Aroma De Paris -アロマデパリ-(アインズグループ)
宮崎さん 40歳
店長・幹部候補
年収600万円以上
勤続年数0年3ヶ月
人生の舞台は夜の世界しかない。長年の経験を活かすのは、最高のステージで
生活の中心だったバンド活動は思わぬきっかけで終焉。目標を失った青年がたどり着いたのは夜の世界
――まずは幼少期のお話を。
至って普通の少年でしたけど、母子家庭で育ったからか、めっちゃ細かい性格で。子どものころから掃除とか洗濯とかいろいろ手伝っていたので、今でも整理されていない棚とか見るとついつい直したくなる(笑)。
まあ、そんな感じで、勉強もコツコツとやるタイプ。
――勉強は得意だった?
いやいや全然です(笑)。中の上、いや中の下……中の中レベルですね(笑)。
ただ、高校のとき、軽音楽部の同級生と趣味の音楽で意気投合し、彼らとセッションするためにドラムを始めたんです。で、ある日、観客としてライブハウスに行ったところ、たまたま「ドラムが抜けた」というインディーズバンドがいて、彼らに自分の趣味を話したら「おいでよ!」と即スカウトされました。
――そこからバンド活動を?
はい。だけど、入ったはいいものの、周りははるかに年上のベテラン揃いで、技術的にも話題にもついていくのがやっとでしたけどね(笑)。とはいえ最年少だからかわいがってもらえたし、関東や東北など、ツアーでいろいろ回れたのはいい思い出です。
でも、有名になって忙しくなると、どうしても学校生活とのズレが生じてしまう。練習も夜中ばかりだから、朝起きられなくて遅刻続き。それで、担任に相談して中途退学、以降は生活をバンドメインに切り替えました。
――プロを目指したというわけですね。
ただね、活動していく中で、ボーカルからはソロ志向が強く感じられるようになってきて、大丈夫かなと思っていたんです。結局、CDも出して軌道に乗っていたある日、「俺、抜けるわ」って言い出しちゃって、解散が決まりました。それからはグループがバラバラに……。
――別のバンドに入ろうとは思わなかった?
僕としては「このメンバーでできないんだったらもう辞めよう」と思っていたので、これですっぱり音楽活動とはお別れでした。
けれども、バンドというやりがいを失って何をすればいいのか見当もつかない。そんな僕を見かねた母が、別れた父のツテを頼って、建設会社を紹介してくれたんです。おかげで仕事にはありつけたけど、このときまだ20歳そこそこ。遊びたい盛りだったので、給料日はすぐに友人と夜の街へ繰り出しちゃうような生活(笑)。
で、その華やかさにつられるように、大阪でボーイズバーの求人を見かけ、勢いで転職を。
至って普通の少年でしたけど、母子家庭で育ったからか、めっちゃ細かい性格で。子どものころから掃除とか洗濯とかいろいろ手伝っていたので、今でも整理されていない棚とか見るとついつい直したくなる(笑)。
まあ、そんな感じで、勉強もコツコツとやるタイプ。
――勉強は得意だった?
いやいや全然です(笑)。中の上、いや中の下……中の中レベルですね(笑)。
ただ、高校のとき、軽音楽部の同級生と趣味の音楽で意気投合し、彼らとセッションするためにドラムを始めたんです。で、ある日、観客としてライブハウスに行ったところ、たまたま「ドラムが抜けた」というインディーズバンドがいて、彼らに自分の趣味を話したら「おいでよ!」と即スカウトされました。
――そこからバンド活動を?
はい。だけど、入ったはいいものの、周りははるかに年上のベテラン揃いで、技術的にも話題にもついていくのがやっとでしたけどね(笑)。とはいえ最年少だからかわいがってもらえたし、関東や東北など、ツアーでいろいろ回れたのはいい思い出です。
でも、有名になって忙しくなると、どうしても学校生活とのズレが生じてしまう。練習も夜中ばかりだから、朝起きられなくて遅刻続き。それで、担任に相談して中途退学、以降は生活をバンドメインに切り替えました。
――プロを目指したというわけですね。
ただね、活動していく中で、ボーカルからはソロ志向が強く感じられるようになってきて、大丈夫かなと思っていたんです。結局、CDも出して軌道に乗っていたある日、「俺、抜けるわ」って言い出しちゃって、解散が決まりました。それからはグループがバラバラに……。
――別のバンドに入ろうとは思わなかった?
僕としては「このメンバーでできないんだったらもう辞めよう」と思っていたので、これですっぱり音楽活動とはお別れでした。
けれども、バンドというやりがいを失って何をすればいいのか見当もつかない。そんな僕を見かねた母が、別れた父のツテを頼って、建設会社を紹介してくれたんです。おかげで仕事にはありつけたけど、このときまだ20歳そこそこ。遊びたい盛りだったので、給料日はすぐに友人と夜の街へ繰り出しちゃうような生活(笑)。
で、その華やかさにつられるように、大阪でボーイズバーの求人を見かけ、勢いで転職を。
“安定を求めて”風俗業界へ。思わぬきっかけで任された店長職で、徐々に頭角を現す
――若気の至り(笑)。
ですね(笑)。ただ、女性客との会話は割と苦ではなかったし、仕事はすごく楽しかったです。
ちなみに、そこは男性客も結構利用していて、ある日、デリヘルの店長をやっていた人が来たんです。で、その人の話を聞いているうちに、デリヘルスタッフの収入がかなりいいことがわかった。ボーイズバーでもそれなりに稼げてはいたけど、この先人気が落ちるかもしれないし、だったら同じナイトレジャーでも安定感のあるデリヘルのスタッフに転職することにしたんです。
――働いてみてどうだった?
まあ、とにかく覚えることがいっぱいで必死でしたよね。特に大量にいる女の子の源氏名と顔を一致させるのが大変でした(笑)。写真と書類と数週間にらめっこして、ようやく覚えられたんです(笑)。
そんなこんなで、やっと仕事に慣れてきた半年後あたりでしょうか。前の店長が出世してその座が空きまして。で、「宮崎くん、がんばってるし店長やってみないか」と思わぬ話が出たんです。
――それで店長職を引き受けたと。
はい。またとない機会と思い「やらせてください!」と二つ返事でした。
店長になってからは店の売上を伸ばすため、今の問題点を洗い出しました。で、まず最初に取り組んだのはキャストの出勤管理。その当時のキャストって、とにかく「稼ぎたい」という意識が強く、週7とかで仕事を入れまくったりして身体も心も壊してしまうような子が大勢いたんです。こちらとしては出勤してほしいのはやまやまだけど、あえてキャストの身体を第一に考えた。加えて、相談などにも積極的に乗りましたね。場合によっては休日を返上してでも、彼女たちの働きやすい環境づくりを徹底しようと。
――“キャストファースト”というわけですね。
やはり、メインで接客するのはキャストですからね。僕がドラム、スタッフがベースだとしたら、キャストはバンドの中心であるボーカル。だから彼女たちのことを一番に考えるのは必然だったというわけです。
その後は売上も伸びてきて、別のお店も任されるように。とにかく毎日が刺激的で、充実していましたね。
ただ、実は15年目で一度風俗から離れているんですよ。
ですね(笑)。ただ、女性客との会話は割と苦ではなかったし、仕事はすごく楽しかったです。
ちなみに、そこは男性客も結構利用していて、ある日、デリヘルの店長をやっていた人が来たんです。で、その人の話を聞いているうちに、デリヘルスタッフの収入がかなりいいことがわかった。ボーイズバーでもそれなりに稼げてはいたけど、この先人気が落ちるかもしれないし、だったら同じナイトレジャーでも安定感のあるデリヘルのスタッフに転職することにしたんです。
――働いてみてどうだった?
まあ、とにかく覚えることがいっぱいで必死でしたよね。特に大量にいる女の子の源氏名と顔を一致させるのが大変でした(笑)。写真と書類と数週間にらめっこして、ようやく覚えられたんです(笑)。
そんなこんなで、やっと仕事に慣れてきた半年後あたりでしょうか。前の店長が出世してその座が空きまして。で、「宮崎くん、がんばってるし店長やってみないか」と思わぬ話が出たんです。
――それで店長職を引き受けたと。
はい。またとない機会と思い「やらせてください!」と二つ返事でした。
店長になってからは店の売上を伸ばすため、今の問題点を洗い出しました。で、まず最初に取り組んだのはキャストの出勤管理。その当時のキャストって、とにかく「稼ぎたい」という意識が強く、週7とかで仕事を入れまくったりして身体も心も壊してしまうような子が大勢いたんです。こちらとしては出勤してほしいのはやまやまだけど、あえてキャストの身体を第一に考えた。加えて、相談などにも積極的に乗りましたね。場合によっては休日を返上してでも、彼女たちの働きやすい環境づくりを徹底しようと。
――“キャストファースト”というわけですね。
やはり、メインで接客するのはキャストですからね。僕がドラム、スタッフがベースだとしたら、キャストはバンドの中心であるボーカル。だから彼女たちのことを一番に考えるのは必然だったというわけです。
その後は売上も伸びてきて、別のお店も任されるように。とにかく毎日が刺激的で、充実していましたね。
ただ、実は15年目で一度風俗から離れているんですよ。
思わぬきっかけで一度は退くも、改めて気づいた“仕事への熱意”。15年の経験は、新たなステージで
――なにかあった?
ずっと離れて暮らしていた父から連絡が来まして。よくよく聞くと、不慮の事故が原因で、1人では生活もままならない状態だった。会ってみたら、思った以上に弱々しくなっていたのがショックでしたね。なので「そろそろ親孝行しないとな」と思い、父の介助をするため退職を。
とはいえ、父が自力で歩こうと全力でリハビリしている間も、僕の頭の中では「あの店どうなったかな」「売上落ちてないかな」と気になるばかり。
――心のどこかで悔いがあったと。
ええ。ただ、介助の甲斐もあってか、半年後には父も杖をついて歩けるレベルまで回復しました。
そんなあるとき「お前もそろそろ働けよ」と説教されたんです。一瞬「いやいや親父のために辞めたのに」と怒りそうになりましたが、「今までありがとう。俺はもう大丈夫だから、お前がやりたいことをやれ」という不器用な父なりのエールだったんでしょうね。それで、風俗業界へ復帰することにしたんです。
ちなみに、前の店に戻ることも考えましたが、15年間の経験をもっと大きな店で活かしたくなって、大阪でもトップクラスの規模を誇る『アインズグループ』に応募。無事、入社がかないました。
――入社後のお話を。
前職はデリヘルでしたが、ここで配属されたのは『Aroma De Paris』というエステ。率直に思ったのは「エステってこんなに儲かるんや」(笑)。接客については、お客様は性的なサービスだけでなくマッサージの質も求めているんだなと。同じ風俗店でも、仕事の内容がまるで違うというのが自分としても新鮮だし、楽しいですね。
ただね、ドライバーの手配や女の子への伝達など、ちょこちょこミスが多発していた。それで、新人という身ながら、ミスをなくすためのやり方を店長やスタッフに提案。それが理由かどうかはわかりませんが、ちょうど先月、右肩下がりだった売上を戻せました。
やはり、経験を買われて入ったわけだから、店をよくするために積極的に動かないとね。
――では、最後に今後の目標を。
なんでもいいから、とにかく売上に貢献することですね。そのために、40歳の新人マネージャーとして身を粉にして働きますよ(笑)。
とにかくこの仕事は、みんなと一緒にがんばれる人、向上心を持てる人なら、経験者、未経験者問わず活躍できるチャンスがあると思います。安定を求める方、稼ぎたい方、少しでも興味があるならご応募くださいね!
ずっと離れて暮らしていた父から連絡が来まして。よくよく聞くと、不慮の事故が原因で、1人では生活もままならない状態だった。会ってみたら、思った以上に弱々しくなっていたのがショックでしたね。なので「そろそろ親孝行しないとな」と思い、父の介助をするため退職を。
とはいえ、父が自力で歩こうと全力でリハビリしている間も、僕の頭の中では「あの店どうなったかな」「売上落ちてないかな」と気になるばかり。
――心のどこかで悔いがあったと。
ええ。ただ、介助の甲斐もあってか、半年後には父も杖をついて歩けるレベルまで回復しました。
そんなあるとき「お前もそろそろ働けよ」と説教されたんです。一瞬「いやいや親父のために辞めたのに」と怒りそうになりましたが、「今までありがとう。俺はもう大丈夫だから、お前がやりたいことをやれ」という不器用な父なりのエールだったんでしょうね。それで、風俗業界へ復帰することにしたんです。
ちなみに、前の店に戻ることも考えましたが、15年間の経験をもっと大きな店で活かしたくなって、大阪でもトップクラスの規模を誇る『アインズグループ』に応募。無事、入社がかないました。
――入社後のお話を。
前職はデリヘルでしたが、ここで配属されたのは『Aroma De Paris』というエステ。率直に思ったのは「エステってこんなに儲かるんや」(笑)。接客については、お客様は性的なサービスだけでなくマッサージの質も求めているんだなと。同じ風俗店でも、仕事の内容がまるで違うというのが自分としても新鮮だし、楽しいですね。
ただね、ドライバーの手配や女の子への伝達など、ちょこちょこミスが多発していた。それで、新人という身ながら、ミスをなくすためのやり方を店長やスタッフに提案。それが理由かどうかはわかりませんが、ちょうど先月、右肩下がりだった売上を戻せました。
やはり、経験を買われて入ったわけだから、店をよくするために積極的に動かないとね。
――では、最後に今後の目標を。
なんでもいいから、とにかく売上に貢献することですね。そのために、40歳の新人マネージャーとして身を粉にして働きますよ(笑)。
とにかくこの仕事は、みんなと一緒にがんばれる人、向上心を持てる人なら、経験者、未経験者問わず活躍できるチャンスがあると思います。安定を求める方、稼ぎたい方、少しでも興味があるならご応募くださいね!
写真・記事:メンズバニラ編集部
店長・幹部候補
宮崎さん 40歳
年収600万円以上
勤続年数0年3ヶ月
大阪府出身。インディーズバンド、建設業、飲食店スタッフを経て、23歳のとき風俗業界へ。業界歴15年目に一度離れるも、このほど復帰。現在は『Aroma De Paris -アロマデパリ』のマネージャーとして活躍している。
自称“A型人間”で、そのまじめな仕事ぶりは折り紙付き。同僚やキャストたちからも“アロパリお兄さん”としてめっぽう慕われている。
宮崎さんがはたらく会社の求人募集情報
応募について
■ちょっとでも気になった方、お気軽にお問い合わせください。
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※お電話、メールともに24時間受付中。面接随時行ってます!
採用担当者:佐藤
リアル給与明細
店長・幹部候補
職位
店長
年齢
52歳
勤続期間
5年
-
合計810,000円
-
基本給350,000円
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役職給200,000円
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歩合給150,000円
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特別手当100,000円
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交通費10,000円
店舗スタッフ
職位
マネージャー
年齢
33歳
勤続期間
2年
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合計510,000円
-
基本給350,000円
-
役職給100,000円
-
特別手当50,000円
-
交通費10,000円
送迎ドライバー
職位
アルバイト
年齢
32歳
勤続期間
3ヶ月
-
合計105,000円
-
時給1500円×70時間105,000円
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電話番号
0120-197-107
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