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La vie et(ラヴィエ)北新地
武田さん 30歳
店長・幹部候補
年収550万円以上
勤続年数1年7ヶ月
抗うだけでは見えなかった、明るい未来。みんなと歩む一歩一歩が、無限の可能性を示してくれる
幼い頃から植え付けられたエリート志向。父の教えに反発し、反骨精神が芽生えるも“道は見えず”
――ご出身は?
大阪市内です。でも、「関西人ぽくない」とか「淡々としてる」ってよく言われます。市内でも住宅街じゃなくて商業地というか、いわゆる都心エリアで育ったからですかね。
――そんなところに家があるとは……! かなり裕福なご家庭だったのでは?
まあ……経済状況は悪くなかったと思います。それに父がエリートだったせいか、教育にはお金を掛けるうえいちいちうるさくて。何事も「一番を目指せ」「一流になれ」みたいな。
――厳しかったと。
なんでも強制してくる感じでしたね。中学進学前も「みんなと同じ公立に行きたい」って何度訴えても「無駄な寄り道をするな」と一蹴。地域で一番の私立を強制的に受験させられてしまって。自分の人生で何が無駄かなんて、いくら親にだって勝手に決められたくないじゃないですか。
それで、入学するなり問題行為を繰り返し、速攻で停学を勝ち取りました(笑)。父は当然めちゃくちゃ怒っていたけど、母は心配して転校を勧めてくれて。結果、2学期からは晴れて公立校に通えることになったんです。
――計画的犯行(笑)。
ですね。実際、どうやら全然反省していないように見えたらしく、味方だった母からも「あんたは絶対運動部に入りなさい。じゃないと道を踏み外すから」と釘をさされる始末(笑)。
それにはなんとなく納得できたので、転校後はすぐにサッカー部に入部しました。地元では強豪として有名でしたが、練習のキツさでも有名で。
――あえてキツいところを選んだ?
いえ。どうせなら勝てるチームに入りたいなと。でも、前評判以上に監督が鬼だし上下関係も厳しかった。おかげで悪い方向へ行く余裕がまったくなかったのはよかったと思います。
――部活では反発しなかった?
ええ。自分で選んだわけだし、うまくなれるなら多少の理不尽さも受け入れられました。そんな感じで中学、高校はサッカーに打ち込み、大会でも結構いいところまで進んで、一時はプロを目指したほどで。
ただ、思うように身長が伸びず「これじゃスカウトの声は掛からないな」と。かといってほかにやりたいこともなく、進路に悩み始めた頃に、父がまた「東京の名門私大へ進め」とうるさく言い始めて。
面倒だからと当時アルバイト先だった内装会社にさっさと就職を決めたんですが、冷静に考えれば、勧められていた大学は父の母校。全国屈指の高偏差値が怖くて逃げたようにも思えて……。
大阪市内です。でも、「関西人ぽくない」とか「淡々としてる」ってよく言われます。市内でも住宅街じゃなくて商業地というか、いわゆる都心エリアで育ったからですかね。
――そんなところに家があるとは……! かなり裕福なご家庭だったのでは?
まあ……経済状況は悪くなかったと思います。それに父がエリートだったせいか、教育にはお金を掛けるうえいちいちうるさくて。何事も「一番を目指せ」「一流になれ」みたいな。
――厳しかったと。
なんでも強制してくる感じでしたね。中学進学前も「みんなと同じ公立に行きたい」って何度訴えても「無駄な寄り道をするな」と一蹴。地域で一番の私立を強制的に受験させられてしまって。自分の人生で何が無駄かなんて、いくら親にだって勝手に決められたくないじゃないですか。
それで、入学するなり問題行為を繰り返し、速攻で停学を勝ち取りました(笑)。父は当然めちゃくちゃ怒っていたけど、母は心配して転校を勧めてくれて。結果、2学期からは晴れて公立校に通えることになったんです。
――計画的犯行(笑)。
ですね。実際、どうやら全然反省していないように見えたらしく、味方だった母からも「あんたは絶対運動部に入りなさい。じゃないと道を踏み外すから」と釘をさされる始末(笑)。
それにはなんとなく納得できたので、転校後はすぐにサッカー部に入部しました。地元では強豪として有名でしたが、練習のキツさでも有名で。
――あえてキツいところを選んだ?
いえ。どうせなら勝てるチームに入りたいなと。でも、前評判以上に監督が鬼だし上下関係も厳しかった。おかげで悪い方向へ行く余裕がまったくなかったのはよかったと思います。
――部活では反発しなかった?
ええ。自分で選んだわけだし、うまくなれるなら多少の理不尽さも受け入れられました。そんな感じで中学、高校はサッカーに打ち込み、大会でも結構いいところまで進んで、一時はプロを目指したほどで。
ただ、思うように身長が伸びず「これじゃスカウトの声は掛からないな」と。かといってほかにやりたいこともなく、進路に悩み始めた頃に、父がまた「東京の名門私大へ進め」とうるさく言い始めて。
面倒だからと当時アルバイト先だった内装会社にさっさと就職を決めたんですが、冷静に考えれば、勧められていた大学は父の母校。全国屈指の高偏差値が怖くて逃げたようにも思えて……。
就職、難関受験、上京、そして“夜の世界へ”。強力なパトロンを得て、月収数百万円の成功をおさめる
――中学のときはちゃんと合格しましたもんね。
そうそう(笑)。だけど今回は挑戦すらしなかったし、1年働いても自分が何をしたいのかわからず「一度、受験してみるか」と、仕事の傍ら予備校へ通い始めたんです。
その後、入試半年前には退職して猛勉強。でも、残念ながら滑り止めにしか受からず……。
――第ニ志望もいい大学だったのでは?
関西ではトップクラスの私大でしたけど、父には認められないだろうし、僕としても卒業までにかかるお金や時間を考えると「コスパ悪いな」って。
それより、生粋の関西人である父が“東京”の大学を勧めたのが気になって「大阪にはないものがあるのかな」と。で、受験を終えてすぐに上京。まずは土地をよく知るために、不動産会社に就職しました。
いま思えば、これが転機だった気がしますね。
――といいますと?
そこの社長は夜職での成功をもとに不動産業を始めたという人で、「君も学歴や資格は関係なく成功するタイプだと思う」「せっかく東京に来たんだし、夜の世界も経験しておけば」と勧めてくるんです。おかげで1年後には新宿・歌舞伎町の老舗キャバクラで黒服をやることに。
しかもバイトからすぐに社員になって役職もつき、さらに1年半ほどで副店長を任されました。といっても評価されたのは経営やキャストの管理能力じゃなくて、僕自身にお客様がたくさんついていたこと。その店の客層は遊び慣れた経営者さんが多かったんですが、なぜか「君、面白いな」と気に入られ男同士で飲むっていう(笑)。
――キャバクラなのに(笑)。
ねえ(笑)。それに昼職、夜職を問わず仕事の引き抜きの話も多数いただきました。なかでもWeb広告会社の社長には特にかわいがられて、多額の起業資金とノウハウを提供してもらう条件で23歳のときにキャバを退職して独立。
――パトロンじゃないですか!
ねえ(笑)。でも、最初の数カ月は必死でパソコンにかじりついているだけで鳴かず飛ばずでした。その後、徐々に軌道に乗り、月数百万の広告収入が入るように……。
――……持ってますね!
僕もそう思っちゃいました(笑)。
だけど、いま考えるとあの成功は社長の助言と運だけ。なのに紹介された取引先だけで新規を見つける努力もせず。だから最初の1、2年はよかったけど、お客様が不況になったとたん売上は半減。利益が出ているうちに事業を売却して社長に出資金を返したら、手元に残ったのは600万円だけでした。
そうそう(笑)。だけど今回は挑戦すらしなかったし、1年働いても自分が何をしたいのかわからず「一度、受験してみるか」と、仕事の傍ら予備校へ通い始めたんです。
その後、入試半年前には退職して猛勉強。でも、残念ながら滑り止めにしか受からず……。
――第ニ志望もいい大学だったのでは?
関西ではトップクラスの私大でしたけど、父には認められないだろうし、僕としても卒業までにかかるお金や時間を考えると「コスパ悪いな」って。
それより、生粋の関西人である父が“東京”の大学を勧めたのが気になって「大阪にはないものがあるのかな」と。で、受験を終えてすぐに上京。まずは土地をよく知るために、不動産会社に就職しました。
いま思えば、これが転機だった気がしますね。
――といいますと?
そこの社長は夜職での成功をもとに不動産業を始めたという人で、「君も学歴や資格は関係なく成功するタイプだと思う」「せっかく東京に来たんだし、夜の世界も経験しておけば」と勧めてくるんです。おかげで1年後には新宿・歌舞伎町の老舗キャバクラで黒服をやることに。
しかもバイトからすぐに社員になって役職もつき、さらに1年半ほどで副店長を任されました。といっても評価されたのは経営やキャストの管理能力じゃなくて、僕自身にお客様がたくさんついていたこと。その店の客層は遊び慣れた経営者さんが多かったんですが、なぜか「君、面白いな」と気に入られ男同士で飲むっていう(笑)。
――キャバクラなのに(笑)。
ねえ(笑)。それに昼職、夜職を問わず仕事の引き抜きの話も多数いただきました。なかでもWeb広告会社の社長には特にかわいがられて、多額の起業資金とノウハウを提供してもらう条件で23歳のときにキャバを退職して独立。
――パトロンじゃないですか!
ねえ(笑)。でも、最初の数カ月は必死でパソコンにかじりついているだけで鳴かず飛ばずでした。その後、徐々に軌道に乗り、月数百万の広告収入が入るように……。
――……持ってますね!
僕もそう思っちゃいました(笑)。
だけど、いま考えるとあの成功は社長の助言と運だけ。なのに紹介された取引先だけで新規を見つける努力もせず。だから最初の1、2年はよかったけど、お客様が不況になったとたん売上は半減。利益が出ているうちに事業を売却して社長に出資金を返したら、手元に残ったのは600万円だけでした。
怒涛の東京生活で磨かれた、人を見る目。“尊敬できる上司”とともに、新たな可能性を切りひらく
――十分な成功だと思いますが。……その後は?
1年、ニートをしていました(笑)。
――てっきり新事業でも始められたのかと。
いやいや、僕、そんなにガツガツしてないです(笑)。コスパだの成功だの言う割にお金には執着がなくて、「給料は高いほうがいいな」程度。いろんなことがあって疲れていましたしね。
それで、家賃の高い東京の家を引き払い、大阪に戻ってきて。
――結局のところ、東京ではどんな収穫が?
不動産や夜の世界でいろんな方と出会えたおかげで、人を見る目は養われたんじゃないかと。
実はニートを卒業して1年弱、別のメンズエステで働いていましたが、そこの経営者は部下が成果を上げてもうわべでねぎらうだけ。儲けは全部自分の懐に入れるんです。それで「あ、いままでは恵まれてたんだ」「一緒に働くなら、東京で会った社長みたいに尊敬できる人がいいな」と思うようになって。
で、その後、応募したのが『La vie et北新地』。といっても他業種を含め何社か受けた中の1つだったんですが。
――何が決め手になった?
オーナーが「うちで働いてくれる全員を成功させたい」と言っていたことですかね。
それに、みんなが働く事務所の中で面接があったので、先輩たちのオペレーションや雑談がよく聞こえたんです。平均年齢が若くて楽しそうなのにちゃんと統制も取れていて、漠然と「あ、みんな不満がないんだろうな」って。
――実際はいかがでしたか?
思った以上にいい職場でした。まず、上司はどんなミスも叱責するんじゃなく、繰り返さないように一緒に考えるスタンス。失敗を成功のもとにできる環境があります。そして経歴や実績より、人そのものを見てくれる。それぞれの適性や希望を考慮したうえで業務を任されるし、担当分野をがんばれば誰でも正当に評価されるんです。成長したぶんは、年に何回でも昇給するところもいいですね。
僕は20代の間、ずっと何になればいいのか悩んでいましたが、いまは「店を大きくしたい」「みんなで上がろう」と目の前の目標に必死になっているうちに将来がひらける気がしています。
だから、僕みたいに自分の可能性を知りたい人、尊敬できる上司と働きたい人、若いメンバーと楽しくやりたい人は、ぜひうちを見にきてください。ここには、本当の意味でみんなにチャンスがありますよ。
――「一流」や「一番」にこだわる必要はないと。
いやいや、やっぱり店は一番にしたいです(笑)。
1年、ニートをしていました(笑)。
――てっきり新事業でも始められたのかと。
いやいや、僕、そんなにガツガツしてないです(笑)。コスパだの成功だの言う割にお金には執着がなくて、「給料は高いほうがいいな」程度。いろんなことがあって疲れていましたしね。
それで、家賃の高い東京の家を引き払い、大阪に戻ってきて。
――結局のところ、東京ではどんな収穫が?
不動産や夜の世界でいろんな方と出会えたおかげで、人を見る目は養われたんじゃないかと。
実はニートを卒業して1年弱、別のメンズエステで働いていましたが、そこの経営者は部下が成果を上げてもうわべでねぎらうだけ。儲けは全部自分の懐に入れるんです。それで「あ、いままでは恵まれてたんだ」「一緒に働くなら、東京で会った社長みたいに尊敬できる人がいいな」と思うようになって。
で、その後、応募したのが『La vie et北新地』。といっても他業種を含め何社か受けた中の1つだったんですが。
――何が決め手になった?
オーナーが「うちで働いてくれる全員を成功させたい」と言っていたことですかね。
それに、みんなが働く事務所の中で面接があったので、先輩たちのオペレーションや雑談がよく聞こえたんです。平均年齢が若くて楽しそうなのにちゃんと統制も取れていて、漠然と「あ、みんな不満がないんだろうな」って。
――実際はいかがでしたか?
思った以上にいい職場でした。まず、上司はどんなミスも叱責するんじゃなく、繰り返さないように一緒に考えるスタンス。失敗を成功のもとにできる環境があります。そして経歴や実績より、人そのものを見てくれる。それぞれの適性や希望を考慮したうえで業務を任されるし、担当分野をがんばれば誰でも正当に評価されるんです。成長したぶんは、年に何回でも昇給するところもいいですね。
僕は20代の間、ずっと何になればいいのか悩んでいましたが、いまは「店を大きくしたい」「みんなで上がろう」と目の前の目標に必死になっているうちに将来がひらける気がしています。
だから、僕みたいに自分の可能性を知りたい人、尊敬できる上司と働きたい人、若いメンバーと楽しくやりたい人は、ぜひうちを見にきてください。ここには、本当の意味でみんなにチャンスがありますよ。
――「一流」や「一番」にこだわる必要はないと。
いやいや、やっぱり店は一番にしたいです(笑)。
写真・記事:メンズバニラ編集部
店長・幹部候補
武田さん 30歳
年収550万円以上
勤続年数1年7ヶ月
大阪市出身。父の厳しい教育を受けた反動で、小学生の頃から反骨精神と合理的思考を持つ。18歳で社会に出たのち「何かを掴もうと」有名私大受験、上京、夜の世界などを経験。その後、一度は成功をおさめるも紆余曲折を経て26歳でニートとなり帰阪。
28歳のとき『La vie et(ラヴィエ)北新地』に入店し、約1年半で店長職に。仕事中はキレキレだが、休日はとにかくダラダラするのが好き。
武田さんがはたらく会社の求人募集情報
リアル給与明細
店長・幹部候補
職位
店長
年齢
28歳
勤続期間
3年
-
合計720,000円
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基本給500,000円
-
報奨金100,000円
-
インセンティブ120,000円
店舗スタッフ
職位
店舗スタッフ
年齢
32歳
勤続期間
9ヶ月
-
合計550,000円
-
基本給400,000円
-
報奨金70,000円
-
インセンティブ80,000円
電話応募について
メンズバニラ限定特典
店舗スタッフは月給40万円~可能!
電話番号
070-1842-0138
採用担当者:店長:高田
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