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INTERVIEW
金妻倶楽部(埼玉ハレ系)
店長・幹部候補
奈良 泰彦さん 53歳

全力で働き豪快に遊ぶ。古きよき時代を駆け抜けた男は、五十路を超えてなお返り咲きを期する

全力で働き豪快に遊ぶ。古きよき時代を駆け抜けた男は、五十路を超えてなお返り咲きを期する

金妻倶楽部(埼玉ハレ系)

店長・幹部候補
奈良 泰彦さん 53歳
年収
900万以上
勤続年数
19年0ヶ月

東京都出身。社会人デビューは1985年という、昭和のサラリーマンを知る男。
運送会社のドライバー、金融会社勤務を経て『ハレ系』に入社。グループの草創期から携わる古参メンバーの1人。勤続19年を迎えた現在は、マネージャーとして日々奮闘中。
半年前に引っ越した新居は、室内に螺旋階段をしつらえたオシャレな造り。本当は「駅から遠いので嫌だった」が、「嫁と子どもが気に入ったので仕方なく決めた」とのこと。

時給490円も月給50万円も変わらない。仕事の報酬はすべて使い切る“宵越しの銭は持たぬ生活”

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――これまではどんな仕事を?

高校時代の3年間は新宿にある喫茶店でウェイターのアルバイトを。時給は490円でした。今から37、8年も前の話とはいえ、当時の相場と比べても破格の安さだったかと。でも働くのが初めてだったのであまり気にしてなかったし、仕事そのものが思いのほか楽しくてね。授業が終わると店に直行して閉店まで働き、日曜日はフルタイムで出勤する日々。低賃金ながらも毎月5、6万円は稼いでましたよ。もっとも、給料のほとんどは1日でなくなってましたが。

――(笑)。使い道は?

当時の給料は現金で手渡し。店で受け取ったその日のうちに友達と出かけて、メシをおごったり遊びに行ったりでパーッと使っちゃう。学校に通いながら月に100時間以上も働いて、お金が財布に入っているのは正味5、6時間という……。僕ね、貯金ができないタイプなんです(笑)。

――高校卒業後は?

一応、ビジネス系の専門学校に進んだんですけど、2年間で30回くらいしか行ってない(笑)。喫茶店のバイトも辞めて、親からもらった小遣いを元手にパチンコばかりしてました。
就職したのは20歳のときですね。「どうせ働くなら高給の仕事がいい」と考え求人誌をあさっていたところ、大手運送会社が系列の子会社で新卒の第一期生を募集すると。初任給は35万円だったかな。それで「ここにしよう!」って。

――いわゆるドライバー職?

はい。勤務時間は長かったんです。出勤が朝の7時で、配送を終えて営業所に戻るのが22時とか。ただ、扱う荷物は航空便で送るための書類がほとんどで、体力的にしんどいことはありませんでした。
それに昇給が早くてね。取引先の新規開拓といった営業ノルマをそれなりにこなしていたこともあって、入社2年目で班長に昇格。月給は50万円に届いてたと思います。運送業界が潤っていた、おいしい時代だったんですよ。

――若くして高給取りに。

それでも常に金欠でした。夜の店で遊ぶことを覚えちゃったんで(笑)。仕事が終わったら車を飛ばして川崎の堀之内へ行き、納得できなかったら高速に乗って吉原へ向かう、みたいな“風呂屋のハシゴ”も日常茶飯事。だけどそんなことをやってると、1日で7万円くらい吹き飛ぶわけですよ。
僕、22歳で婚約したんですけど、結婚式は1年間先延ばしにしてもらいました。式場を押さえる費用がなくて(笑)。

さらなる高給を求めて転職するも2年で倒産。内助の功を得て、“愛してやまない夜の世界”に飛び込む

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――その後は?

入社7年目だったかな。勤務先が親会社に吸収合併されたんです。月給は15万円くらい上がったものの、扱う荷物の種類も営業ノルマも増えて、結果的に勤務時間も伸びて。周囲に「給料が高くていいね」なんて言われましたけど、出勤は週に6日、1日平均18時間働いてましたから。時給に換算したら全然大したことなかったんですよ。

――遊ぶ暇もない?

いや、遊んでました(笑)。結婚して小遣い制になってたので、さすがにハシゴはしませんでしたが、嫁の目を盗んでは堀之内へ……。同僚もそんなヤツばかりでしたね。僕らの世代はみんな性欲が強かった(笑)。

――パワフルですね(笑)。運送会社を辞めた理由は?

だんだん業績が悪化して昇給は頭打ち。ボーナスも出なくなっちゃったんです。そんなとき、取引先だった金融会社の社長から「うちに来ればもっと稼げるよ」と誘われ転職を。
まあ結局、給料はドライバー時代とあまり変わらなかったし、なんやかんやあってその会社も2年で倒産。だけど嫁がしっかり家計を支えてくれていたんでね。仕事をしなくても1年は暮らせるだけの蓄えがあった。だから再就職先はゆっくり探そうと考え、それまでの“つなぎ”として、昔から好きだった夜の店でアルバイトをしてみようと。で、スポーツ新聞の求人欄を見て『ハレ系』に応募。34歳の夏でした。

――なぜ『ハレ系』を選んだ?

時給が高かったし、社会保険、ボーナス、有給休暇、夏休みや冬休みまである。当時のアルバイトの待遇としてはかなりよかったんですよ。
それに働いているスタッフが、風貌も接客も“まとも”だった。今から20年前の夜の店なんて、いかつくてタメ口が普通っていう店員が大多数だったから、最初はびっくりしましたよ。「こんなに敬語を使えるんだ!」って(笑)。それで「ここなら大丈夫だろう」と思い『ハレ系』で働き始め、1年後には正社員になりました。

――正社員になってからのことを。

何事も最初はがんばるタイプなんで順調に昇格しまして。
で、入社して2年半くらい経った頃ですかね。東京でグループ初となる派遣型店舗の立ち上げが決まり、僕が店長に抜擢されたんです。なんのノウハウもないうえに、配属された部下は全員先輩。しかも最初の3カ月は、社長が毎日事務所に顔を出していた。初めて任された大役なのに、よろこびよりプレッシャーしか感じませんでしたよ(笑)。

大役をまっとうした先に待ち受けていた挫折。再びつかんだチャンスを糧に“50歳からの返り咲き”を誓う

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――グループの新規事業を担う立場に。

運営に際して目安とする「前年の売上」もないから大変でした。どれだけの数字を叩き出せばいいのやらって。今振り返れば、無駄なこともずいぶんやってたんじゃないですかね。
とはいえ、部下のみんなは僕をもり立ててくれたし、その時期に閉店した系列店から女の子やお客様が流れてくる幸運もあった。おかげで1年後にはなんとか運営を軌道に乗せることができました。『ハレ系』という大きなグループだからこその宣伝力も大きかったと思います。

――埼玉にはいつから?

今から3年前。ちょうど50歳になっていました。実はその前に一度、埼玉で失敗してるんですよ。
派遣型から中野にある店舗型の店長を経て、次に任されたのが埼玉の店。立て直しを命じられていたというのに、集客にしろ、求人にしろ、東京で培ってきた方法がまるで通じなくて。それでも2年間は任せてもらってたんですが期待に応えることができず……。
結果、マネージャーに降格して鶯谷の店に異動。ただ、そこで2年半がんばったことでまたチャンスをもらえた。東京と埼玉エリアを統括している方が「もう一度、奈良に責任者をやらせてみたい」って、今の店に引っ張ってくれたんです。だから当面の目標は店長に返り咲くことかな。年齢的に先は長くないけど(笑)。

――仕事をするうえで大切にしていることは?

入社当初に教わった「お客様には待ち時間を正確に伝える」「接客は常に丁寧に」という姿勢の徹底でしょうか。受付でお客様に不愉快な思いをさせたら、バトンを受けた女の子にも迷惑が掛かるので。そのスタンスはずっと変わりません。

――未来の後輩へメッセージを。

結果がすべてという厳しさはありますが、その分やりがいもあります。数字を上げれば上げた分だけ評価してくれる会社ですから。夏のボーナスで300万円もらったこともありますしね。
それと僕が入社した頃に比べて、どんどん働きやすくなっているのも確か。福利厚生はもともと充実しているし、勤務シフトもちゃんと決まっている。僕は『ハレ系』に入ったことで、社会人生活初の“定時帰り”を経験しました(笑)。

――遊ぶ時間も作れますね。

さすがにもう遊びませんって。それこそ『ハレ系』で働き始めてからは、夜の店もとんとご無沙汰で。数カ月前に1回、昔から気になっていた大久保の怪しい店に行ったくらいですよ。

――最近じゃないですか!(笑)
写真・記事:メンズバニラ編集部

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3年以内に店舗責任者を目指す意志のある方募集!
金妻倶楽部(埼玉ハレ系)
職種 ナイトワーク/店舗型
地域 埼玉県・大宮
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