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INTERVIEW
妻天グループ
店長・幹部候補
花倉 秀典さん 36歳

自暴自棄から救ってくれた2万円の借金。再出発のきっかけは、いつも人との出会いだった

自暴自棄から救ってくれた2万円の借金。再出発のきっかけは、いつも人との出会いだった

妻天グループ

店長・幹部候補
花倉 秀典さん 36歳
年収
400万以上
勤続年数
5年0ヶ月

静岡県富士市出身。温厚な顔立ちとは裏腹の負けず嫌い。課外活動に熱心な学生時代を経て、生産設備の製造会社に就職。退職後は大阪に渡り自堕落な生活を送るも、夜の店で働く女性の助力を得て社会復帰。『妻天グループ』に入社して5年目を迎える現在は、店長の片腕として活躍している。
今一番欲しいものは車。トヨタの『GR86』を狙っているが「嫁に怒られるから買えないと思う」とのこと。

スクールカーストの頂点からどん底へ。“退学と入院”で晴れの舞台を二度も逃した学生時代

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――ご出身は?

静岡県の富士市です。高校は生徒数が1,500人を超えるマンモス校に進み、2年生のときには生徒会長を務めてました。しかも選挙では過半数の支持票を集めるという。「ほとんど市議会議員の当選ラインやん。これ行く末は政治家やろ」って思ってましたね(笑)。でも進級直前の3月で学校を辞めることに……。

――いったいなぜ?

1学年上の元カノが「花倉にひどいことをされた」と先生に訴えたんです。それが彼女の虚言であることはのちのち証明されたんですけど、当時は学校側が真偽を確かめようとしなくて。かなり深刻で倫理的に問題のある内容だったんでね。結局、シロかクロかはっきりする前に“疑わしきは罰する”ってことで、僕だけ強制的に自主退学させられました。
生徒会の活動は軌道に乗ってたし、在校生代表として卒業式で送辞を述べる大役も任されてた。いわばスクールカーストの頂点に君臨してたのに、ある日突然どん底に落とされたわけで。「ちょっと待ってくれ!」って感じでしたよ(笑)。

――高校中退後は?

完全にふさぎ込んでました。何もやる気が出なくて、家でボーッとしてるだけ。で、2週間くらい経った頃、在学中に仲良くしていた女の先生から「一緒にご飯を食べに行こう」と誘われたんです。
まだ23、4歳くらいのキレイな人でね。騒動の最中はずっと僕の味方をしてくれたし、退学した日も心配して車で家に送ってくれた。このときも大検に関する本を渡されて「高校中退でも大学に行く手段はあるんだよ」って。それがきっかけで予備校に通い始め、“現役”のやつらと同じ18歳で、京都の私大に合格することができたんですよ。あんな形で高校を追い出されたんで、負けたくないって気持ちもあったのかな。

――大学生活は順風満帆だった?

卒業は危うかったですけどね(笑)。大学でも生徒会みたいな学生団体に所属して、課外活動ばかりしてたから。
とはいえ自慢できることもあるんですよ。戦災で負傷したイラクの子どもたちへの救済基金を募るために、大学、市役所、教育庁からの後援を得て、市内の小中学校に募金箱を設置したんです。その功績が評価されて、市が開催する平和の式典に学生代表として出席とスピーチを要請されるっていう。
でもね、本番直前にバイクで事故って、大腿骨骨折という大ケガを……。1カ月以上入院するハメになり、主役の座はほかのメンバーに持っていかれました(笑)。

辞めることばかりを考えていた現場監督の仕事。“恩義と意地”を心身の糧に8年の月日を過ごす

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――その後は?

いったん地元に帰りました。大学を卒業できるとは考えもせず、まったく就職活動をしてなかったんです(笑)。だから最初の半年は日払いのアルバイト。ビラ配り、ペットボトルの検品、建築現場の荷揚げ……いろいろやりましたね。
そのあとは派遣先で知り合った運送会社の社長に誘われて資材搬入の仕事を。なぜか僕に目を掛けてくれたんですよ。高い日給で雇ってくれたり、就職先を紹介してくれたり。

――初めての就職先?

はい。「取引先にいいところがあるけど入らないか?」と。飲料水に含まれた雑菌とかを取り除く、生産設備を製造している会社でした。お世話になってたから「お願いします」以外の選択肢はありませんでしたけど(笑)。
仕事内容は機械の保守運用。納品先の工場に出向してあれこれ取り仕切る……要は現場監督ですね。だけどこっちはズブの素人。ちゃんと工学を学んだ人たちを前に、なんの知識もない22、3歳の若僧が口を出せるはずもなく。じゃあ何をするかって、朝一番で工場の門を開けるとか、弁当の手配とか、トイレ掃除とか。そんなもんですよ、ペーペーの現場監督なんて(笑)。

――何年勤めた?

8年くらい。仕事は徐々に慣れていったし、お客様から「キミが担当でよかった」とか「また次も頼むわ」とか感謝されるのもうれしかった。「ありがとう」と言われて泣いちゃったこともあります。感極まって(笑)。
ただ、出向先の工場は全国にあるので体力的にも精神的にもキツかった。任期だって数日のときもあれば数カ月、1年に及ぶ場合もある。正直、入社当初から辞めることばかり考えてましたよ。長年がんばれたのは、紹介してくれた社長への恩義と自分の意地ですね。
ちなみにこの時代の話にはサイドストーリーがあって。入社3年目、25歳のときに高校の先生と付き合ってたという……(笑)。

――大検を勧めてくれた女性教師!?

そう(笑)。それまでも連絡は取りあってて、出向先から戻ったときは一緒にメシを食ったりしてたんです。で、あるとき「彼氏いるの?」って聞いたら、僕と同じ年齢の元教え子と付き合ってると。それ聞いてアタマきちゃって。「そこは俺やろ!」みたいな(笑)。もう必死に口説いて乗り換えさせましたよ。

――恩師から恋人に。

まあ1年で別れちゃったんですけどね。そのまま結婚するようなロマンスには発展しなかった。適度な距離を保った関係が一番よかったんでしょう(笑)。

自暴自棄から救ってくれた2万円の借金。やりがいとよろこびを覚える“ありがとう”のひと言

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――話を戻しますが、前職を辞めたあとは?

一度は実家に戻り、すぐ大阪へ。大阪は赴任期間が長かったなじみのある街だったので。
それからは毎晩飲み歩き、しょっちゅう日本橋のホテル街に繰り出してました。前職が忙しすぎたことへの反動なのか、ちょっと自暴自棄になってたんですよ。貯金、退職金、解約した定期預金。手元にある金を全部使い果たしてしまおうと。総額800万円が3カ月でなくなったので、1日10万円近いペースの散財。飲み屋の女の子から「ちゃんと仕事しなよ」と注意されても「そんなん知るか!」って。

――どうやって立ち直った?

いよいよ無一文になるぞってときに、よく指名していた人妻店の女性に2万円借りたんです。で、このお金をどうやって返そうと考えてたら、なぜか「夜の店で借りたお金は、夜の店の仕事で返そう」という発想に至りまして。あとは僕が年上に囲まれて仕事をしてきたこともあって「働くなら女性の年齢層は高いほうがいいな」と。そして『妻天グループ』に応募を。31歳のときでした。
借りたお金は最初の給料で返しに行きましたよ。半分しか受け取ってくれませんでしたけどね。

――『妻天グループ』に入社してからのことを。

働きやすい店だと思いました。入社して2カ月には受付を、1年後には面接も任されて。今5年目ですけど、ある程度の裁量権を持って自由にやらせてもらっています。
あと僕は、店のみんなから前職の経歴をもじった“監督”ってあだ名で呼ばれてるんですけど、それがすごくありがたい。別人になれるというか、気持ちを切り替えて仕事に取り組めるというか。監督ってキャラクターを演じることで、本当は不得意な説教も、照れくさい褒め言葉も、ためらわず口に出せるようになったんです。もしも本名で呼ばれていたら、「普段はこんなこと言わへんのにな」と感じて、しんどかったと思う。

――仕事のやりがいは?

一番は、お客様によろこんでもらえる接客ができたときかな。
僕ね、お金をもらって「ありがとう」と言われる仕事っていいなって思うんですよ。実際にサービスをするのは女性ですが、最初は受付のスタッフから始まるわけで。だからこそ「どうやったら満足してもらえるか」を常に考えてるし、うそのない案内をしたいと心がけています。その結果「よかったよ」「ありがとう」という声が返ってきたら、また遊びに来ていただけたら、最高にうれしいですね。
写真・記事:メンズバニラ編集部

会社情報

やる気のある方!随時昇給有り!
妻天グループ
職種 ナイトワーク/無店舗型
地域 大阪府・梅田

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