PROFESSIONAL
INTERVIEW
ティアラ
店長・幹部候補
坂田さん 44歳

勢い任せに飛び込んだ夜の世界。理解者を得た先に見出した、理想の生き様

勢い任せに飛び込んだ夜の世界。理解者を得た先に見出した、理想の生き様

ティアラ

店長・幹部候補
坂田さん 44歳
年収
500万以上
勤続年数
6年8ヶ月

東京都練馬区出身。高校卒業後、父親の経営する建設会社に就職。26歳のとき父親の急逝を機に、独立の道を模索するも断念。その後、約10年間のアルバイト生活を経て『ティアラ』に入社し、現在は主任として後輩スタッフの教育係を務める。
恰幅のいい体型と陽気な人柄から豪快な男と思われがちだが、実は神経質でキレイ好き。休日はもっぱら家の掃除にいそしむという家庭的な一面も。

学校へ行かない代わりに世のために働く。家業の手伝いで学んだ“仕事のあとの達成感”

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――ご出身は?

東京都の練馬区です。僕の大好きな酒、女、パチンコには困ることはなかったので30歳くらいまでずっと住んでました。そんな街で育ったんで、ときにはヤンチャをすることもあったけど、少年の頃はすごく真面目だったんですよ。中学生ながら月に20万円弱も稼いで、すべて遊びに使うなんていう社会貢献をしてましたからね(笑)。

――(笑)。そのお金はどこで?

親父が道路の舗装工事を主に請け負う、建設会社を経営してまして。とはいえ大手の下請け、従業員10名ほどの中小企業ですけどね。その仕事を手伝って稼いでました。
中学校に入学して間もなく勉強がイヤで休みがちになったんです。そしたら親父が「家でゴロゴロしてるなら手伝え。世の中のために働け」って。学生じゃ簡単には得られない日給8,000円もくれたんで、そりゃもっと学校に行かなくなりますよね(笑)。

――寛大な親父さんですね。

そうですね。ただ親父はミリ単位の仕事をしているせいか、すごい細かい性格なんですよ。衣服や布団の畳み方1つを取っても、端と端をちゃんと合わせないと怒鳴られました。だけど人生に関しては「いつ死んでもいいように恥ずかしい生き方はするな」って本当にそれだけ(笑)。
あとは最終的に家業を継いでくれればいいと思ってたんじゃないですか。一代で築きあげた思い入れのある会社だっただろうし、経営も安定してましたし。
それに僕自身も働いているほうが勉強してるよりもはるかに楽しかった。道路の舗装って、つまりは周辺の施設ができあがったあとに行う最後の仕上げ作業なんですよ。一通り舗装が終わってから辺りをグルッと見渡すとキレイな景観が広がる。そのときの達成感が好きでしたね。

――高校には進学した?

「とりあえず高卒にはなっておけ」と親父に言われたんで、受験さえすれば入学できて、最低日数さえ出席すれば卒業できる高校に行きました。でも結局3年間、家の手伝いばかりしてたんですけどね。卒業式も行かなかったので、卒業証書の授与は先生が家に来て2人でやりました(笑)。

――高校卒業後は?

引き続き手伝いを続けながら、20歳で建設関係の資格を取得してからは正社員として働き始めました。以降も一層仕事に精を出してたんですが、僕が26歳のときに親父が他界したんです。

周囲の期待を裏切り、その場しのぎのアルバイト生活へ。“勢い任せ”に飛び込んだ夜の世界

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――ついに家業を継ぐ日が。

いや、継いでません(笑)。
実は僕の就職と同時期くらいに、友人の1人が実家を離れたんです。「いつまでも親のすねをかじって生きてるのは嫌だ」とか言って。その言葉が、当時すねをかじりまくってた僕の胸に深く突き刺さりまして、敷かれたレールの上を進むのがだんだんとイヤになり始めたんです。そして親父が他界して、いざ継ぐとなったときに、6年かけて膨らんだ自立心や独立志向が爆発しました(笑)。
親父の建設会社は跡取りがいなくなり解散。周囲の期待を裏切った僕は、独立したいけどやり方がわからないし、遊び仲間の誘惑にも負けて毎日フラフラと街をほっつき歩いてましたね。それを見かねてか、同じような建設関係の仕事をしていた姉の旦那さんが声を掛けてくれて、そこでアルバイトをすることに。日給は1万5,000円と羽振りがよかったんですが、骨を埋める気にもなれず3年半くらいで辞めました。
その後は友人の紹介で埼玉県のほうでお祭りのテキ屋を。でも仕事はオールシーズンではないので、籍だけ置いていろいろなバイトを転々としてたんです。そんな生活を7年くらい続けてました。

――その後は?

当時お付き合いしてた方と一緒に暮らすことになりまして。でも僕は定職に就いてない、貯金もない、だけどこの先いつかは家族を養っていかねばならない。ということで、そのときたまたま持ち合わせていたスポーツ新聞の求人欄に『ティアラ』が載ってたから、勢い任せに応募してみたんです。

――ナイトレジャー業界に抵抗はなかった?

なかったですね。怖い人はいるだろうなと思ってましたけど、そんなヤツはぶっ飛ばせばいいやくらいに思ってたんで(笑)。
そしたら本当に面接のとき、ちょっぴり強面の人が出てきたんです。そして一通り説明をしたあとに「今日からでも働ける?」って。見た目に反してメチャクチャ感じよく話してくれたから、「もちろんです」と答えて即日で働き始めました。
あとで知ったんですけど、その面接官はたまたま店に来てたオーナーだったみたい。今となってはあのとき殴らなくてよかったなと思ってます(笑)。

理解してもらえたからこそ芽生えた、“理解したい”と思う気持ち。理想の生き様の実現を期する

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――入社してからは?

入社早々、受付での接客を任されました。何もわからないので「ウソはつかず正直」を大事に、でもお客様は帰さないみたいな(笑)。とにかく必死でしたね。だけどわからないことは先輩に聞けば教えてくれたし、徐々に女性の特徴も覚えていって3カ月後には完全に慣れっこ。1年半くらいは受付メインでコツコツと働いてました。ですがそんなある日、ふとしたことで上司と衝突しちゃって……。

――何があった?

その頃、女性の遅刻がよく目に付いたんで「世間一般では考えられない」って僕が食って掛かったんです。でも上司やオーナーは「彼女たちはやりたくてこの仕事をしているわけじゃない。ときとして甘やかすことも必要」という真逆の意見でした。まあ次の日に怒りは収まったんですけど2、3日休みましたね。気分転換で(笑)。
普通だったらこれで積み重ねてきた信用は水の泡、下手したら解雇もの。でも違ったんです。僕のバカ正直な性格をちゃんと理解していて、また一緒にやろうと温かく迎え入れてくれました。それからも僕が熱くなるたび、丁寧に諭してくれて……。別に媚を売ってるわけじゃないですけど、本当にできた上司やオーナーなんですよ。それから半年後、主任に昇進することができました。

――仲間に恵まれましたね。

周りのおかげで考え方が変わったんです。一緒に働いてるスタッフや女性たちの性格も理解しようとする気持ちが芽生えたというか。そしたら自然と仲間の意見に賛同できるようになったんですよ。「女の子とお客様は神様」とオーナーに言われたことがあるんですけど、本当にそう。今でもそれを信条にして働いてます。

――今後の目標は?

ただ生活のためだけに始めた仕事ですが、今は仲間たちともっと活気がある店にしたいという思いが一番。そして売上の規模がもっと大きくなったら、都内にも出店するのが理想ですね。
あとはやっぱり独立かな。まだ何も成し遂げてないんで、今死んだら恥ずかしいですよ。あの世で親父に会ったら「だったらあのとき会社を継げ」と確実に殴られる(笑)。

――独立は建設関係で?

いや、風俗で。単純にこの仕事が僕は好きなんですよね。主任になった今でも掃除だってしますし、タオルも端と端をしっかり合わせて畳みますし(笑)。いつか一国一城の主になって風俗街のネオンを見下ろしながら死ぬ、なんてちょっとカッコよくないですか?
写真・記事:メンズバニラ編集部

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【人生を楽しむ=仕事を楽しむ】人付き合いがしっかりできる方を募集します!!
ティアラ
職種 ナイトワーク/店舗型
地域 埼玉県・西川口・川口
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