PROFESSIONAL
INTERVIEW
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YESグループ横浜
店長・幹部候補
村山 和也さん 37歳

デカいことをするにもまずは土台から。農業で学んだ手法がナイトレジャーを変革する

デカいことをするにもまずは土台から。農業で学んだ手法がナイトレジャーを変革する

YESグループ横浜

店長・幹部候補
村山 和也さん 37歳
年収
500万以上
勤続年数
9年1ヶ月

北海道旭川市出身。高校中退後、農業法人経営、土木作業員、不動産営業、水商売などさまざまな職種を転々としたのち『YESグループ』に入社。
札幌エリア勤務時代は独自の手法により数々の店舗の売上をV字回復させることに成功。
2017年2月より横浜に異動し、さらなる変革を志す“北の風雲児”。

“何をしても長続きしない”日々の中、父親と始めた農業法人。3年で夢破れ、札幌へ

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――10代から20代までの間はさまざまな職種を転々とされたとお聞きました。

そうですね。集団行動が苦手というか「ああしろこうしろ」みたいなのが昔からダメで。高校も中退しましたし、土木系や住宅販売、水商売など、その後の仕事も長続きしなくて転々としていました。
それなりに続いたのは、親父と始めた農業法人ですかね。23歳くらいの頃、親父が突然「会社を作って農業をやろう」と。自分たちの会社なら誰かに指示されるようなこともないし、農業も今までやっこともなかったし、楽しいかもしれないと思って。資本金は半分ずつ。親父が経営、俺が中身を作るっていう感じですね。

――規模的にはどれくらい?

農業をやめた近隣のおじいちゃんおばあちゃんたちから、寝かせていた農業用地を借りて、さらにその人たちにも手伝ってもらって、そこに若い労働力として俺が工事現場で働いていた頃の仲間を連れてきて、地元の旭川でスタートさせました。
東京ドーム260個分くらいの総面積でいろいろな野菜を作っていたんですけど、どの作物にも「コメは新潟」「メロンは夕張」とかあるじゃないですか。だから自分たちはモノじゃなくて人に価値を付けようと思って。当時はまだ「作っているのはこんな人たちです」っていう写真がスーパーとかで出始めた頃だったんですよ。そこで「ハッタリでもいいから地域で一番目立つことをしよう」と思って、自分たちの価値を上げていくためにコンクールに作物を出して金賞を取ったり、大学に行って講師をしたりしてました。
もちろん、腕がないと売れないっていうのは当然あったので、農作物を作る腕も磨きましたよ。自給自足は今でもできます(笑)。

――順調に見えますが、その後は?

3年間はとにかくがむしゃらにやってたんですけど、最後の頃は全然資金が回らなくて。結局、借金を抱えたまま会社を畳みましたね(笑)。
自分が負った負債は置いといて、とりあえず身内に借りた分だけは返そうと、札幌に出て仕事を探すことにしました。
札幌に来てからは住宅の営業をやってみたり、飲み屋の店長をやってみたりするんですけど、いつかはもう一度会社を始めたいと思っていたので、そのときに何か活かせる知識や経験が身に付く場所で働きたいと思って、挑戦の場としてナイトレジャー業界に飛び込んだっていう感じですね。

いつかは再び会社を始めたい。そんな思いで“タテ社会で成り上がるための挑戦”をスタート

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――挑戦の場とはいえ、なぜナイトレジャー業界を?

タテ社会の中でどこまで上り詰められるのかっていう勝負がしたいし、借金を返すためにお金も欲しいし、っていうところですね。ここで勝ち上がることができれば、もう一度自分で会社を始められるかもしれないし、逆にどうにもならなかったら何やってもダメだろうなって。農業には俺の中ではまだまだ未来があると思ってて、今ならもう少しうまくできるんじゃないかなって部分もあるんですよ。
最初は知り合いから紹介されて『YESグループ』とは別のグループで働き始めたんですよね。「ウェブ関係とか、POPとか、店自体も全部できる」って聞いてたんですけど、実際は1から10まで全部マニュアルで誰がやっても一緒というか。何か変わったことをしたくても、言うだけ無駄、考えるだけ無駄みたいな。1年くらい働いて主任っていう肩書ももらったんですけど、つまんないなーと思って辞めました。

――それでどうして『YESグループ』に?

辞めるときに、以前『YES』からそこに移ってきたスタッフと話をしていたことを思い出して。「もっと自分の裁量でやりたい」っていう話の流れから「村山さん、それだったら絶対『YES』のほうが面白いと思いますよ」「1人ひとりに任される裁量も全然違うし。それに人を1人蹴落とすのも、のし上がっていくのも、こことは比べ物にならないくらい『YES』のほうが気持ちいい」って。「これは『YESグループ』面白そうじゃないか」と(笑)。
で、面接のときにはもう腹も決まってたんで、なんなら札幌じゃなくても、入れるならどのエリアでもいいやと。給料が半額になったとしても、どんな条件を出されても、そこから一気に上がってやろうと思って。そのときの面接を担当してくれた人にも「絶対に『YES』でやってやるんで見ててください」って偉そうなこと言ってましたね(笑)。
それが28歳くらいの頃です。

――『YESグループ』の村山さんが誕生すると。

最初に入ったのが当時グループ内で全国最下位だった『PRESIDENT』っていう店ですね。その店の売上を立て直すためにがむしゃらにやっているうちに、店長までいきました。当時、最短記録だと言われたのは覚えてます。そもそも遅かれ早かれそこまで上がるつもりで、朝から晩までてっぺんになることだけ考えていたんで、どれくらいかかったのかは忘れましたけど(笑)。

店づくりのすべては農業に通ず。おじいちゃんおばあちゃんから学んだ感覚がナイトレジャーを変革する

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――最短記録の要因は?

俺、農業やってたじゃないですか。そのときに、おじいちゃんおばあちゃんから「物を大事にする」っていうのを教わったんですよね。何も言わない物に愛情を込めて育てて、おいしい野菜を作る。物に対しても“生き物”って感覚なんですよ。雑に扱うんじゃなくて気持ちが入るっていうんですかね。
で、「それは掃除じゃない、整理だ」「掃除1つ、挨拶1つ、そこから変えていこう」って周りに伝えていきました。そうやって営業スタイルを変えたら売上がぐんぐん上がっていくんですよ。
そこを評価されて店長になってからは『PRESIDENT』を全国1位まで押し上げて……それからですかね、給料よりも店の立て直しにやりがいを感じるようになったのは。

――立て直しが楽しい?

店長って基本給に歩合が乗って月給90万円とかになるんですけど、俺の場合は金が欲しかったらまた別の店を立て直して稼げばいいじゃないかみたいな(笑)。
『PRESIDENT』以降も、伸び悩んでいる店があれば上層部に掛け合って「あの店はこのままだとダメになるから俺にやらせてくれ」っていう感じで、札幌エリアの店を立て直しまくっていました。あのときの自分は無敵だと思ってましたね(笑)。

――テクニック的なものがある?

店を運営するのはスタッフなんで、まずは全員の目標地点を揃えるっていう意識付けを大切にしています。そこから店としてのブランドを作り上げる。そうすれば「あの店が選んだ子だからきっといい子に違いない」っていうところで、女の子も稼げるし。失敗やクレームも店にとっては大切な肥料ですね。
手法としては農業と変わらないです。農業は土が命。デカいことをするにもまずは土台作りから、っていう。

――そして現在は横浜に。

札幌エリアの部長だった方が横浜に異動して「横浜に力を貸してほしい」と、1年前に『螢』へ配属されました。『螢』は横浜エリアでグループ最下位だったんですけど、スタッフの衣装を変えたりホームページのデザインを変えたり、札幌時代と同じように店としての意思統一を図ることで、エリア1位にまで押し上げました。
この店はもっと上に行けると思うんですよ。ただ現状、利用者の大半はグループの会員様。だからこれからは「変革」をキーワードに、新規のお客様も獲得できるような施策を打って、横浜はもちろん、グループ全体を盛り上げたい……っていうのが今のところの野望です。
写真・記事:メンズバニラ編集部

会社情報

接客もしたことがない><PCだって自信がない。。人が初めは多いので心配は無用♪♪
YESグループ横浜
職種 ナイトワーク/店舗型
地域 神奈川県・横浜

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