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TSUBAKI-ツバキ- YESグループ
赤川 良太さん 24歳
店長・幹部候補
年収450万円以上
勤続年数2年9ヶ月
「場所見知り」がもたらした最高の出会い。居場所を得た青年は「人見知り」の壁をも打ち破る
地元に根を張りながらスポーツや裏方バイトに精を出した日々。ただし、わんぱく小僧は“人見知り”
――どんな少年時代だった?
高校に入学するまではスポーツ少年でした。小学校のときはソフトボールやドッジボールなどを習っていて、中学校では陸上の短距離走一筋。球技をやめてしまったのは、モノを扱う種目が向いてないと自覚したからです。単純に身体を動かしたがる“わんぱく小僧”だったってことですかね(笑)。
――陸上を選んだ理由は、足の速さに自信があったから?
それが全然。小学校の頃なんかお尻から数えたほうが早いほど。でも身一つでやれるものといったら陸上くらいかなと思いまして。で、なんとなく短距離の練習をがんばっているうち、継続が功を奏したみたいでいつの間にか速く走れるようになっていたんです。ちなみに中学3年生のときはリレーで全国大会にも出場しました。
ただ競技自体にそこまでの熱意を持てず、中学校卒業を機に引退したんですよね。
――高校では何を?
“家から近い”のみを理由に進学したので、勉強は適当。部活にも入らなかったし、飲食店のバイトに明け暮れる日々でしたね。その高校は申告さえすればバイトOKだったんですよ。ただまあ私は無断でこっそりと……(笑)。
飲食店といえば普通ならホールスタッフなんでしょうけど、人見知りの激しい私が応募したのはキッチン仕事。お客様との接触を避けに避けて、バイトしていた3年間ずっと厨房に閉じこもっていました(笑)。
――キッチンの仲間との交流は問題なかった?
仕事と割り切ってしまえばなんとか(笑)。
それに、どうしても無理なこと以外は努力してみようという心意気だけはあったのかと。“仕事をする大変さ”を人一倍わかっていたつもりなので。
――というと?
ウチ、母子家庭なんです。女手一つで育ててもらって親には本当に苦労をかけました。
高校に入学するまではスポーツ少年でした。小学校のときはソフトボールやドッジボールなどを習っていて、中学校では陸上の短距離走一筋。球技をやめてしまったのは、モノを扱う種目が向いてないと自覚したからです。単純に身体を動かしたがる“わんぱく小僧”だったってことですかね(笑)。
――陸上を選んだ理由は、足の速さに自信があったから?
それが全然。小学校の頃なんかお尻から数えたほうが早いほど。でも身一つでやれるものといったら陸上くらいかなと思いまして。で、なんとなく短距離の練習をがんばっているうち、継続が功を奏したみたいでいつの間にか速く走れるようになっていたんです。ちなみに中学3年生のときはリレーで全国大会にも出場しました。
ただ競技自体にそこまでの熱意を持てず、中学校卒業を機に引退したんですよね。
――高校では何を?
“家から近い”のみを理由に進学したので、勉強は適当。部活にも入らなかったし、飲食店のバイトに明け暮れる日々でしたね。その高校は申告さえすればバイトOKだったんですよ。ただまあ私は無断でこっそりと……(笑)。
飲食店といえば普通ならホールスタッフなんでしょうけど、人見知りの激しい私が応募したのはキッチン仕事。お客様との接触を避けに避けて、バイトしていた3年間ずっと厨房に閉じこもっていました(笑)。
――キッチンの仲間との交流は問題なかった?
仕事と割り切ってしまえばなんとか(笑)。
それに、どうしても無理なこと以外は努力してみようという心意気だけはあったのかと。“仕事をする大変さ”を人一倍わかっていたつもりなので。
――というと?
ウチ、母子家庭なんです。女手一つで育ててもらって親には本当に苦労をかけました。
人生ノープランのまま近所で就職。待ち受けていたのは現場仕事の“厳しい上下関係”
――ちなみにご兄弟は?
弟が1人。ずっと母親に働いてもらって感謝しています。
とにかく息子2人を育て上げた女性なので、一言で表すなら“パワフルな人”。割と気も強いし(笑)。そうは言っても、長男の私が働かなきゃと思って、高校卒業と同時に就職しました。
――それは母親へ恩返ししたい気持ちが強かったから?
もちろん将来的には考えていました。ただ実際はそこまで真剣じゃなくて、まずは働くのが当然でしょくらいの感覚でしたね。だから志望動機も気が抜けたもので、高校と同じく“家から近い”が本音。いや私としてはそれが重要な条件ではあるんですけど(笑)。
ちなみに入社したのは設備関連の会社。空調や水道を整備したり、土木系の仕事もこなしたりする、いわゆるなんでも屋さんでした。待遇や仕事内容にこれといった不満はなかったんですが、結局2年で退職しましたね。
――退職の原因は?
当時の上司から理解しがたい仕打ちを受けたのがきっかけです。それまでも怒鳴られたり、工具で「カッツーン!」と殴られたりってのは日常茶飯事でしたが、最後はもはや理不尽なんてレベルじゃなかった。だから上司を人として信用できなくなってしまって。思い出も何もあったもんじゃないです。
――ではほとんど得るものはなかった?
そうですね(笑)。ただ上下関係の厳しさを身をもって体感しました。特に私が従事していた現場仕事って、上下関係がキツい業種の筆頭じゃないですか。
――そこからなぜ『YESグループ』に入社?
家から近かった!(笑)
実は私、人見知りと同じくらい“場所見知り”もするんです。だから“家から近い”は譲れない(笑)。
弟が1人。ずっと母親に働いてもらって感謝しています。
とにかく息子2人を育て上げた女性なので、一言で表すなら“パワフルな人”。割と気も強いし(笑)。そうは言っても、長男の私が働かなきゃと思って、高校卒業と同時に就職しました。
――それは母親へ恩返ししたい気持ちが強かったから?
もちろん将来的には考えていました。ただ実際はそこまで真剣じゃなくて、まずは働くのが当然でしょくらいの感覚でしたね。だから志望動機も気が抜けたもので、高校と同じく“家から近い”が本音。いや私としてはそれが重要な条件ではあるんですけど(笑)。
ちなみに入社したのは設備関連の会社。空調や水道を整備したり、土木系の仕事もこなしたりする、いわゆるなんでも屋さんでした。待遇や仕事内容にこれといった不満はなかったんですが、結局2年で退職しましたね。
――退職の原因は?
当時の上司から理解しがたい仕打ちを受けたのがきっかけです。それまでも怒鳴られたり、工具で「カッツーン!」と殴られたりってのは日常茶飯事でしたが、最後はもはや理不尽なんてレベルじゃなかった。だから上司を人として信用できなくなってしまって。思い出も何もあったもんじゃないです。
――ではほとんど得るものはなかった?
そうですね(笑)。ただ上下関係の厳しさを身をもって体感しました。特に私が従事していた現場仕事って、上下関係がキツい業種の筆頭じゃないですか。
――そこからなぜ『YESグループ』に入社?
家から近かった!(笑)
実は私、人見知りと同じくらい“場所見知り”もするんです。だから“家から近い”は譲れない(笑)。
郷土愛とは違う地元への執着が手繰り寄せた出会い。“がんばる姿勢”がすぐに評価される世界
――まったく毛色の異なるナイトレジャー業界を選んだ理由は?
こういう店で遊んだ経験がなかったので、未知の世界というものに興味を持っていまして。それにお給料もよかったし。
実はいくつか応募したけど、いざ面接で話を聞いたら転勤がある店ばかりだったんです。家に近いから応募したのに、日本中あちこち飛ばされるなんて意味がないなと。そんなとき『YESグループ』から「当社ならずっと地元で働けます」と連絡があって、それで心を決めました。
――人見知りということで接客面で苦労したのでは?
最初は本当に難儀しました。ナイトレジャー業界って顧客が“人”なら商品も“人”。パフォーマンスを上げるにはスタッフがお客様とも女の子ともきちんと打ち解けなければいけません。“仕事だから仕方なく”の関係では太刀打ちできないことばかりでしたね。
――それが今では『TSUBAKI-ツバキ』の副主任。
ここまでのプロセスらしいプロセスも覚えていないくらい毎日がむしゃらでした。そんな態度が評価されたのかな(笑)。
『YESグループ』は3カ月に1回査定があって、常に上司が“がんばる姿勢”を評価してくれるシステムが確立されています。理不尽な上下関係もないし、未経験スタートで人見知りの私でも努力した分は必ず報われるから、仕事へのモチベーションは高まる一方ですよ。
――先は明るいですね。今後の目標は?
接客面は及第点に達したもののまだまだ道半ばです。今後も進化していきたいし、業績でも結果を出して常に上の役職を目指そうと思っています。何せ昇格のチャンスは年に4回もあるんですから、後輩に抜かれないようにがんばらないと(笑)。
――そういえば母親には仕事のことを話した?
はい。私としては後ろめたさもないし、さほど改まって報告といった感じでもありませんでしたから。ところが母は一言、「辞めろ」と……。今も理解を得られないままです。
でも無理にわかってもらおうとは思わない。仕事のことで意見が合わなくても、親子の絆に亀裂が入ることもないですし。
――プライベートでの目標は?
実はグループの社員からの紹介で良縁がありました! まあ、譲り受けたネコなんですけど(笑)。でも本当にかわいいです。ウチの子は一味違いますよ!
ちなみに人間の女性との縁は……まだまだ先かな。私、人見知りですから(笑)。
こういう店で遊んだ経験がなかったので、未知の世界というものに興味を持っていまして。それにお給料もよかったし。
実はいくつか応募したけど、いざ面接で話を聞いたら転勤がある店ばかりだったんです。家に近いから応募したのに、日本中あちこち飛ばされるなんて意味がないなと。そんなとき『YESグループ』から「当社ならずっと地元で働けます」と連絡があって、それで心を決めました。
――人見知りということで接客面で苦労したのでは?
最初は本当に難儀しました。ナイトレジャー業界って顧客が“人”なら商品も“人”。パフォーマンスを上げるにはスタッフがお客様とも女の子ともきちんと打ち解けなければいけません。“仕事だから仕方なく”の関係では太刀打ちできないことばかりでしたね。
――それが今では『TSUBAKI-ツバキ』の副主任。
ここまでのプロセスらしいプロセスも覚えていないくらい毎日がむしゃらでした。そんな態度が評価されたのかな(笑)。
『YESグループ』は3カ月に1回査定があって、常に上司が“がんばる姿勢”を評価してくれるシステムが確立されています。理不尽な上下関係もないし、未経験スタートで人見知りの私でも努力した分は必ず報われるから、仕事へのモチベーションは高まる一方ですよ。
――先は明るいですね。今後の目標は?
接客面は及第点に達したもののまだまだ道半ばです。今後も進化していきたいし、業績でも結果を出して常に上の役職を目指そうと思っています。何せ昇格のチャンスは年に4回もあるんですから、後輩に抜かれないようにがんばらないと(笑)。
――そういえば母親には仕事のことを話した?
はい。私としては後ろめたさもないし、さほど改まって報告といった感じでもありませんでしたから。ところが母は一言、「辞めろ」と……。今も理解を得られないままです。
でも無理にわかってもらおうとは思わない。仕事のことで意見が合わなくても、親子の絆に亀裂が入ることもないですし。
――プライベートでの目標は?
実はグループの社員からの紹介で良縁がありました! まあ、譲り受けたネコなんですけど(笑)。でも本当にかわいいです。ウチの子は一味違いますよ!
ちなみに人間の女性との縁は……まだまだ先かな。私、人見知りですから(笑)。
写真・記事:メンズバニラ編集部
店長・幹部候補
赤川 良太さん 24歳
年収450万円以上
勤続年数2年9ヶ月
茨城県出身。母子家庭に育ち、高校卒業後は設備関係の会社を経て『YESグループ』へ入社。人生初の接客業に奮闘し、現在は『TSUBAKI-ツバキ』の副主任を務める。人見知りかつ生真面目な性格のため、客としてナイトレジャー系の店を利用した経験はおろか、女性との縁もまったくなかったとのこと。
ニックネームである“ゴリラ”の由来について、本人は「ガタイがいいからでは」と分析。
赤川 良太さんがはたらく会社の求人募集情報
リアル給与明細
店長・幹部候補
職位
マネージャー
年齢
35歳
勤続期間
10年 1ヶ月
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合計1,070,000円
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基本給470,000円
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歩合給600,000円
店舗スタッフ
職位
正社員
年齢
24歳
勤続期間
1年 4ヶ月
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合計350,000円
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基本給300,000円
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歩合給50,000円
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