PROFESSIONAL
INTERVIEW
妻がオンナに変わるとき
店長・幹部候補
田島 誠さん 45歳

古き良き曙町で知った、夜の世界の面白さ。業界一筋25年、青春の地に描く新時代への目標

古き良き曙町で知った、夜の世界の面白さ。業界一筋25年、青春の地に描く新時代への目標

妻がオンナに変わるとき

店長・幹部候補
田島 誠さん 45歳
年収
600万以上
勤続年数
6年10ヶ月

九州出身。高校卒業後、横浜・曙町の店舗型ヘルスでアルバイトを始める。以降、同エリアの風俗店を渡り歩き、25歳のときに自身のデリヘル店を立ち上げた。
その後、紆余曲折を経て、ふたたび店舗スタッフの道へ。現在は、四十路を前に入社した『妻がオンナに変わるとき』で店長として日々奮闘中。
趣味は食べ歩き。休日は妻と横浜のラーメン屋を巡るのがマイブームとのこと。

19歳で飛び込んだ夜の世界。業界歴25年の大ベテラン、すべては“古き良き曙町”から始まった

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――これまではどのような仕事を?

風俗1本です。父の紹介で風俗店のアルバイトを始めたのが19歳のときだから……業界歴はざっと25年てところですか。

――父親の紹介!?

珍しいでしょ?(笑)。
僕、九州の田舎町で生まれ育ったんですけどね。父は東京でナイトレジャーの仕事に携わってまして。高校を卒業したあとも定職に就かず、地元でふらふらしていた僕に「都会へ出ろ」「知り合いの店を紹介してやる」と。それが横浜、曙町のファッションヘルスだったわけです。

――では、もともと業界に対する知識やなじみもあった?

いえ、まったく。僕自身は風俗の“ふ”の字も知りませんでした。何せ「ファッションヘルス」と聞いて、アパレル関係の仕事だと思ったくらいなので。ホント、右も左もわからないまま飛び込んだ、ていう感じですね。

――当時の曙町はどのような街でしたか?

今ほど店舗の数はなかったけど、活気はありましたよ。お客様の車がそこら中に路駐してあって、店を開ければすぐ行列ができる、みたいな。
勤め先もかなり忙しかったですね。そこそこの老舗で、昔なじみのリピータ―も多かったから。まあ、1年ちょっと働いて辞めちゃいましたけど。

――いったいなぜ?

オーナーの性格に難があったというか……。「超ワンマン」てことで、あとはお察しください(笑)。
で、その店の同僚といっしょに別の風俗店へ。ここも1年くらいかな。というのも、曙町で店をやってる“父の知人”はほかにもいまして。彼のところで働くことになったんです。「もっといい給料出すよ」という誘いに乗っかって。

――今度は順調に?

1年持たずにつぶれました(笑)。
でも、当時は曙町が盛り上がりはじめた時期でね。新店もどんどんオープンしていた。ファッションヘルス時代の店長も独立をして、「手伝ってくれないか」と声を掛けてくれた。そんなわけで、たとえ職場を失くしても路頭に迷うことはなかったんですよ。
ちなみに「風俗の世界って面白いじゃん」と感じ始めたのもこの頃なんです。自分なりに工夫しながら仕事ができるようになったし、多少なりとも金回りがよくなったし、客として遊びに行くのも楽しかったし。
だから、その元店長の店が、テナント主とのトラブルで営業を続けられなくなったときも、他業種への転職は頭になく。当然のように「次はどこの風俗店で働こうかな」と考えていたんですけど……父が「お前、デリヘル始めてみれば?」って。

新事業への挑戦、地元での躍進、責任者ゆえの決断。時代を駆け抜け、“山あり谷あり”を味わった十余年

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――デリヘルの経営を勧められた?

はい。2000年頃だったかな。風営法が変わって、デリヘルが認可されるようになったんです。
当時はまだ規制がゆるくてね。自宅の住所でも許可が下りた。極端な話、まったくお金をかけずに開業できたんですよ。それで「じゃあやってみるか」と。

――1人で始めたんですか?

電話対応、広告の作成、女の子の送り迎え、すべて1人で。だから「女の子の出勤人数は1日4人までが限界」の小さな規模でしたけど、デリヘルというジャンルの目新しさもあってか、順調にオーダーをいただけましてね。横浜にも増え始めていたレンタルルームを積極的に利用したり、派遣先が少々遠くても車を飛ばしたりして、個人店としては十分すぎるほどの売上を出すことができたんです。
結局、大手の参入や、雑誌からウェブ広告への切り替えに乗り遅れた影響などで、30歳を前に店を畳んだのですが。

――その後は?

リフレッシュのつもりで実家に戻り、そのまま半年くらいふらふらして。母に「いい加減に働け」と叱られて(笑)。
で、仕事を探し始めたら風俗店の求人を見つけたんです。しかも店舗型。「こんな田舎町にもあったんだ!」って驚きましたよ。

――地元で風俗の仕事を再開した。

最初に勤めた店は、テナントの家賃を滞納して飲み代に使うような社長だったから、3カ月後に閉店しちゃいましたけど、次は長かったですね。『妻がオンナに変わるとき』に入社するまで、7、8年くらい働いていました。

――今度こそ順調に(笑)。

ようやく腰を落ち着けることができた時期です(笑)。
そこも店舗型だったんですが、経営者は脱サラして風俗店をはじめた元営業マンでね。「田島さんの経験を教えてほしい」と、入社当初から僕に意見を求めてくれた。
女の子の質は高いし、しっかり宣伝もできてるし、もともと客入りはよかったんですけどね。頼りにされたら意気に感じるじゃないですか。そこでさらに集客を伸ばすためのアイディアを出しまして。最終的に県内で4店舗、関西にも進出を。結構有名なグループ店になったので、少しは貢献できたのかなと。

――それほどまでに活躍していた店を辞めた理由は?

金銭的なトラブルや、人間関係のいざこざに巻き込まれて、辞めざるを得なくなった……っていうのかな。僕は店舗の統括を任されていたので、責任を取ったかたちです。曙町に戻ろうと決めたのは、この出来事がきっかけですね。

新天地で取り戻した仕事のよろこびと達成感。“青春の場所”に掲げる、成し遂げたい目標、叶えたい夢

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――やり直すつもりで戻ってきた?

「バリバリやるぞ!」というよりは「生活費さえ稼げればいい」くらいのテンションでしたけどね。40代を目前に控えて身体に無理も効かなくなってきたし、結婚して家庭も出来たしで、これからはペースを抑えて仕事をしようと。だったら、また曙町で働きたいなと。

――仕事よりもプライベート重視に。

そうですね。転職先も大手グループは避けました。しがらみや面倒ごとが多そうで疲れると思ったんですよ(笑)。
その点、当時の『妻がオンナに変わるとき』はまだ小規模だった。ここでならそれほど気負わずに働けるかなって。

――約10年ぶりの曙町に変化は感じた?

店の数は比較にならないほど増えました。デリヘルも盛んになったぶん、昔みたいに「待っていればお客様が来る」みたいなスタンスは通じない。接客の方法1つとっても、リピートしてもらえるように工夫する必要があると感じましたね。
それにうちはコンセプト店。宣伝しているサービスをちゃんと提供するには、女の子のケアや教育にも気を遣わないといけない。いろいろ試行錯誤を繰り返して……気が付けばすっかり仕事に没頭していたという。

――バリバリ働いてたと。

まあ、それもうちの会社が、仕事に対する姿勢や取り組みを、しっかり見てくれているからでしょう。
やっぱりね、結果がしっかり評価に結び付いたり、お客様や女の子から感謝されたりするとうれしいですよ。達成感を覚えます。だからこそ与えられた業務をただこなすのではなく、「もっとよくするには」と考える気にもなる。今、僕の頭にあるのは、うちの店を曙町エリアのナンバーワンにすることですね。

――個人的な目標は?

会社と友好的な関係で独立できたらと考えています。『妻がオンナに変わるとき』とはまったく違うコンセプトを設けて、スタッフの手が足りないときは手伝ったり、女性にも在籍を掛け持ちしてもらったり、お互いに協力し合えるような店を曙町に立ち上げる……。
実は、もう「こういう店にしよう」って構想はあるんですよ。いつになるかわからないけど、オープンした暁には、またインタビューしてもらおうかな(笑)。

――ぜひ、お待ちしております! 最後に1つだけいいですか? やっぱり曙町が好き?

親しみはありますよね。20代の一番元気な頃を過ごした街だから、昔を思い出したりもするし。曙町は……大人の青春っていう感じなんです。僕にとっては。
写真・記事:メンズバニラ編集部

会社情報

「高収入」×「安定」×「働きやすい環境」=「将来設計」
妻がオンナに変わるとき
職種 ナイトワーク/店舗型
地域 神奈川県・横浜
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