プロポーション オキナワ

沖縄(那覇・辻

風俗ワーク(ソープランド

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プロポーション オキナワ

冨里一人さん 41

店長・幹部候補

年収500万円以上

勤続年数40ヶ月

夜の世界のキャリアはひとつの偶然から始まった。沖縄への想いを胸に、琉球男児は歩みを止めない

キャリアのスタートは堀之内。島を離れた若者は“これからの人生をともにする仕事”に出会う。

――周りのスタッフさんから信念のある熱い男だとお聞きしました。

カッコよく言いすぎです。確かに僕は、昔から真面目で頭が固い人間だとは思います。信じ込んだら一直線というか……。あと基本的に「どんな仕事もすばらしい」と考えていて、なんでもやるタイプなんです。それが風俗業界であろうが、偏見なんて少しもなかった。川崎の堀之内で夜の仕事を始めたときは、親や知人に「やめたほうがいいよ」とか言われたけど「がんばって働いているんだ」って反論しましたよ。
あ、もしかしてこの発言も「熱い」とか「信念のある」ってイメージになるのかな(笑)。

――堀之内? ご出身は沖縄では?

はい。生粋の島人です(笑)。高校卒業後は地元沖縄のガス会社で機器の配送を。毎日がんばって仕事に取り組んでいたものの、同じことの繰り返し……。3年ほど勤めたタイミングで友達から「関東に行ってみないか?」と誘われて、上京することにしました。きっと新しい刺激や変化を求めていたんでしょうね。まあ、若い時分にありがちな話ですよ(笑)。

――その後は?

勢いで来たもんだから、定職に就けないままアルバイト漬け。無計画もいいとこですよ(笑)。
そんな生活も3年目に入ったときに出会ったのが、ソープランドの仕事。一緒に上京した友達が「高収入の仕事に就きたい」と言っていて、ナイトワークを探し始めたんです。大げさかもしれないけど、振り返ってみるとこの出来事が自分の運命を決めたのかなと。

――運命?

友達は無事に採用されたんですが、もっといい条件の職場が見つかったらしく、そっちに行くと言い出して。彼はちょうどアルバイトを辞めて、職探し中だった僕に「お前、仕事決まってないだろ。試しにやってみれば?」と自分が働くはずだった仕事を押し付けてきたんですよ(笑)。
僕が堀之内で働くことになったきっかけは、本当に偶然だったと思います。
そうして今に至るまでずっと風俗業界に。だから運命といっても過言ではありません。

人生の岐路に立つも、選んだ道は依然ナイトレジャー業界。そして“経験と期待”を胸に独立の道へ。

――実際に働いてみて、いかがでした?

堀之内では夜の仕事に携わるうえでの基礎を徹底的に叩き込まれましたね。あいさつの仕方、電話対応のマナー、接客時の立ち居振る舞い……。ネクタイの結び方や髪型、ヒゲといった身だしなみについても事細かい指導がありました。もうすべてが厳しかったです。僕よりあとに入った新人はすぐに辞めていきましたもん。
だけどキツい毎日の中、僕が続けられた理由は見るもの聞くもの全部が新鮮だったから。風俗業界という今まで知らなかった世界が、楽しいと思えたことも大きかった。最終的には6年間、その店でお世話になりました。

――なぜ辞めようと?

今思うと単純ですが、30歳を迎えて「人生の転換期かな」って。リスタートのつもりで、いったん沖縄に戻ることにしたんです。10年くらい地元を離れて、恋しくなったのかも(笑)。

――それから?

上京以来突っ走ってきたから、とりあえずはのんびりとしていました(笑)。
で、そろそろ働こうって考えていたときに「暇なら、俺の友達が中州でソープランドを経営しているから行ってこい」と前職の友人に言われまして。やりたいこともなかったし「じゃあまたやってみるか」くらいのノリで引き受けたわけです。
そんな軽い気持ちとは裏腹に、前職の経験が身体に染み付いていたのか、仕事をしていくうちに燃えてきちゃったんですよ(笑)。もちろんがんばり次第で、給料や評価にダイレクトにつながる点も性に合っていた。休み返上で働いていたら、あれよあれよという間に店長に。その2年後に沖縄で独立の話をいただいたんです。

――きっかけは?

沖縄に出店した系列店の店長を僕が兼任することになり、福岡と沖縄を往復する毎日がスタート。そのうちに、他店のオーナーさんたちとの交流が始まりまして。沖縄の風俗業界の実情、経営理念など、酒を飲みながら話す機会が増えました。
そのメンバーの中に「お前は真面目なヤツだなあ」ってよく褒めてくれる方がいて、あるとき「俺のソープランドをあげるから、やりたいようにイチから経営してみるか?」というお誘いを受けたんですよ。

――引き受けたと。

そうですね。独立できる機会なんて滅多にないですし。
もちろんその前に中州のオーナーには独立の相談をしたんですよ。それに対して「応援するからがんばれ」と快く送り出してくれて。その声援に応えるためにも「必ず成功してやる」って気持ちになりました。

“挑戦をやめず走り続ける”ことが熱い男を動かす原動力。次なる目標は沖縄への地域貢献。

――本格的に沖縄で始動したわけですね。

とはいえ、最初は地獄の日々でした(笑)。あるのは情熱と空っぽのお店だけ。準備資金が足りなくて(笑)。

――どう工面を?

借金に次ぐ借金です(笑)。もう毎月額が増えていって……。
生きていくうえで最低限のお金で暮らしていましたね。

――出だしでつまずいてしまったと。

でもそこから、粘るのが僕です(笑)。もともと店の立地はよかったし、自分のやることさえ間違わなければ、絶対に繁盛する確信があった。だからお金をかけてでも店内にはいい備品を揃え、広告にも予算を割いて、1日も休むことなくコツコツ真面目に働きました。その結果、少しずつ売上が伸びてきたんですよ。
多分、僕の仕事のスタイルは時間を要するんでしょうね。例えて言うと短距離走より長距離走が得意なランナーみたいな感じ(笑)。まさに粘り勝ちです。

――これから先は?

『プロポーションオキナワ』を起点に沖縄の風俗業界をよりオープンでクリーンな場所にしたいんです。観光地の利点を活かして、たくさんの人が利用しやすい環境を作っていくことが僕たちの役目だと思う。具体的には店舗同士の情報交換を頻繁に行って、賛同してくれる方々と清掃や募金活動などの地域貢献に努めていきたいと考えています。
僕ね、やっぱり沖縄が大好きなんですよね(笑)。住みやすいし、温かい人ばかりだし。だから「この業界でも沖縄のためにできることはあるんだ」って伝えていきたい。もちろん現実は簡単ではないでしょう。人間関係やお金、時間、それに世間の目だってある。でも実現できると信じて、少しずつ活動を始めています。初めはわずかな変化かもしれないけど、見ていてください。41歳なのであと9年……50歳までには必ず風俗業界の風通しをよくしてみせますよ。

――かっこいいですね。

なんせ僕は「信念のある熱い男」ですから。最後はビシっと締めてみました(笑)。
写真・記事:メンズバニラ編集部

店長・幹部候補

冨里一人さん 41

年収500万円以上

勤続年数40ヶ月

沖縄県浦添市出身。高校卒業後、地元でガス機器の配送業に就くも3年で退社。新しい刺激を求め、上京を決意。アルバイト生活の最中、ひょんなことから川崎の堀之内でナイトレジャー業界に飛び込む。
30歳を機に活躍の場を九州へ移し、中州の店舗で経験を積んだのち、沖縄にて独立。『プロポーション オキナワ』のオーナー兼店長を務める。
軽い運動後のビールが、休日のストレス解消法なのだとか。

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