CLUB MET Sendai

宮城(仙台

カンパイワーク(キャバクラ・ニュークラブ

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CLUB MET Sendai

新村 徹也さん 42

店長・幹部候補

年収800万円以上

勤続年数50ヶ月

与えてもらった恩がある。すべてを失い逃げた先で、夜の世界が教えてくれた信頼と人情

スポーツ、仕事、そして家庭。“生きがいをすべて失った男”は、ただひとり未知なる土地へと飛び立つ

――ご出身は?

京都府です。地元では陸上の長距離選手として、ちょっとした有名人でした。高校の頃は府の大会で優勝したこともあるし、大学に入ると駅伝でも上位が当たり前。たぶんネットで僕の名前を検索すると、陸上の成績がそこそこヒットするんじゃないかと思います(笑)。

――すごいじゃないですか!

まあ、足を故障して選手生命が絶たれるまでの話ですけど。大学4年の頃にとうとう膝に限界が来てしまって、「もう走るのはあきらめなさい」とドクターストップが掛かったんです。で、スポーツ推薦で進学した身だから大学にいる意味もなくなり、そのまま中退。
すぐに建築関係の仕事にありつけたのはいいものの、自暴自棄になって悪い仲間とつるんだりと、交友関係は褒められたもんじゃありませんでしたね。

――心の折り合いがなかなかつかない状態……。

それでも仕事のほうは割りかし順調にこなし、頃合いを見て独立を。ちょうど結婚もして公私ともに忙しくなったことだし、これを機に悪い仲間との関係もスッパリ断ち切りました……と言えればよかったんですけど、なんだかんだで付き合いを続けてしまったのが運の尽き。僕は仕事や家庭のプレッシャーに耐えかねて、いつしか仲間との遊びを何より優先するようになったんです。
気づくと事業は取り返しがつかないくらい赤字が続き、妻からは当然のごとく離婚届を突きつけられ、仕事も家庭も一気に失うことに。莫大な借金だけが残されてようやく我に返りましたね、「このままじゃいけない」と。本当、遅すぎるって話ですが……。

――お察しします。

今度こそ悪い縁を切ろうと、地元を離れる決心をしました。衝動的に伊丹空港まで行って、たまたま空きがあった仙台行きの便に乗り込んだんです。まったく知らない土地でのんびりやり直したい。そんな一心でしたね。でも、仙台空港に着いてひどくショックを受けまして……。

――何があった?

当時は2012年の2月で、東日本大震災から間もなく1年というとき。甚大な被害を受けた仙台空港近辺にも、爪痕がこれでもかと残っていたんです。空港から仙台駅へ向かう電車に乗っても、窓の外はずっと目を覆うような光景。「被災地のこの惨状に比べたら、僕の悩みなんてどんなにちっぽけなことか」と恥ずかしくなりましたね。
逃げ場を求めてきただけの僕でしたけど、そこで気持ちが入れ替わったんだと思います。

何もかも受け入れてくれた、恩人との出会い。仕事で報いることこそが“唯一の目標”

――それからのことを。

建築業の人材派遣会社に登録し、震災復興の仕事に携わりました。やっぱり特需も相まって温かく迎えてもらえたし、夜には職場の人たちに連れられて国分町に繰り出すことも。で、ある日みんなでキャバクラに飲みに行ったとき、偶然そこの社長と話す機会があったんです。そこで僕、どうもたまらなくなって、過去を洗いざらいダーッと彼に話したんですよ。酔ってたんですかね(笑)。

――(笑)。社長さんの反応は?

や、なんか「うちで働かないか」って。

――急展開ですね。

ただ僕も僕で事業失敗の負債を抱えてたし、稼ぎはいくらあっても困らない状態。国分町で飲み歩くうちに、昼と夜の掛け持ちで働くのもいいなと思いはじめてきた頃だったので、ありがたく誘いを受けることにしました。
そしたらここからが本当の急展開。社長が「まず、きみの身辺をきれいにしないといけない」と言って、僕の借金問題のために全力で動いてくれたんです。おかげできっちり清算できましたよ。もうね、社長には感謝してもしきれません。

――まさに恩人ですね。

だから僕は派遣を辞めて、夜一本で働くことに決めたんです。社長への恩返しにすべてを注ぐために。
そんなモチベーションの高さが幸いしたのか、比較的トントン拍子に昇進を重ねていきましたね。ただ、店長になってようやく本格的に経営面にも貢献できると思った矢先に、社長が突然「店を閉める」と言い出したんですよ。

――いったいどうして?

その店は国分町有数の老舗。社長自身、時流に乗るという面に限界を感じていたみたいなんです。それでもともと、彼が70歳を迎えると同時に夜の世界から退くつもりだったらしくて……。社長への恩返しが原動力だった僕にとって、もう彼のために働けなくなることが何より耐えられなかった。次の働き口を探す気力なんてないくらい途方に暮れたのを覚えてます。
そんな僕を見かねて声を掛けてくれたのが、『CLUB MET Sendai』の社長。実はプライベートで飲みに行ってて、以前から親交があったんですよね。
当時はオープンして3年ほどで、業績好調につき事業拡大を視野に入れたタイミング。「ぜひ即戦力として活躍してほしい」と言われ、僕で役に立てるならと思い承諾しました。

親身に寄り添い、信頼し合う。“新たな居場所で得た展望”により、再び生まれた原動力

――『CLUB MET Sendai』への入社後はいかがでしたか?

業績好調との前情報に違わず、店は連日かなりの大盛況。でもその分どうしても人手不足が否めない状態で、事業拡大を円滑に実現するためにも、早急な人材確保が求められました。僕自身、キャバクラの仕事は勝手知ったる感じでしたけど、送迎から何から全面的に対応したりして、ちょっと重労働だなという印象でしたね(笑)。
ただいくら応募があって採用したとしても、定着してもらわなければ人員増とはならない。ここで5年ほど働くうちに、定着率の上げ方に関しては、僕なりの正解が見えてきたように思います。

――正解とは?

夜の世界で働こうとする人間は、多かれ少なかれ何かを抱えている場合が大半。そうした個々の事情に寄り添って、一緒に問題を解決できるよう力を尽くすことですね。
なにせ僕自身が、誰かに手を差し伸べてもらってここまで来られた経緯がある。今度は与える側になって、「新村が親身になってくれたし、この店のために働きたい」という思いを触発できれば、きっと素晴らしい仲間となってもらえるんじゃないかなと。

――これまで受けた恩を、今度は後進へ与える番ということですね。

とはいえ、居場所をくれた社長への恩返しはまだまだ道半ば。店舗の売上増と事業拡大も当然ながら達成すべき目標です。うちは今年の7月に現在の大型物件に移転をし、店の規模が格段に大きくなりました。さらなる躍進を目指す手筈は整ったといえるでしょう。
また、うちの母体となるグループは、キャバクラ以外にもナイトレジャーの店を複数経営しています。僕としては『CLUB MET Sendai』の好調を受けてキャバクラの新店が増えればと思ってますね。そして、国分町で一番の人気グループへと押し上げたい。引き続き新人スタッフの定着と育成とともに意識していくつもりです。

――では、応募者に求める人物像は?

実務経験は一切問いません。遅刻をしないとか、最低限の勤務態度を守れればOKです。
あとはもし出世を狙うならば……。

――ぜひお伺いします。

うちで上に立つには、“信頼を得ること”が第一。スタッフとキャストから信頼されるにはどうすればいいのかを、常に考えて働いてみてください。
もちろん、まずは僕自身が皆さんに信頼してもらうために、どんなお悩みを持った方にも寄り添えるよう努めたいと思っています。
写真・記事:メンズバニラ編集部

店長・幹部候補

新村 徹也さん 42

年収800万円以上

勤続年数50ヶ月

京都府出身。大学中退後に建築業に携わり、のちに独立。しかし交友関係が災いし、事業失敗と家庭崩壊の憂き目に。見知らぬ土地での再出発を目指して、宮城県仙台市へと単身飛び立った。
その後、繁華街でキャバクラ経営者と出会い、誘いを受けて入社。同社での経験が見込まれ、『CLUB MET Sendai』への転職後は即戦力として活躍。現在は店長職を任され、辣腕を振るっている。

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