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eroina(YESグループ)
牧野亮さん 31歳
店舗スタッフ
年収600万円以上
勤続年数4年2ヶ月
二度の出戻り、三度目の正直。身勝手な自分を迎え入れてくれた場所で、さすらいの人生に終止符を
勤め先は大手グループ、“8年間で出戻り2回”。16歳で家を飛び出した青年が、夜の世界に飛び込むまで
![](https://di8n775badd8q.cloudfront.net/img/interview/957/content_img_1_20240516184644583.jpg?width=450&height=300&quality=80&type=resize)
――『eroina』に勤めて約4年とお聞きしました。入社のきっかけは?
出戻りです。しかも2回目。あまり聞かないですよね(笑)。
――なかなか珍しいケースかと……(笑)。
ちなみにこの数字は、母体企業の『YESグループ』に出戻った回数であって、『eroina』の前はグループの別店舗で働いていました。最初は札幌、次に沖縄、そして今の横浜へ。トータルすると社歴は8年くらいかな。
――なるほど。では、もともとは札幌にお住まいに?
そうですね。ただ、生まれたのは新潟で、育ちは北海道の田舎町。で、16歳のときに実家を飛び出して、数年後に札幌へ行きました。追い出された、のほうが正しいかも。
――何があったんですか?
えーっと……素行が悪くて(笑)。お恥ずかしい話、中学にあがった頃から友達と夜遊びするようになり、まともに学校へ行ってないんですよ。先輩の職場でこっそりバイトもしていました。もう時効なので言っちゃいますが、稼いだ金の使い道は競馬とパチンコです(笑)。
とまあそういう生活を送っていた僕が、高校への進学を考えるはずもなく。そもそも出席日数が少なすぎる、内申書が悪すぎるで、受験できる学校もなかったと思うし。だけど担任の先生が「病気の休学扱いにして、もう1年間しっかり通うか?」と提案をしてくれた。それでお願いしますと答えたのに、結局また、夜遊び、バイト、ギャンブルの日々。そりゃあ親も怒りますよね。「もう好きにしろ」って、完全に愛想を尽かされたかたちです。
――実家を出てどのような生活を?
ギャンブルで小銭を稼ぎつつ、友人宅を転々とする生活を……4年ほど。
――長いですね!
長すぎますよね(笑)。あの頃の僕は「今が楽しければいい」みたいな感じで、将来のこととか、何も考えていなかったんです。実際、毎日が楽しかったし、それなりになんとかやれたしで、あっという間に時間が過ぎて、気が付けばハタチになっていたという。で、ようやく「そろそろ就職しなきゃマズイかな」って気持ちになるんです。『YESグループ』の求人を見つけたのはそんなときでした。
――なぜ風俗業界へ?
特に理由は……。なんか面白そうだし働いてみようかな、くらいのノリ。まあ、学歴も経験も関係ないとか、高収入を稼げるとか、そういうイメージはあったので、自然とナイトワークに目が向いていたのかもしれません。でも結局、悪い虫が騒ぎ始めちゃったんですよね。
出戻りです。しかも2回目。あまり聞かないですよね(笑)。
――なかなか珍しいケースかと……(笑)。
ちなみにこの数字は、母体企業の『YESグループ』に出戻った回数であって、『eroina』の前はグループの別店舗で働いていました。最初は札幌、次に沖縄、そして今の横浜へ。トータルすると社歴は8年くらいかな。
――なるほど。では、もともとは札幌にお住まいに?
そうですね。ただ、生まれたのは新潟で、育ちは北海道の田舎町。で、16歳のときに実家を飛び出して、数年後に札幌へ行きました。追い出された、のほうが正しいかも。
――何があったんですか?
えーっと……素行が悪くて(笑)。お恥ずかしい話、中学にあがった頃から友達と夜遊びするようになり、まともに学校へ行ってないんですよ。先輩の職場でこっそりバイトもしていました。もう時効なので言っちゃいますが、稼いだ金の使い道は競馬とパチンコです(笑)。
とまあそういう生活を送っていた僕が、高校への進学を考えるはずもなく。そもそも出席日数が少なすぎる、内申書が悪すぎるで、受験できる学校もなかったと思うし。だけど担任の先生が「病気の休学扱いにして、もう1年間しっかり通うか?」と提案をしてくれた。それでお願いしますと答えたのに、結局また、夜遊び、バイト、ギャンブルの日々。そりゃあ親も怒りますよね。「もう好きにしろ」って、完全に愛想を尽かされたかたちです。
――実家を出てどのような生活を?
ギャンブルで小銭を稼ぎつつ、友人宅を転々とする生活を……4年ほど。
――長いですね!
長すぎますよね(笑)。あの頃の僕は「今が楽しければいい」みたいな感じで、将来のこととか、何も考えていなかったんです。実際、毎日が楽しかったし、それなりになんとかやれたしで、あっという間に時間が過ぎて、気が付けばハタチになっていたという。で、ようやく「そろそろ就職しなきゃマズイかな」って気持ちになるんです。『YESグループ』の求人を見つけたのはそんなときでした。
――なぜ風俗業界へ?
特に理由は……。なんか面白そうだし働いてみようかな、くらいのノリ。まあ、学歴も経験も関係ないとか、高収入を稼げるとか、そういうイメージはあったので、自然とナイトワークに目が向いていたのかもしれません。でも結局、悪い虫が騒ぎ始めちゃったんですよね。
“悪い虫は二度騒ぐ”。自由気ままに、興味の赴くままに。北へ、南へ、海外へ
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――「悪い虫が騒ぐ」というと……。
遊び歩いていた生活が恋しくなっちゃって(笑)。
最初に入社したその店舗型ヘルスには、一応、3年いたんです。風俗遊びの経験はおろか、まともな社会人経験がなかったので、最初は失敗ばかりでしたけどね。上司も同僚も気さくでいい人たちばかりだったし、頭ごなしに怒られることもなかったから、すごく働きやすかった。だけど仕事にも慣れ、毎日が安定すればするほど、自由気ままに暮らしたくなったというか。好きなときに寝て、起きて、したいことをしたいときにする、みたいな。
――それで退職を?
はい。1回目の。ずいぶんと身勝手な理由でしょ?(笑)
――(笑)。その後は?
上京しました。「北海道を出て新しい世界を見てみよう」と思ったんです。それで何をしていたのかといえば、パチンコ、スロット、競馬なんですけどね(笑)。寝泊まりする場所も、新しく出来た知人の家を転々とするという、相変わらずのスタンス。たまに公園と漫画喫茶が加わっていたくらい(笑)。
そのあと同じような理由で大阪へ行き、同じような生活を。のべ1年くらいかな。で、今度はどこへ行こうと考えていたときに、札幌時代の同僚から電話がかかってきたんですよ。「沖縄の店が人手不足なんだけど、よければまた働かないか?」って。
――誘われての出戻りだったんですね。
素直にうれしかったですよ。そうやって求められた経験がなかったから。あと、沖縄で働くのも面白そうって気持ちもありました。そんなわけでまた働かせてもらうことにしたんです。
だというのに、今度は韓国のカジノに興味を持ってしまい……。
――まさか……。
店長に「すいません。韓国へ行きます」と伝えました。さすがに気まずかったし、迷惑かけて申し訳ないと思いましたが、どうしても勝負してみたくて。3万円だけ握りしめて渡航したんです。25歳のときですね。
――3万円では心もとないのでは?
軍資金が潤沢だと甘えちゃうので。3万円を増やせないようであれば、それまでの運だったということ。言うなれば自分の中の挑戦です(笑)。
それがふたを開けてみれば連勝続き。日本時代の収支はよくてトントン、月に30万円も稼げればいいほうだったのが、その10倍は稼げるように。滞在当初はホームレスが集まる体育館みたいな施設で過ごしていたのに、2年後にはでっかいマンションを借りて暮らしていました。
遊び歩いていた生活が恋しくなっちゃって(笑)。
最初に入社したその店舗型ヘルスには、一応、3年いたんです。風俗遊びの経験はおろか、まともな社会人経験がなかったので、最初は失敗ばかりでしたけどね。上司も同僚も気さくでいい人たちばかりだったし、頭ごなしに怒られることもなかったから、すごく働きやすかった。だけど仕事にも慣れ、毎日が安定すればするほど、自由気ままに暮らしたくなったというか。好きなときに寝て、起きて、したいことをしたいときにする、みたいな。
――それで退職を?
はい。1回目の。ずいぶんと身勝手な理由でしょ?(笑)
――(笑)。その後は?
上京しました。「北海道を出て新しい世界を見てみよう」と思ったんです。それで何をしていたのかといえば、パチンコ、スロット、競馬なんですけどね(笑)。寝泊まりする場所も、新しく出来た知人の家を転々とするという、相変わらずのスタンス。たまに公園と漫画喫茶が加わっていたくらい(笑)。
そのあと同じような理由で大阪へ行き、同じような生活を。のべ1年くらいかな。で、今度はどこへ行こうと考えていたときに、札幌時代の同僚から電話がかかってきたんですよ。「沖縄の店が人手不足なんだけど、よければまた働かないか?」って。
――誘われての出戻りだったんですね。
素直にうれしかったですよ。そうやって求められた経験がなかったから。あと、沖縄で働くのも面白そうって気持ちもありました。そんなわけでまた働かせてもらうことにしたんです。
だというのに、今度は韓国のカジノに興味を持ってしまい……。
――まさか……。
店長に「すいません。韓国へ行きます」と伝えました。さすがに気まずかったし、迷惑かけて申し訳ないと思いましたが、どうしても勝負してみたくて。3万円だけ握りしめて渡航したんです。25歳のときですね。
――3万円では心もとないのでは?
軍資金が潤沢だと甘えちゃうので。3万円を増やせないようであれば、それまでの運だったということ。言うなれば自分の中の挑戦です(笑)。
それがふたを開けてみれば連勝続き。日本時代の収支はよくてトントン、月に30万円も稼げればいいほうだったのが、その10倍は稼げるように。滞在当初はホームレスが集まる体育館みたいな施設で過ごしていたのに、2年後にはでっかいマンションを借りて暮らしていました。
さすらいの人生に終止符を。三度迎え入れてくれた働きやすい会社、主任の役職は“本気の証”
![](https://di8n775badd8q.cloudfront.net/img/interview/957/content_img_3_20240516184728171.jpg?width=450&height=300&quality=80&type=resize)
――なぜ日本へ戻ることに?
コロナです。カジノは閉業、僕は国外退去。それで「さあ、どうしよう」っていう。1食7,000円もする日本料理が朝食、みたいな日常を送っていたので、貯金もほとんど残っていなかったんですよね。
――ということは、また昔の生活に?
いえ、もう懲りました(笑)。なまじっか贅沢に触れてしまったぶん、失ったときのダメージがデカかったというか。「今日を楽しむ」より「明日どうなるか」のリスクを痛感したというか。それに、いつまた“第二のコロナ”がやってくるかもわからないですし。とにかく、帰国した僕が考えたことは「これからはちゃんと働こう」でした。
とはいえ就職先のあてなどなく。だからダメ元で連絡をしてみたんです。「もう一度だけ働かせてもらえませんか」って。
――ほかの風俗店で働く選択肢はなかった?
なかったですねえ。風俗店で働くのであれば『YESグループ』がよかった。その想いが伝わったのかな。社長が「よしわかった。もう一度がんばってみるか」と。出戻りの出戻りを許してくれたんですよ。
――三度目の正直ですね。
仏の顔も三度まで、とも言いますけど(笑)。
――(笑)。そんな牧野さんを惹きつける『YESグループ』の魅力とは。
やっぱり職場環境のよさだと思います。僕が札幌で感じた働きやすさは、沖縄でも、この横浜でも同じ。グループ全体に、分け隔てなく冗談を言い合えるような、和気あいあいとした雰囲気があります。きっと社風がそうなんでしょう。
まあ正直、言葉で「働きやすさ」や「良好な人間関係」を伝えるのは難しいですけどね。入ってみないとわからないし、自分自身がどう感じるかなので。ただ、『YESグループ』には、10年、20年と続けている人が多い。それがひとつの答えになっていればいいかな。出戻り王の僕が言うのは違う気もしますが(笑)。
――ですが、『eroina』に勤めて約4年とお聞きしました。
はい、ちゃんと続いています。おかげさまで、最近、主任の役職にも就きました。これは、僕が今度こそ本気だと判断してもらえての昇進だと思っているので、ますますがんばろうという気持ちになっていますね。
そうそう、最近といえば、周りからも言われるんですよ。「変わったね」とか「ようやく大人になったのかな」とか。ギャンブルもすっぱりと……ってのはちょっと難しいので、嗜む程度に抑えます!(笑)
コロナです。カジノは閉業、僕は国外退去。それで「さあ、どうしよう」っていう。1食7,000円もする日本料理が朝食、みたいな日常を送っていたので、貯金もほとんど残っていなかったんですよね。
――ということは、また昔の生活に?
いえ、もう懲りました(笑)。なまじっか贅沢に触れてしまったぶん、失ったときのダメージがデカかったというか。「今日を楽しむ」より「明日どうなるか」のリスクを痛感したというか。それに、いつまた“第二のコロナ”がやってくるかもわからないですし。とにかく、帰国した僕が考えたことは「これからはちゃんと働こう」でした。
とはいえ就職先のあてなどなく。だからダメ元で連絡をしてみたんです。「もう一度だけ働かせてもらえませんか」って。
――ほかの風俗店で働く選択肢はなかった?
なかったですねえ。風俗店で働くのであれば『YESグループ』がよかった。その想いが伝わったのかな。社長が「よしわかった。もう一度がんばってみるか」と。出戻りの出戻りを許してくれたんですよ。
――三度目の正直ですね。
仏の顔も三度まで、とも言いますけど(笑)。
――(笑)。そんな牧野さんを惹きつける『YESグループ』の魅力とは。
やっぱり職場環境のよさだと思います。僕が札幌で感じた働きやすさは、沖縄でも、この横浜でも同じ。グループ全体に、分け隔てなく冗談を言い合えるような、和気あいあいとした雰囲気があります。きっと社風がそうなんでしょう。
まあ正直、言葉で「働きやすさ」や「良好な人間関係」を伝えるのは難しいですけどね。入ってみないとわからないし、自分自身がどう感じるかなので。ただ、『YESグループ』には、10年、20年と続けている人が多い。それがひとつの答えになっていればいいかな。出戻り王の僕が言うのは違う気もしますが(笑)。
――ですが、『eroina』に勤めて約4年とお聞きしました。
はい、ちゃんと続いています。おかげさまで、最近、主任の役職にも就きました。これは、僕が今度こそ本気だと判断してもらえての昇進だと思っているので、ますますがんばろうという気持ちになっていますね。
そうそう、最近といえば、周りからも言われるんですよ。「変わったね」とか「ようやく大人になったのかな」とか。ギャンブルもすっぱりと……ってのはちょっと難しいので、嗜む程度に抑えます!(笑)
写真・記事:メンズバニラ編集部
![](https://di8n775badd8q.cloudfront.net/img/interview/957/profile_img_20240516184602761.jpg?width=420&height=420&quality=80&type=resize)
店舗スタッフ
牧野亮さん 31歳
年収600万円以上
勤続年数4年2ヶ月
新潟県生まれの北海道育ち。20歳のときに、店舗型ヘルスの全国チェーン『YESグループ』へ入社。札幌市にある店舗に配属された。11年後の現在は、同グループの『eroina』に勤務。主任として日々の業務に励んでいる。
「生まれたときから競馬が好きだった」と豪語するギャンブラー。嗜むジャンルも多種多彩。ただし「ほどよく勝って、しこたま負ける」とのこと。
牧野亮さんがはたらく会社の求人募集情報
リアル給与明細
店長・幹部候補
職位
マネージャー(店舗責任者)
年齢
35歳
勤続期間
8年
-
合計1,120,000円
-
基本給470,000円
-
賞与600,000円
-
表彰50,000円
店舗スタッフ
職位
副主任
年齢
28歳
勤続期間
2年
-
合計415,000円
-
基本給310,000円
-
賞与75,000円
-
表彰30,000円
その他
職位
送迎ドライバー
年齢
30歳
勤続期間
1年
-
合計4,000円
-
日給4,000円
電話応募について
メンズバニラ限定特典
個室社員寮完備!6ヶ月間家賃無料!
電話番号
0120-143-745
採用担当者:塩田
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