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INTERVIEW
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シャブール渋谷
店長・幹部候補
市原 正和さん 51歳

恩人の言葉が未熟な己を変えた。幾度の失敗の末、たどり着いた夜の世界で成功をつかむまで

恩人の言葉が未熟な己を変えた。幾度の失敗の末、たどり着いた夜の世界で成功をつかむまで

シャブール渋谷

店長・幹部候補
市原 正和さん 51歳
年収
1,000万以上
勤続年数
12年4ヶ月

愛知県出身。アメ車とリーゼントとプレスリーに憧れ、大学在学中にアメリカに渡る。その後、輸入車販売の会社を経営するも、経理上のトラブルが発覚。すべてを失い、夜の世界へ入った。入社10カ月で新店を任されて以降、12年間で4店舗の立ち上げに携わった“オープン請負人”。現在も車に注ぐ愛情は変わらず、57年式『ベルエア』を狙いつつ、イタリアンスクーターの『VESPA150』を乗り回す日々を送っている。

再起を懸けて挑んだ夜の世界で地位を得た男。すべての始まりは“真面目で普通のお坊ちゃん”だった

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――現在はどのようなお仕事を?

系列店の『CLASSY』で取締役に就いていましたが、『シャブール渋谷』の立ち上げとともに店舗責任者になってほしいとの話をもらい、今は兼任しています。ナイトレジャー業界でのキャリアは『シャブール名古屋』のドライバーからスタートしたので、原点に戻ってきたような感じですね。

――この業界にはなぜ?

経営していた輸入車の販売会社が経理上のトラブルを起こし、畳まなくてはいけない事態に陥りまして。後処理をやっと終えて「さあ働こう」と求人を探したときに、実力次第ですぐに昇給や昇格を目指せると書いてあったこの会社を見つけて「これしかない!」と応募しました。今までとはまったく異なる業界でしたが、抵抗はなかったですね。すべてを失った身ですから。むしろ、いろいろチャレンジできそうなところに面白さを感じました。

――野心家ですね。

昔はそうでもなかったんですよ。実家が裕福だったのであまりガツガツしたところもなく、学生時代は特に目立たない真面目で普通の生徒。それほど優秀な高校ではありませんでしたが、成績も学年で2番でした。そのまま順調に大学へ進み、アメリカに留学し……。

――何を学びに?

アメリカンダイナーみたいなハンバーガーショップを経営してみたくて、大学を休学して現地の語学学校に英語を学びに行きました。1年ほどで帰国したので、今はもうあまり話せませんけどね(笑)。
輸入車の販売を始めたのも、ちょうどその時期。一時帰国する際に自分で乗ろうとアメ車を購入したのですが、帰国して港に引き取りに行ってみると“この車を売ってくれ”と名刺が挟んであって。いやあ、びっくりしましたね。自分が払った数倍の値段を提示されましたから。それで「これはもうかるぞ」と思い、アメリカで買い付けた車の部品や服なんかを日本に持ち帰って売るようになりました。当時はまだ、アメリカに行くにも高額な渡航費が必要だった時代。現地で動ける人間はとても重宝されたんです。

――そこから経営者の道へ?

最初はアルバイト感覚でやっていたのですが、知人の知人、そのまた知人……と仕事の依頼が増えまして。かなりの利益が出るようになっていたので、大学を中退して会社を立ち上げました。

順風満帆のスタートから二転、三転。失敗を繰り返しながら、人間としての成長を得た“ある人との出会い”

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――とても順調なスタートに見えます。

でも、アルバイトの延長のような感覚が抜けず、失敗も多かったんですよ。販売先の人を買い付けの現場に連れて行ったら、そのまま仕入先を横取りされちゃったり(笑)。借金の保証人になって、1億円の負債を抱えたこともありました。

――1億円!?

あのときは本当に行き詰まりまして。ある人に助言をもらわなかったら、死んでいましたね。

――ある人というのは?

仕事で取引があった、大きな会社の社長さんです。とても立派な方で、なぜか以前から「もっとちゃんとしろ」「約束を守れ」と僕のことを常に気にかけてくれていました。でも、当時は若かったものですから「うっせえな」と聞く耳なんて持たず。しかし、結局ひどい目に遭って途方に暮れていたところに、手を差し伸べてくれた。
そこからは、彼に弟子入りして経営者として鍛え直してもらいました。まず最初に教わったのが「約束を守る」「時間を守る」「人を見る目を養う」「物を見る目を養う」の4つ。彼が言うには、僕は物を見る目はあるけど、あとの3つがない。そこをどうにかしよう、と。

――例えば?

ある日、オークションで車を買うために、開始時間の9時頃に会場へ行きました。たくさんの人が集まる中、彼に連絡すると「翌日は開門時間に行け」との指示が。文句を垂れながらも約束ですから、翌日は6時前に会場へ行ってみると、門の前にいたのはたった3人。すると、彼はこう言ったんです。「その3人は今回一番がんばっている人だから、今から友達になれ。僕についていれば一流の車屋にはなれるけど、ずっとついていられるわけではない。だから、困ったときはその3人に相談しろ」。僕は言われた通り、すぐ彼らに話しかけました。その内の1人には、後に何度もアドバイスをいただきましたよ。
以前の僕は約束も適当だし、時間も守れないルーズな男。きっと、6時に行くこともなかったでしょう。でも、彼との約束を守ったことで、新たな人とのつながりが生まれ、学ぶことを覚えた。これは業界が変わっても同じですし、女の子であろうとスタッフであろうと同じこと。彼の教えは、僕のその後の人生の指針となっています。

――その後は?

アドバイスのおかげもあって会社の業績も回復し、1年で借金を完済することができました。最終的には愛知県内と県外に3店舗ずつ支店を開くまでに成長したのですが、また失敗してしまいまして……(笑)。

恩人との約束を胸に、がむしゃらに働いた10年。思い描く幕引きは“やっぱり車屋さんで死にたい”

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――この会社へはいつ頃?

自社のトラブルが発覚したのが、39歳の8月。後処理に4カ月ほど要し、ドライバーとして働き始めたのは翌年の1月です。
最初はドライバーなんてただ運転するだけの簡単な仕事だと思っていましたが、ホテルの場所も知らなければ、女の子の扱いが上手いわけでもない。毎日のように先輩に怒鳴られ続けたことが悔しくて悔しくて、名古屋市内を毎晩車で走り回って道を覚えたり、女の子の名前と特徴をエクセルにまとめたりと自分なりに工夫しましたね。同じ仕事をするにしても、学ぶ努力をしなければ差がついてしまう。経営者時代と業種や役割はまったく違えど、仕事に対する意識は変わりませんでした。
そして入社から10カ月が過ぎた頃、新しく福岡にオープンする店の店長を任されることになったんです。

――いきなりの抜擢。

いざ現地に行ってみると、スタッフは僕1人。オープンの3日前になっても女の子すらいない状態で、どうしていいのかもわからない。見よう見まねで求人をかけ、やっと女の子を1人確保できたのは前日でした。
そうしてなんとか初日を迎えたはいいものの、電話は1本も鳴らず……。あまりにショックで、女の子に「辞めていいよ」と言ったら、彼女はまた明日も来ると言ってくれた。しかし翌日も一向に電話が鳴らない。不安と戦いながらサイトの更新を続け、やっと初めての電話を受けたときは本当にうれしかったですね。

――大変な経験でしたね。

その後もいくつか新店の立ち上げを任されましたが、毎回苦労しましたよ。8あるものを9に増やすのは簡単ですが、0を1にすることは難しい。でも、すごくやりがいがあった。
僕ががんばる姿を見て、同じように女の子たちもがんばってくれたし、一緒にお店を作り上げた同志のような感覚。ここで得た経験や人とのつながりは、お金では得られないものです。今振り返ると楽しかったなあ。

――辞めたいと思ったことは?

もちろんあります。でも、この仕事を始めるときに、先ほどの社長と「10年は辞めない」と約束したので。約束したからには辞められませんよね。
ただ、10年を超えて今、この店を任されているわけですが、軌道に乗ったら若い人に任せたい気持ちはあります。僕はもう終わりの人間。持っているスキルは惜しみなく後進に譲り、いずれ地元に戻るつもりです。

――地元で何を?

車に携わる仕事をしようかと。やっぱり最後は車屋さんで死にたいですから。
写真・記事:メンズバニラ編集部

会社情報

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シャブール渋谷
職種 ナイトワーク/無店舗型
地域 東京都・渋谷

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