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エレガンス学院
茂雄さん 46歳
店長・幹部候補
年収3,000万円以上
勤続年数26年0ヶ月
不純な動機で飛び込んだ夜の世界で一国一城の主に。成功者となるのは決して夢物語ではない
社長なんて夢の話だった。“不純な動機”で夜の世界に足を踏み入れてから、サクセスストーリーの幕が開いた
――茂雄さんは現在、社長で年収3,000万円。すごく憧れます(笑)。
二十歳になるまでずっとフラフラしてた僕があれよあれよと社長になるんだから、風俗業界って夢がありますよね(笑)。
一応、漠然と金持ちになりたいという夢は学生時代から持ってたけど、社長なんて夢の話。だって高校の3年間は民宿に住み込みで働きつつ、暇な時間があればサーフィン。おかげで勉強はさっぱりだったので、最終学歴は高卒なんですよ。それから2年ほど就職もせず、いろんな波に乗りたいと思って頻繁に海外へ。生活資金がなくなると日本に帰ってきて、現場仕事で金を貯めてまた海外って感じでしたから(笑)。
――では、どういった流れで社長に?
ちょっと話が長くなりますが、聞いてもらえますか?
――お願いします(笑)。
僕は福島県いわき市の出身。いわき市には全国有数のソープ街である小名浜っていう地域があって、僕は10歳までそこで育ったんです。その後、親の転勤に伴い川崎の堀之内へ。そう、小さな頃から僕の周りには常にソープランドがありました。
時は流れ二十歳になったとき、日本ではブランド物のスーツを着たホスト風のファッションが流行ってましてね。それを着てるやつが、とにかくモテてたんですよ(笑)。でも金がかかる、でもモテたい、と葛藤した結果、とあるソープランドでボーイとして働く決意を。学歴のない僕でもいい金額が稼げそうだったし、常に近くにあったから抵抗もなかったので。
――働きはじめた動機は「モテたい」だったと。
お恥ずかしながら(笑)。
でも、動機は不純でしたが、入社してからは人一倍働きました。というのも、民宿や現場仕事に比べたら、まさに天国。肉体を酷使するわけではなく、基本は受付でのお客様対応。しゃべりが達者であれば、なんとでもなったんで、過酷な労働環境に慣れてた僕には、ボーイの仕事が楽に感じたんです。入社から3年経った頃には、自分で言うのもなんですが一流のボーイに(笑)。
するとある日、別のソープランドで働いてた知人が「独立して新しい店舗を立ち上げるから店長をやってくれないか?」と誘ってくれて。僕、堀之内が地元だし、結構社交的なほうなんで、他店舗のボーイにも知り合いが多かったんですよ。
で、話を聞いてみると当時働いてた店舗よりも待遇は好条件。何より店長になれるということで引き受けることにしました。
二十歳になるまでずっとフラフラしてた僕があれよあれよと社長になるんだから、風俗業界って夢がありますよね(笑)。
一応、漠然と金持ちになりたいという夢は学生時代から持ってたけど、社長なんて夢の話。だって高校の3年間は民宿に住み込みで働きつつ、暇な時間があればサーフィン。おかげで勉強はさっぱりだったので、最終学歴は高卒なんですよ。それから2年ほど就職もせず、いろんな波に乗りたいと思って頻繁に海外へ。生活資金がなくなると日本に帰ってきて、現場仕事で金を貯めてまた海外って感じでしたから(笑)。
――では、どういった流れで社長に?
ちょっと話が長くなりますが、聞いてもらえますか?
――お願いします(笑)。
僕は福島県いわき市の出身。いわき市には全国有数のソープ街である小名浜っていう地域があって、僕は10歳までそこで育ったんです。その後、親の転勤に伴い川崎の堀之内へ。そう、小さな頃から僕の周りには常にソープランドがありました。
時は流れ二十歳になったとき、日本ではブランド物のスーツを着たホスト風のファッションが流行ってましてね。それを着てるやつが、とにかくモテてたんですよ(笑)。でも金がかかる、でもモテたい、と葛藤した結果、とあるソープランドでボーイとして働く決意を。学歴のない僕でもいい金額が稼げそうだったし、常に近くにあったから抵抗もなかったので。
――働きはじめた動機は「モテたい」だったと。
お恥ずかしながら(笑)。
でも、動機は不純でしたが、入社してからは人一倍働きました。というのも、民宿や現場仕事に比べたら、まさに天国。肉体を酷使するわけではなく、基本は受付でのお客様対応。しゃべりが達者であれば、なんとでもなったんで、過酷な労働環境に慣れてた僕には、ボーイの仕事が楽に感じたんです。入社から3年経った頃には、自分で言うのもなんですが一流のボーイに(笑)。
するとある日、別のソープランドで働いてた知人が「独立して新しい店舗を立ち上げるから店長をやってくれないか?」と誘ってくれて。僕、堀之内が地元だし、結構社交的なほうなんで、他店舗のボーイにも知り合いが多かったんですよ。
で、話を聞いてみると当時働いてた店舗よりも待遇は好条件。何より店長になれるということで引き受けることにしました。
がむしゃらに働く中でも、疎かにしなかった“人と人とのつながり”。そして、訪れた大いなる転機
――新店舗は順調だった?
そうですね。ありがたいことに立ち上げ当初からたくさんのお客様が来てくれましたから。最初の頃こそ新たに覚えないといけないことがたくさんあって戸惑いましたが、じょじょに店長職が板についてきて、店舗運営などの経営者側の知識もここでたくさん学ぶことができました。
そんなこんなで3年ほど働いたときに転機が訪れましてね。
――転機とは?
川崎堀之内特殊浴場協会から「理事の一員になってほしい」と打診されたんです。なんでも高齢化が進んだから若い地元の人間を探していたということで、人気店の店長となった当時27歳の僕に白羽の矢が立ったみたい。
まあ、僕にとって堀之内は10歳からずっと住んできた親しみのある街。そして、不純な動機ではじめましたが、続けているうちにソープランドの仕事も好きになった。こんな僕でも地元のためになるならと思い、受けることにしたんです。ただ、理事の仕事は月一回の会議だけだと思ってたら意外に多くてね。町内会と連携してお祭りや豆まきなどの行事に参加するほか、付き合いで食事や旅行に行くことも。店長の仕事で忙しかったので「面倒だな」なんて思うことも多々ありましたが、今考えると断らずに参加してたおかげで社長になれたようなもんだから、真面目に取り組んでよかったなと思います。
――詳しくお聞かせください。
30歳くらいになったときかな。僕が川崎堀之内特殊浴場協会の会長に選出されまして。実は、今も現役だったりします(笑)。
しかし、会長になるには自分の店舗を保有してることが条件。僕は雇われ店長の身で、自分の店舗を持ってませんでした。そんなとき、前会長が「自分が経営している店舗の権利を買わないか?」とおっしゃってくれたんです。
――それが『エレガンス学院』だったと。
はい。新店に誘ってくれた知人にしろ、店を譲ってくれた前会長にしろ、僕は風俗業界で働き始めてから出会う人に恵まれているんですよね。ただがむしゃらに働き、少し人付き合いをがんばっただけで、この通り社長です(笑)。
しかも、前会長の時代から『エレガンス学院』は学園系がコンセプト。今でこそよくありますが、当時は堀之内の周辺でも珍しく、僕が社長となってからも客足は好調。数年で権利の購入費用を回収できました。
そうですね。ありがたいことに立ち上げ当初からたくさんのお客様が来てくれましたから。最初の頃こそ新たに覚えないといけないことがたくさんあって戸惑いましたが、じょじょに店長職が板についてきて、店舗運営などの経営者側の知識もここでたくさん学ぶことができました。
そんなこんなで3年ほど働いたときに転機が訪れましてね。
――転機とは?
川崎堀之内特殊浴場協会から「理事の一員になってほしい」と打診されたんです。なんでも高齢化が進んだから若い地元の人間を探していたということで、人気店の店長となった当時27歳の僕に白羽の矢が立ったみたい。
まあ、僕にとって堀之内は10歳からずっと住んできた親しみのある街。そして、不純な動機ではじめましたが、続けているうちにソープランドの仕事も好きになった。こんな僕でも地元のためになるならと思い、受けることにしたんです。ただ、理事の仕事は月一回の会議だけだと思ってたら意外に多くてね。町内会と連携してお祭りや豆まきなどの行事に参加するほか、付き合いで食事や旅行に行くことも。店長の仕事で忙しかったので「面倒だな」なんて思うことも多々ありましたが、今考えると断らずに参加してたおかげで社長になれたようなもんだから、真面目に取り組んでよかったなと思います。
――詳しくお聞かせください。
30歳くらいになったときかな。僕が川崎堀之内特殊浴場協会の会長に選出されまして。実は、今も現役だったりします(笑)。
しかし、会長になるには自分の店舗を保有してることが条件。僕は雇われ店長の身で、自分の店舗を持ってませんでした。そんなとき、前会長が「自分が経営している店舗の権利を買わないか?」とおっしゃってくれたんです。
――それが『エレガンス学院』だったと。
はい。新店に誘ってくれた知人にしろ、店を譲ってくれた前会長にしろ、僕は風俗業界で働き始めてから出会う人に恵まれているんですよね。ただがむしゃらに働き、少し人付き合いをがんばっただけで、この通り社長です(笑)。
しかも、前会長の時代から『エレガンス学院』は学園系がコンセプト。今でこそよくありますが、当時は堀之内の周辺でも珍しく、僕が社長となってからも客足は好調。数年で権利の購入費用を回収できました。
自身の経験を活かし、働きやすい環境を整備。新たな人材とともに“もう一花咲かせる”準備はできている
――社長となり店舗経営で苦労したことは?
全部(笑)。だって店のコンセプト以外はすべて僕が変えましたから。
特に力を入れたのはスタッフの労働改革。当時は毎日残業があるうえ、月に2、3日しか休日が取れないようなブラックな店舗が多くてね。僕が過去に働いた2つの店舗も漏れなくそうでした。
そんな環境をスタッフ時代の僕は受け入れてはいたけど、好ましくは思ってなかった。だから、せめて自分の店舗くらいは働きやすい環境にしようと思い、作り変えたんです。残業なし、週休制度、有給制度、ボーナス制度、社会保険制度、ほかにもさまざまな手当など、すべて取り入れてます。
――スタッフの方々の反応は?
それは好評でしたよ。ただ、付いてきてくれるかは別問題。いくら待遇がよくても上司がふんぞり返りながら部下をこき使うような職場で働きたいと思う人はいません。われわれが率先して仕事をして、引っ張っていかないとね。だから僕も、特殊浴場協会の仕事がないときは店頭に立つようにしてるんです。受付はもちろん、トイレ掃除や片付けもしますよ(笑)。
――背中で語るというやつですね。
そんな偉そうなもんじゃないけど、熱意が伝わってくれたらうれしいな。
僕は堀之内の街が大好きで、伝統あるソープランドを守っていきたい。そのためにも、意思を引き継いでくれるようなやる気のある人材が必要なんです。
実はメンズバニラの取材を受ける前に2人から応募があり内定を出しました。ですが、優秀な人材はいくらでもほしいので、まだ募集を続けます。というのも、人材さえ集まればいつでも店舗拡大をする準備が整っているんです。僕もまだ老け込むような年じゃないので、新たな仲間ともう一花咲かせられたらな、と考えてます。
――最後に、茂雄さんにとって風俗業界とは?
チャンスの宝庫。最初にも話しましたが、僕が社長になれたんです。
もちろん、運もよかったと思います。ただ、人にチャンスを与えるのは人。だから人と人との関わり合いがすべてである風俗業界には、成功者となるチャンスがたくさん転がっているんです。
――言葉に説得力があります。
チャンスはただ待っているだけではそうそう訪れません。逆にいえば、努力次第でいくらでもチャンスはつかめるということ。
できれば、『エレガンス学院』でその努力を発揮してくれたら最高ですね。
全部(笑)。だって店のコンセプト以外はすべて僕が変えましたから。
特に力を入れたのはスタッフの労働改革。当時は毎日残業があるうえ、月に2、3日しか休日が取れないようなブラックな店舗が多くてね。僕が過去に働いた2つの店舗も漏れなくそうでした。
そんな環境をスタッフ時代の僕は受け入れてはいたけど、好ましくは思ってなかった。だから、せめて自分の店舗くらいは働きやすい環境にしようと思い、作り変えたんです。残業なし、週休制度、有給制度、ボーナス制度、社会保険制度、ほかにもさまざまな手当など、すべて取り入れてます。
――スタッフの方々の反応は?
それは好評でしたよ。ただ、付いてきてくれるかは別問題。いくら待遇がよくても上司がふんぞり返りながら部下をこき使うような職場で働きたいと思う人はいません。われわれが率先して仕事をして、引っ張っていかないとね。だから僕も、特殊浴場協会の仕事がないときは店頭に立つようにしてるんです。受付はもちろん、トイレ掃除や片付けもしますよ(笑)。
――背中で語るというやつですね。
そんな偉そうなもんじゃないけど、熱意が伝わってくれたらうれしいな。
僕は堀之内の街が大好きで、伝統あるソープランドを守っていきたい。そのためにも、意思を引き継いでくれるようなやる気のある人材が必要なんです。
実はメンズバニラの取材を受ける前に2人から応募があり内定を出しました。ですが、優秀な人材はいくらでもほしいので、まだ募集を続けます。というのも、人材さえ集まればいつでも店舗拡大をする準備が整っているんです。僕もまだ老け込むような年じゃないので、新たな仲間ともう一花咲かせられたらな、と考えてます。
――最後に、茂雄さんにとって風俗業界とは?
チャンスの宝庫。最初にも話しましたが、僕が社長になれたんです。
もちろん、運もよかったと思います。ただ、人にチャンスを与えるのは人。だから人と人との関わり合いがすべてである風俗業界には、成功者となるチャンスがたくさん転がっているんです。
――言葉に説得力があります。
チャンスはただ待っているだけではそうそう訪れません。逆にいえば、努力次第でいくらでもチャンスはつかめるということ。
できれば、『エレガンス学院』でその努力を発揮してくれたら最高ですね。
写真・記事:メンズバニラ編集部
店長・幹部候補
茂雄さん 46歳
年収3,000万円以上
勤続年数26年0ヶ月
二十歳のとき、堀之内でソープランドのボーイとして夜の世界へ。10年ほど働いたのち、とある縁により『エレガンス学院』のオーナー兼社長に。ボーイ時代に培ったノウハウを武器に、エリアでもトップクラスの人気を誇る店舗へと成長させた。
また川崎堀之内特殊浴場協会の会長であり、ソープランドという日本の伝統を守るための活動も行っている。趣味はサーフィンと家族サービス。
茂雄さんがはたらく会社の求人募集情報
リアル給与明細
店長・幹部候補
職位
マネージャー
年齢
33歳
勤続期間
6年 5ヶ月
-
合計730,000円
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基本給430,000円
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歩合手当160,000円
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家族手当40,000円
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大入り手当て100,000円
店舗スタッフ
職位
主任
年齢
27歳
勤続期間
2年 10ヶ月
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合計520,000円
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基本給330,000円
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歩合手当90,000円
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家族手当30,000円
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役職手当40,000円
-
大入り手当て30,000円
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