PROFESSIONAL
INTERVIEW
セレブショップ新宿(東京ハレ系)
店長・幹部候補
佐々木 一将さん 44歳

業務ではなく仕事をしよう。成功も失敗もすべてを糧に、幸せのための段取りを

業務ではなく仕事をしよう。成功も失敗もすべてを糧に、幸せのための段取りを

セレブショップ新宿(東京ハレ系)

店長・幹部候補
佐々木 一将さん 44歳
年収
600万以上
勤続年数
7年9ヶ月

岩手県出身。『ハレ系』でのキャリアは西川口からのスタート。入社5年で東京エリアへ配属され、現在は『セレブショップ新宿』にてチーフ職を務める。
私生活では32歳のときに14歳年下の美人妻を射止め、今春には第2子が誕生予定。
高校時代はレスリングの50kg級で東北選抜に選ばれた経験を有する一方、幸せ太りのためか、今では体重が往時の2倍近くにまで増加しているのだとか。

“わらしべ長者”のように、ライン工から外資の営業マンへ。現在でも活きる社会人としての基盤を形成

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――これまでの経歴を。

岩手県の工業高校を卒業したあとは、自動車の部品を作る工場で働きました。最初に配属されたライン作業が本当に嫌で嫌で(笑)。地獄のような日々でしたね。
散々文句を言った結果、近くの町工場を巡回する技術指導員に配置換えをしてもらって。最初は楽しかったけど、なんかもう田舎の閉鎖的な環境が性に合わなかったんでしょうね。結局、「ここじゃねえな。辞めるなら早いほうがいいだろう」ってことで、1年後には退職しました。

――その後は?

あちこちの工場を回っていた実績のおかげで、大手の家電問屋に転職できました。
ちょうどタイミングよく、盛岡営業所が立ち上げられたところに滑り込むようなかたちで。東北の北側3県が管轄だったんですけど、営業マンは自分を含めて2人だけ。もう1人の先輩営業マンと東西にわかれて担当してました。僕は太平洋側、先輩が日本海側。取引先は地場の個人商店から、大型の家電量販店まで。1回出張に行けば、1週間は出ずっぱりでしたよ。
でも気は楽だし、面白かったです。始業は小売店の開店時間に間に合えばいいし、営業成績は全然問題なかったし、やるべきことをやっていれば仕事以外の時間は何をしたって文句は言われなかった。
だから当時は営業車にサーフボードを積んで、前日の夜に現地入りして車中泊。朝6時に起きて沿岸でサーフィンして、そのまま仕事に行ったり、早く終われば夕方から海に行ったりしてました(笑)。

――家電問屋の在職期間は?

丸5年くらい。盛岡営業所が別の営業所と統合されて、閉鎖することになって。もともと仙台に住みたいと思ってたから、これ幸いと退職したんです。
で、仙台に移って、とりあえずサーフィンの拠点を決めて、海から5分の場所にアパートを借りて。その2日後くらいに求人誌で仕事を探し始め、タバコの輸入販売をする外資系の会社に応募しました。
営業経験を買われて正社員で即採用。今なら絶対に働けなかったと思います。僕の退職後には常用語が英語に変わって、役員も外国人ばっかりになったので。運がよかったですね(笑)。

――外資系企業ならではの違いはあった?

営業の研修がすごく多かった。ロールプレイングをはじめ、ビジネスに対する考え方や、心理学的なアプローチ、科学的な分析……いろいろやりましたね。このとき教わったことは今でも仕事で役に立ってます。お客様への対応とか、女の子の面接とかで特に。

家庭も失い、友人も離れていった。離婚を機に“順風満帆の日々が崩壊”、そして夜の世界へ

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――恵まれた環境のように思えるが、なぜ退職を?

離婚ですね(笑)。25歳のときにサーフィン仲間の女の子と結婚したんですけど、友達付き合いの延長線上みたいな感じで、恋愛感情が薄くて……。結婚しても僕はギャンブルをやめないし、いろんなお姉ちゃんのケツを追っかけてたし、そもそも2人で遊ぶよりも仲間たちと一緒に遊ぶことのほうが多かった。子どものまま結婚したようなもんでしたね(笑)。次第にケンカが絶えなくなって別れたっていう。
そうなると家庭を失うだけじゃなくて、友達まで離れてしまうわけですよ。やっぱり周りも「お前が悪いじゃん」ってなっちゃうじゃないですか。
そして自暴自棄に陥って、実家に帰ることにしたんですよね。このときが30歳だったかな。人生終わったって思いましたよ。

――地元に戻ってからは?

日払いの派遣で食いつなぐ毎日でした。そんなある日、職場で知り合った怪しい人から「埼玉で事業を始めるから一緒に行こうよ」って誘われて、埼玉に移住するんです。「月給50万円」って眉唾ものの話だったけど、地元にいるのも嫌だったし、別にいいやって(笑)。
まあ案の定というべきか、実際に待ってたのは、おっさん4人とタコ部屋みたいなところに住みながらの無償労働でした。将来的には利益が出るみたいな話が、どうにもうまくいかなかったらしいんですよね(笑)。
とはいえ、メシとタバコと宿はタダだったから、生活自体には困らなかったです。離婚してどん底の状態だったし、「俺なんかどうせこんなもんだよな」ってあきらめて、半年くらいはそんな暮らしをしてました。

――見ず知らずの人との生活。ストレスも溜まりそう。

同居人の中だと僕が一番年下だったから、気は遣いますよね。ストレスもすごかった。それに半年も給料が出ないとなると、さすがに抜け出さないわけにはいかない。ということで、スポーツ新聞に載っていた、西川口のナイトレジャーの店の求人に応募したんです。
完全日払いで即採用。オーナーにも気に入られて、昼寝用で使ってたっていう四畳半の風呂なしアパートの部屋を借り受けて、ようやく1人で落ち着ける空間を確保できました。

――ついにタコ部屋を脱出。

でも半年くらいした頃、風営法の大幅改正に伴う西川口の浄化作戦がスタートして。オーナーは店を畳んで、池袋で受付型の店を始めました。僕もついて行ったんですけど、あんまりもうからずに1年で閉店してしまったんです。

“無駄なこと”なんて何もなかった。成功も失敗も、すべてが今の幸せにつながっている

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――閉店後は?

オーナーの紹介で、渋谷の個人店の店長を。小さい店だったから、採用も接客も全部自分でやらなきゃいけなくて大変でしたね。5年くらいそこで働いたけど、最終的に店の売却話が持ち上がって。で、タイミングよく僕も再婚が決まったから、一旦身を引いて起業を目指すことにしました。でも資金繰りがうまくいかないまま1年間無駄にしちゃって。
その頃には子どもも生まれて、この先どうしようかなって状況。そして働き始めたのが『埼玉ハレ系』なんです。
当時住んでた西川口からも近いし、生活が安定したら次のことをまた考えようって。で、そのまんま今に至るみたいな(笑)。

――現在の業務に関して、個人店との違いは?

やっぱ大手ならではのマニュアル化されたやり方があるんですよ。だからこそ、自分が今までわからなかったことに対しての答えがきっちり用意されていて、「なるほどな」って思うことは多々ありました。
おまけにスタッフの人数なんて倍以上違う。組織で動く中でいろんなポジションを与えてもらって、失敗も当然ありました。すごく勉強になったし、無駄なことは何もなかったんじゃないかな。

――仕事をするうえで大切にしていることは?

僕は「業務」と「仕事」って別物だと思っていて。「業務」は学校の宿題みたいに、やって当たり前のこと。「仕事」っていうのは、先を見据えて自発的に取り組むこと。
店長から「あれやった? これ終わってる? どうなった?」とか言われるのが嫌なんですよ。聞かれる前に「それもう終わってますよ」って言えるように、前もって段取りをして、作業を完了する。これが僕にとっての仕事なんです。だから後輩には「仕事をしろ」ってよく言ってますね(笑)。

――サーフィンの件にせよ、仕事の段取りがうまい印象。

将棋とか、理詰めで計画を考えるのが好きなんですよね。
前の日の段階から予定を立てて行動する、あるいはもっと前から準備する。面倒なことを後回しにしないで、余った時間で目一杯遊ぶ。だからこそ仕事の前にサーフィンができるわけです。

――ちなみに今は幸せ?

まあこの通り離婚せずに子どもも授かってるんで、悪い人生じゃなかったと思ってます。
嫁と僕は14歳離れてるんですけど、2人目の子どもが春に生まれる予定です。「浮気したら殺す」って言われてるから、もう女の子のケツを追いかけ回すようなことはないんじゃないですかね(笑)。
写真・記事:メンズバニラ編集部

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職種 ナイトワーク/店舗型
地域 東京都・新宿・歌舞伎町
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