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グランドオペラ横浜
高井さん 43歳
店長・幹部候補
年収2,000万円以上
勤続年数12年3ヶ月
試行錯誤を繰り返してつかんだ経営哲学。飽くなき向上心を胸に奮闘するナイトレジャー界の風雲児
不動産の営業職からニートへ。デイトレーダーで一儲けを夢見るも“人生はお金じゃない”と気付く

――これまでの経歴を。
大学を卒業してから不動産会社に就職しました。そこは新卒でも結果が出たときには40万円とか50万円とか給料がもらえて。ただ超絶スパルタで、最初は20人いた新卒が1カ月で10人辞めていきました。結局1年経って残ったのが5人くらい。2年目で中堅みたいな(笑)。
普通の会社が3年かけて教えることを1年で詰め込まれたんで、3年働いたら知識や営業力がすごく身に付いていたんですよね。だから転職を考えたときには、同じ業種の会社から引く手あまたでした。「おたく厳しいでしょ? うちに来ない?」みたいな。
――別の不動産会社に引き抜かれた?
ええ。ただ次の会社はアパートやマンションの賃貸を専門に取り扱っていたんです。1社目は事務所専門の不動産だったので、お客様のほとんどが中小企業の社長や部長。契約を取りたければヘーコラして機嫌を取っていればよかったんですよ。でも住まいを探している人が相手だと、そういうのは全然通用しなくてダメでした。だから一生懸命営業トークなんかを勉強したんです。
給料のインセンティブはアパート、マンションのほうが高いんです。そこでは2年くらい働いて400~500万円くらい貯金ができましたね。その後は半年ほど別の不動産会社で働いて、それからニートになりました(笑)。
――なぜニートに?
もちろん最初は不動産業で食っていく予定だったんですけど、なんかもう営業に疲れちゃって(笑)。それで当時デイトレーダーが流行ってたから、貯金を使ってやってみようって。
ちょっとずつがんばったおかげでお金も増えていったんですけど、結局あれってギャンブルじゃないですか。最初はがんばって収支をプラスにしたのに、3年くらいやっていくうちに結局元の貯金額に戻ってしまって……。まあマイナスじゃなくてよかったなと(笑)。
――ニート時代に得たものは?
「株取引で儲けても楽しくない!」ってことですね。人生お金じゃないなって感じました。まあお金もなくなったんですけど(笑)。で、「お金じゃないなら何なんだ」って考えたときに、仲間たちと1つの目標を目指して一生懸命がんばるってことかなと思ったんですよ。とにかくニート時代は1人ぼっち感がハンパなくて寂しかったんでしょうね。友人を遊びに誘っても「仕事だから無理」って。まあ生活している時間が違うので当たり前だったんですけど(笑)。
大学を卒業してから不動産会社に就職しました。そこは新卒でも結果が出たときには40万円とか50万円とか給料がもらえて。ただ超絶スパルタで、最初は20人いた新卒が1カ月で10人辞めていきました。結局1年経って残ったのが5人くらい。2年目で中堅みたいな(笑)。
普通の会社が3年かけて教えることを1年で詰め込まれたんで、3年働いたら知識や営業力がすごく身に付いていたんですよね。だから転職を考えたときには、同じ業種の会社から引く手あまたでした。「おたく厳しいでしょ? うちに来ない?」みたいな。
――別の不動産会社に引き抜かれた?
ええ。ただ次の会社はアパートやマンションの賃貸を専門に取り扱っていたんです。1社目は事務所専門の不動産だったので、お客様のほとんどが中小企業の社長や部長。契約を取りたければヘーコラして機嫌を取っていればよかったんですよ。でも住まいを探している人が相手だと、そういうのは全然通用しなくてダメでした。だから一生懸命営業トークなんかを勉強したんです。
給料のインセンティブはアパート、マンションのほうが高いんです。そこでは2年くらい働いて400~500万円くらい貯金ができましたね。その後は半年ほど別の不動産会社で働いて、それからニートになりました(笑)。
――なぜニートに?
もちろん最初は不動産業で食っていく予定だったんですけど、なんかもう営業に疲れちゃって(笑)。それで当時デイトレーダーが流行ってたから、貯金を使ってやってみようって。
ちょっとずつがんばったおかげでお金も増えていったんですけど、結局あれってギャンブルじゃないですか。最初はがんばって収支をプラスにしたのに、3年くらいやっていくうちに結局元の貯金額に戻ってしまって……。まあマイナスじゃなくてよかったなと(笑)。
――ニート時代に得たものは?
「株取引で儲けても楽しくない!」ってことですね。人生お金じゃないなって感じました。まあお金もなくなったんですけど(笑)。で、「お金じゃないなら何なんだ」って考えたときに、仲間たちと1つの目標を目指して一生懸命がんばるってことかなと思ったんですよ。とにかくニート時代は1人ぼっち感がハンパなくて寂しかったんでしょうね。友人を遊びに誘っても「仕事だから無理」って。まあ生活している時間が違うので当たり前だったんですけど(笑)。
アルバイトから新店の立ち上げ責任者に抜擢。軌道に乗せるも“赤字店の立て直し指令”によって福岡へ

――『グランドオペラ』で働き始めるまでの経緯は?
『名古屋プレジャーグループ』系列の店にアルバイトで入社しました。ナイトレジャーと関係ない普通の店です。「オープニングスタッフ募集」の広告を見て、嫌な先輩がいなければどこでもいいやって(笑)。とにかく3年間グータラな生活を送っていたんでリハビリだと思って働いてました。
で、1年ほど経ったころ「名古屋で新規ブランドの店を社長として立ち上げてみないか」って話がありまして。このときにナイトレジャー関連も手がけるグループだったことを知るわけですね。
――1年の働きが認められた?
とにかく真面目に働いてました(笑)。でも今から考えるとリスキーですよね。何の実績もない男が社長ですから。当然ナイトレジャー業界に関する知識もなく、2カ月くらい別店舗で研修を受けただけ。
――大変だったのでは?
今思い返してもがんばったと思いますね。泥臭い話なんですけど、朝9時に出社して帰るのは夜中の3時とか4時。最初の2年は3人くらいで店を回してたから休みもなくて。365日中、360日くらい働いてました。ほぼゼロからのスタートなので、自力で知識を身に付けて何とかしようと試行錯誤してましたね。
そんな経緯もあってすぐ黒字になったんですよ。で、名古屋店の立ち上げから2年後に福岡店ができました。そうして4~5年経って売上も僕の給料も増えてきて「やっと人並み以上の生活ができる!」と思った矢先、「福岡を見てくれ」って指令が……。
――名古屋で発揮した手腕を買われた?
当時は嫌がらせだって思いました(笑)。福岡店は立ち上がってからの2年間まるでダメで、1億円くらいの赤字を垂れ流している状態。そこで僕の出番になったわけです。
ただ、いくら僕が社長でもみんな言うことを聞いてくれない。「ここにはここのやり方がある」みたいな。そこで、若いスタッフとかに少しずつ僕の考えを理解してもらって……言うなれば“高井イズム”の継承を(笑)。そうしたうえで、みんなで目標達成を目指してがんばりましたね。福岡にいたのは6年くらいかな。
現在福岡店はモデル店舗といえるところまで成長してくれました。若くて活きのいいスタッフたちが連携して、店長だけでなく、みんなで店のことを考えて意見を出し合うみたいな。だからもう僕がいなくても大丈夫。僕の教えと人材育成のおかげだって書いておいてください(笑)。
『名古屋プレジャーグループ』系列の店にアルバイトで入社しました。ナイトレジャーと関係ない普通の店です。「オープニングスタッフ募集」の広告を見て、嫌な先輩がいなければどこでもいいやって(笑)。とにかく3年間グータラな生活を送っていたんでリハビリだと思って働いてました。
で、1年ほど経ったころ「名古屋で新規ブランドの店を社長として立ち上げてみないか」って話がありまして。このときにナイトレジャー関連も手がけるグループだったことを知るわけですね。
――1年の働きが認められた?
とにかく真面目に働いてました(笑)。でも今から考えるとリスキーですよね。何の実績もない男が社長ですから。当然ナイトレジャー業界に関する知識もなく、2カ月くらい別店舗で研修を受けただけ。
――大変だったのでは?
今思い返してもがんばったと思いますね。泥臭い話なんですけど、朝9時に出社して帰るのは夜中の3時とか4時。最初の2年は3人くらいで店を回してたから休みもなくて。365日中、360日くらい働いてました。ほぼゼロからのスタートなので、自力で知識を身に付けて何とかしようと試行錯誤してましたね。
そんな経緯もあってすぐ黒字になったんですよ。で、名古屋店の立ち上げから2年後に福岡店ができました。そうして4~5年経って売上も僕の給料も増えてきて「やっと人並み以上の生活ができる!」と思った矢先、「福岡を見てくれ」って指令が……。
――名古屋で発揮した手腕を買われた?
当時は嫌がらせだって思いました(笑)。福岡店は立ち上がってからの2年間まるでダメで、1億円くらいの赤字を垂れ流している状態。そこで僕の出番になったわけです。
ただ、いくら僕が社長でもみんな言うことを聞いてくれない。「ここにはここのやり方がある」みたいな。そこで、若いスタッフとかに少しずつ僕の考えを理解してもらって……言うなれば“高井イズム”の継承を(笑)。そうしたうえで、みんなで目標達成を目指してがんばりましたね。福岡にいたのは6年くらいかな。
現在福岡店はモデル店舗といえるところまで成長してくれました。若くて活きのいいスタッフたちが連携して、店長だけでなく、みんなで店のことを考えて意見を出し合うみたいな。だからもう僕がいなくても大丈夫。僕の教えと人材育成のおかげだって書いておいてください(笑)。
売上をV字回復させた人材育成。夢は『グランドオペラ』を“グループ全体を飛躍させる起爆剤”へ育てること

――福岡店のあとはどちらに?
福岡店に行ってから数年後に東京店、そして横浜店が立ち上がりました。僕は横浜の立ち上げに携わって、そこからまた名古屋。で、横浜に戻って、次は東京。そして現在はまた横浜……みたいなかたちで、売上が落ちるたびにいろいろな店に行ってました。もう本当に大変ですよ。でも、結果を出さないとみんなの給料にもダイレクトに響いてしまうので、細かいところにも気を配って必死になってがんばりましたね。
――現在は横浜店の店長も兼任?
いや、今は陽気で明るい店長がいます。その子はもともと東京店のスタッフで、「横浜の店長をやりたい人は手を挙げて」って言ったら手を挙げたので店長になってもらいました(笑)。
――随分あっさりとした決め方……。
横浜店は今までなかなか軌道に乗らなくて、その都度僕が立て直しに行ってたんですね。ただ、それではやっぱりダメだから、東京店のスタッフの中から立候補を募ったというわけです。彼が店長になってから売上も安定しました。本当に人材育成って大事だなとつくづく思いましたね。
――今後の夢は?
当面は東京オリンピック開催や公営カジノのオープンまでにもっと人員を増やして、売上も2倍、3倍にしたいですね。その後は新たな店舗展開をして、10年後には僕の年収が1億円に達すると(笑)。うちのグループは売上さえ上げれば給料は青天井らしいから、やっぱり夢は大きく持たないとね。
がんばって店長になっても、そこに胡坐をかいていては売上が落ちて結果的に給料も減ってしまいます。だからこそ、「さらに上を目指してやる」という向上心を常に持ち続けてほしいんです。たとえ誰かがいなくなっても売上を伸ばせるような、そんな強固な組織づくりがやっぱり大事だと思いますね。
即戦力になれるスキルは特に求めていません。それぞれに適材適所があるから、まずは向上心を持ってマジメに仕事に取り組んでもらえればOKです。もちろん、みんなが働きやすくなるような環境づくりは惜しみませんよ。ちょっとずつでも、『グランドオペラ』からグループ全体をいい方向に変えて飛躍させていければいいなと思って日々がんばってます。
やっぱり1人ぼっちのニート時代を経験しているから、みんなで一生懸命仕事してよろこびを分かち合いたいんですよね。
福岡店に行ってから数年後に東京店、そして横浜店が立ち上がりました。僕は横浜の立ち上げに携わって、そこからまた名古屋。で、横浜に戻って、次は東京。そして現在はまた横浜……みたいなかたちで、売上が落ちるたびにいろいろな店に行ってました。もう本当に大変ですよ。でも、結果を出さないとみんなの給料にもダイレクトに響いてしまうので、細かいところにも気を配って必死になってがんばりましたね。
――現在は横浜店の店長も兼任?
いや、今は陽気で明るい店長がいます。その子はもともと東京店のスタッフで、「横浜の店長をやりたい人は手を挙げて」って言ったら手を挙げたので店長になってもらいました(笑)。
――随分あっさりとした決め方……。
横浜店は今までなかなか軌道に乗らなくて、その都度僕が立て直しに行ってたんですね。ただ、それではやっぱりダメだから、東京店のスタッフの中から立候補を募ったというわけです。彼が店長になってから売上も安定しました。本当に人材育成って大事だなとつくづく思いましたね。
――今後の夢は?
当面は東京オリンピック開催や公営カジノのオープンまでにもっと人員を増やして、売上も2倍、3倍にしたいですね。その後は新たな店舗展開をして、10年後には僕の年収が1億円に達すると(笑)。うちのグループは売上さえ上げれば給料は青天井らしいから、やっぱり夢は大きく持たないとね。
がんばって店長になっても、そこに胡坐をかいていては売上が落ちて結果的に給料も減ってしまいます。だからこそ、「さらに上を目指してやる」という向上心を常に持ち続けてほしいんです。たとえ誰かがいなくなっても売上を伸ばせるような、そんな強固な組織づくりがやっぱり大事だと思いますね。
即戦力になれるスキルは特に求めていません。それぞれに適材適所があるから、まずは向上心を持ってマジメに仕事に取り組んでもらえればOKです。もちろん、みんなが働きやすくなるような環境づくりは惜しみませんよ。ちょっとずつでも、『グランドオペラ』からグループ全体をいい方向に変えて飛躍させていければいいなと思って日々がんばってます。
やっぱり1人ぼっちのニート時代を経験しているから、みんなで一生懸命仕事してよろこびを分かち合いたいんですよね。
写真・記事:メンズバニラ編集部

店長・幹部候補
高井さん 43歳
年収2,000万円以上
勤続年数12年3ヶ月
愛知県出身。不動産の営業として優秀な成績を残したあと、3年にわたるニート期間を経て『名古屋プレジャーグループ』関連会社にアルバイトとして入社。そこでの1年間の働きが認められて『グランドオペラ』の立ち上げに大抜擢される。
名古屋、福岡、東京、横浜各店の売上向上のみならず、人材育成にも辣腕を振るう。“高井イズム”を継承する部下たちとともに、揺るぎない鉄壁のグループづくりを目指す。
高井さんがはたらく会社の求人募集情報
リアル給与明細
店長・幹部候補
職位
店長
年齢
43歳
勤続期間
4年
-
合計950,000円
-
基本給300,000円
-
役職手当30,000円
-
休日出勤手当60,000円
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住宅手当30,000円
-
売上達成手当500,000円
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携帯電話代20,000円
-
その他手当10,000円
店舗スタッフ
職位
店長補佐
年齢
34歳
勤続期間
3年
-
合計496,280円
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基本給223,600円
-
その他手当10,000円
-
休日出勤手当22,680円
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住宅手当30,000円
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売上達成手当200,000円
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携帯電話代10,000円
送迎ドライバー
職位
ドライバー・月25日勤務
年齢
52歳
勤続期間
1年
-
合計450,000円
-
時給1200円360,000円
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距離給@30円90,000円
グランドオペラ横浜
神奈川(横浜)
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