い芸人を志すように?

20歳くらいのときに「お笑いやるから養成所に行きたい」と親に相談したら、あっさり反対されまして。でも「自分で行くならOK」って感じだったので、バイトでお金を貯めて、23歳で養成所に入りました。デビューしたのはその1年後です。
ただ、それだけで食っていくのは全然無理。何せ3カ月分の給料が3,000円とかですよ。なのでデビュー後もアルバイト生活は変わりませんでしたね。

――どんなアルバイトを?

出会い系サイトの運営、パチンコ店、飲み屋、あとはアングラ系の雑誌で取り上げられるような、ちょっとグレーな仕事とか……。憧れてたんですよ、そういう場所で働くことに(笑)。好奇心旺盛というか、ギャンブラーというか、見つけたら積極的に飛び込んでましたね。
で、その頃に出会ったのが、当時飲食店を経営してたうちの社長です。芸人としての活動をずっと応援してくれてて、バイトでもお世話になってました。

――『one more 奥様』に入社したいきさつは?

まずは社長と、今『one more 奥様』の厚木店で店長をやってる渡邊さんが関内で店を立ち上げたんですが、すぐに僕も手伝うようになって。それが28歳のときですね。言葉は悪いですけど、完全に軽いノリで引き受けました(笑)。もちろん信頼してた社長からの誘いだったから、不安がなかったというのも大きかったんですけど。

――オープン当初からのメンバーなんですね。

ナイトレジャー業界は、渡邊さんがちょっと経験あったくらいで、ほとんど素人の集まり。だから「これどうしよう?」みたいなことは多かったんですが、イチから自分たちで作り上げていく楽しさもありました。それに業界慣れしてなくて、しきたりとかに縛られなかったからこそ、柔軟な発想ができたんだと思います。そういう点もうちの店が急成長した理由の1つなのかなって。
ちなみに僕は電話の受付からスタートしたんですけど、お客様とのコミュケーションを大切にしてました。やっぱり電話対応1つとっても、おざなりにされたり、ムカつく態度をとられたら「二度と遊ぶか!」ってなるじゃないですか。僕も遊んでたときは嫌いな受付がいっぱいいたんで、彼らを反面教師にしました(笑)。

社長の説得で乗り切れた同僚との軋轢。二足のわらじを履く男は“蒲田のテッペン”を目指す

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――そこからは順調に?

いや、一度辞めようとしてますね、僕。渡邊さんとケンカして(笑)。
オープン当初は忙しかったから2人とも住み込みで半年以上仕事をしていて。ずっと一緒に生活してたら、イラつくこともあるじゃないですか。普段はなんとも思わないような、ちょっとした仕草や習慣が気になるんです。それでしょっちゅう言い合いになって。「靴揃えろよ!」「ゴミ捨てろよ!」「便座下ろせよ!」とか(笑)。そういうのが積み重なって「もう辞めたろ!」ってなったときに、社長から「今はこういう状況だけど、将来大きくなって環境もよくなるから」と説得されて、何とか乗り切れたって感じです。

――芸人としてのスキルが仕事に活きることは?

しゃべることに関しては、すべてにおいて役に立ってます。あと相手の気持ちを察するとか。スタッフや女の子が落ち込んでても「今ならふざけたこと言っても大丈夫だな」と感じたら、笑わせて元気付けたり……たまに間違えますけどね(笑)。「あ、違ったわ! ヤベえ、ヤベえ!」って(笑)。というかそれが100%当てられたら芸人の道で成功してるはずなんで、そもそもここにはいないですよね(笑)。

――今では新店舗を任されるほどに出世。

今年の6月に店長になったばかりなんですけど、優秀なスタッフばかりなので、特に困ったことはありません。まあ、任された以上は、「蒲田で遊ぶなら『one more 奥様』!」と言われるくらいにはしたいですね。
そのためにも、みんながフラットな関係で何でも言い合えるような、働きやすい職場作りが今の目標なんです。僕自身、上下関係とかはあまり好きじゃないし、うちのスタッフにもいろいろ教えてもらってますから。話し合って答えを出せればいいかな、と。全員で一緒になって蒲田のテッペンを目指したいです。

――ちなみに、もうお酒の失敗は……。

ないない(笑)。渋谷で遊んでた時代とは違いますよ。「ウェーイ!」っていうテンションは変わらないですけど、タックルは絶対しないし、変な遊びも開発してない(笑)。30歳を過ぎて飲み方を覚えたんです。やっと大人の階段を上らせていただきました。
でも、やっぱりお酒は大好きなので、将来は芸人仲間と一緒にオシャレな飲み屋さんを開きたいですね。そのときは社長にちょっとお金を出してもらおうかと……。「あるスネはかじったほうがいい」が持論なんで(笑)。
写真・記事:メンズバニラ編集部

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職種 ナイトワーク/無店舗型
地域 東京都・蒲田

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