PROFESSIONAL
INTERVIEW
32
YESグループ横浜
店長・幹部候補
二瓶 亮一さん 43歳

周囲の支えがあったからこその今がある。恩返しの意識が再起の鍵を握っていた

周囲の支えがあったからこその今がある。恩返しの意識が再起の鍵を握っていた

YESグループ横浜

店長・幹部候補
二瓶 亮一さん 43歳
年収
700万以上
勤続年数
16年0ヶ月

地元・福島で会社を経営する一家に生まれ、27歳のときに『YESグループ』へ入社。現在は同グループが手がける『Blue Stone』にて店舗責任者を務める。
また取材前日には日焼けサロンと美容室をハシゴし、自身のビジュアルを“ちょいワルなアラフォー”として演出することに成功。持ち前のお茶目かつ親しみやすい人柄で、周囲からも愛されている。

大学受験失敗からの海外留学。裕福な家庭に生まれたからこその“スネをかじり続ける”生活

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――実は育ちがいいというウワサをお聞きしました。

祖父が会社を経営していて、僕自身わりと過保護に育てられたんですよ。ヤンキーとかワルではなかったけど、何かあれば金で解決する生意気なやつでしたね。
高校は地元でそれなりに名の知れた進学校でした。大学の附属校だったのでエスカレーター式に進学できるだろうと。学校には行かずに友達とずっと遊んでましたね。成績は下から3番目とかそんな感じ。いくら附属とはいえ、内部進学なんてできなくて……気付いた頃にはもう間に合わないわけで(笑)。
でも卒業時に進路が決まってないのはバツが悪いじゃないですか。そしたら祖父が「金は出してやるから海外に行け」って。それでハワイに語学留学することになるんですよ。

――留学先では真面目に勉強を?

まあ遊びますよね。
ここでも学校なんてほとんど行かずに、旅行気分で楽しくやってました(笑)。で、半年くらい経って学生ビザを取り上げられるんですよ(笑)。「学校来てないでしょ?」って。

――志半ばで帰国されると。

実家を継ぐ気もなければ、夢もなかったので、26歳くらいまでは親と祖父のスネをかじる生活でした。友達の家で朝までゲームをしたり、雀荘に入り浸ったり……。
あの頃は大人になったら勝手に家が建って、勝手に結婚できるもんだと思ってましたね。世間知らずってこういうことだなと、大人になって気付きました。緊張感ないんですよ、人生に(笑)。

――26歳まで働くこともなかった?

雀荘の手伝いとかでバイトはちょこちょこ。でも基本的には家のクレジットカードを無断で持ち歩いてましたね(笑)。
で、ようやく26歳のときに社会人デビュー。知り合いから誘われて飲食店のオープニングスタッフとして入社しました。そこでは1年くらい働いてましたね。
でもあるとき、一番仲のよかった同僚のAくんが神奈川県に引っ越すことになって「こっちに友達がいないから、来てほしい」って(笑)。
もう実家に「引っ越すから金をくれ」とか言える環境じゃなかったんですけど、Aくんが「都会にはこんな仕事があるんだよ。寮もあるよ」ってナイトレジャー業界の存在を教えてくれたんです。
スポーツ新聞で求人を探して、名前が一般的だしシンプルだっていう理由で『YESグループ 横浜』に応募しました。今は会社名で運営しているのはわかってるんですけど、当時は職場に親から電話がかかってきたらどうしようと思っていて(笑)。

遊びすぎたがゆえの異動と降格を経験。そこで出会った上司が“大人になるきっかけ”を与えてくれた

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――新しい環境はどうだった?

最初は大変でした。今以上に人手が不足してたので、ほとんど休みなんてなかったし、通し勤務も多くて。これでも真面目にがんばってたんですよ(笑)。
4年目には『Sharon』で店長に昇格しました。たまたま上の人が辞めてしまって、僕が仮の店舗責任者に収まるんです。で、「3カ月連続で売上目標を達成したら店長に昇格」って言われて。それまでの3年間、遊ぶ時間がないくらい過酷な環境でやっていたのもあってそれなりに実力がついていたんでしょうね。あっさり達成しちゃったんですよ(笑)。

――素晴らしい。

でもあの時代の店長って、仕事をしないで部下に任せるのが普通だったんですよね。僕もそれを見て育ったので「これでいいんだ」と思ってやっていたら、遊びすぎてしまうっていう(笑)。
天狗になってましたね。仕事がある日もパチンコ、キャバクラ、プラモ作り……制服すら着てなかったです。そしたら売上成績も下がって、別の店に異動になって、そこでも結局結果が出せず……。主任に降格して『YOKOHAMA Production』に移ると。
そこで今の統括部長のDさんと出会うんです。僕が大人になるきっかけを与えてくれた恩人ですね。

――大人になるきっかけ?

社会の荒波に立ち向かうリハビリをさせてくれたんです。
Dさんは少年マンガみたいなことを言うんですよ。「友情・努力・勝利」とか、そういうのを(笑)。カリスマ性なのかな、あの人が言うと“グルーヴ”が生まれるんですよね。「出たね、今!」って。
あとは男ってみんな、戦略的な話が好きじゃないですか。「攻めるときは一気に攻めるんだ」「今は我慢のタイミング」とか。グルーヴを生み出す熱い言葉で周りを勢いに乗せてくれるので、今まで以上に自分の仕事に興味を持つようになりましたね。
で、2年くらい経った頃に、僕の企画で『YOKOHAMA Production』がグループ内で下半期の売上1位になって。昇格に必要な数字もクリアして「これはもう1回昇格できるでしょ!」って思うじゃないですか。でも最終的に、企画には関わらなかった別の人が昇格して、僕はふてくされるんですよ。
辞めることも考えながら働いてましたね。

――ずっとふてくされたまま?

しばらくは(笑)。2011年にグループが茨城県の土浦市に進出して、立ち上げのために異動したのがまた1つ大人になるきっかけになるんですけどね。

恩返しをすることが“結果と昇格”へつながった。レールを外れ、今度は自分の力で道を切り拓く

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――大人になるきっかけ再び。

で、その当時配属された先の店長が子育て上手な人だったんです。特に長所の伸ばし方が本当に素晴らしくて。
僕は集中力がないんですけど、自由な視点で面白い発想が思いつくところがあって、そこを伸ばしてもらいましたね。もちろん短所は矯正してもらいながら(笑)。
それまで自覚はなかったけど、ADHDだったんですよ、僕。カタカナの読み書きができないとか、言われてみると納得がいく部分が多くて。店長はそんな性格に合わせたかたちで指摘してくれるから「この人の言うことは間違いないな」って思うようになりました(笑)。おかげで、今まで意識すらしてなかった“人の気持ち”も考えられるようになったんですよ。

――辞める気持ちもなくなった?

でもその頃はまだ辞めるつもりでした。中途半端に長い年数働いていると、何かきっかけでもない限り辞めづらいし、慣れ親しんだ横浜にも戻りたくて。だから40歳になったら辞めようと思っていて、Dさんにも伝えていました。
で、40歳になったときにDさんに「本当に辞めるの?」と聞かれて、「辞めますよ」って言ったら「横浜に戻れるように言うよ。それならがんばれるでしょ」って。それで異動が決まったんです。

――横浜に戻ってきてからの変化は?

40歳になるまで学生のノリで生きてましたからね。貯金なんてしないで、もらった給料は全部小遣いにするみたいな(笑)。自分のことだけを考えて働いてたんですよ。でも戻ってきてからは、僕を育ててくれた人たちへの恩返しのために仕事をしようと思うようになりました。もういい加減、大人にならないとダメだなって。
そうやって意識を変えたら結果も出るようになったし、また昇格もできたんですよ。横浜に戻るにあたって、1つ降格して副主任からのスタートだったんですけど、副店長兼店舗責任者として店を任せてもらえるところまで来ちゃいました(笑)。

――今後は?

今任されている『Blue Stone』が近々リニューアルするんです。店名もコンセプトも自分で決めていいことになっていて……。
僕の人生って、今まではずっと祖父やDさんとか、上の人たちが全部レールを敷いてくれてたんですよ。で、その指示の中で結果を出して評価してもらってただけ。だから今度は自分で道をつくる番なんです。絶対そっちのほうが面白いし、僕の長所である自由な発想も活かせるんじゃないかな。楽しみですね。
写真・記事:メンズバニラ編集部

会社情報

接客もしたことがない><PCだって自信がない。。人が初めは多いので心配は無用♪♪
YESグループ横浜
職種 ナイトワーク/店舗型
地域 東京都・渋谷

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