- 東京
- 吉原の求人
- プリティーガールの募集詳細
- インタビュー
プリティーガール
はんださん 50歳
店長・幹部候補
年収700万円以上
勤続年数6年0ヶ月
お世話になった吉原に恩返しがしたい。30年間仕事に生き続けた男が抱く、ささやかな目標
朝から晩まで働くのが当たり前。筋金入りの仕事人間が興味を持った、“まったく想像がつかない世界”
――ご出身は?
愛知県です。地元の高校を出たあとは、専門学校に進学しました。
――何の専門学校ですか?
プログラミングなどを学べる、情報系の学校ですね。
当時……ざっと30年前は、今みたいに誰しもがスマートフォンや携帯電話を持っているのが当たり前じゃない。クラスの中で1人パソコンを持っているかどうかという、まだインターネットも普及していない時代です。だからこそ、早い段階から専門的に学んでおけば、将来役に立つはずだと考えたんですよ。
ただ、入学しておよそ2カ月。夏休みを迎える前に、退学してしまいましたが。
――いったいなぜ?
「自分にはどだい理解できない」と悟ったからです(笑)。
僕は根っからの文系でしてね。「数学が苦手でも大丈夫」だと聞いて入学したはいいものの、まったく大丈夫じゃなかった。授業は数学ばかりでちんぷんかんぷん、このまま続けるのは無理だな、と思いキッパリと見切りをつけましたよ。
――中退したあとは?
飲食店、カラオケボックス、ディスカウントショップ、配送業……と、さまざまなアルバイトをやりました。2つ、3つ掛け持ちをすることがほとんどだったので、例えば朝8時から夕方の5時まで配送員をし、夕方の6時から午前0時まで飲食店で働く、といった具合でした。
――長時間労働。大変じゃないですか?
ちっとも。職場に行きたくないと思ったことは1度もないんですよ。むしろどの仕事も楽しくってね。いろいろな人と出会えたし、忙しい時間帯でもミスなく作業をこなせたときの達成感もあった。「労働をしている」という感覚はなく、「自分の好きなことをしてお金をもらっている」という感覚が近いです。
それに、僕にとってはそれが当たり前でした。居酒屋を営む両親が、朝から晩まで働いている光景をずっと見ていたおかげで、「社会人とはそういうものだ」と刷り込まれたというか(笑)。
――どれぐらいの期間アルバイト生活を?
途中、飲食店で3年ほど正社員として勤めましたが、30代前半まではおおむねそんな感じでしたね。興味を持った仕事について知りたくなって、アルバイトを始めて、朝から晩まで働いて。風俗業界に入ったのも、その延長です。
――なぜ興味を持った?
まったく想像がつかない世界だからです。あのころは今みたいに口コミサイトなんかもないし、知るためには実際に入店するしかなかった。思い立ったが吉日、吉原を目指して愛知から上京しました。
愛知県です。地元の高校を出たあとは、専門学校に進学しました。
――何の専門学校ですか?
プログラミングなどを学べる、情報系の学校ですね。
当時……ざっと30年前は、今みたいに誰しもがスマートフォンや携帯電話を持っているのが当たり前じゃない。クラスの中で1人パソコンを持っているかどうかという、まだインターネットも普及していない時代です。だからこそ、早い段階から専門的に学んでおけば、将来役に立つはずだと考えたんですよ。
ただ、入学しておよそ2カ月。夏休みを迎える前に、退学してしまいましたが。
――いったいなぜ?
「自分にはどだい理解できない」と悟ったからです(笑)。
僕は根っからの文系でしてね。「数学が苦手でも大丈夫」だと聞いて入学したはいいものの、まったく大丈夫じゃなかった。授業は数学ばかりでちんぷんかんぷん、このまま続けるのは無理だな、と思いキッパリと見切りをつけましたよ。
――中退したあとは?
飲食店、カラオケボックス、ディスカウントショップ、配送業……と、さまざまなアルバイトをやりました。2つ、3つ掛け持ちをすることがほとんどだったので、例えば朝8時から夕方の5時まで配送員をし、夕方の6時から午前0時まで飲食店で働く、といった具合でした。
――長時間労働。大変じゃないですか?
ちっとも。職場に行きたくないと思ったことは1度もないんですよ。むしろどの仕事も楽しくってね。いろいろな人と出会えたし、忙しい時間帯でもミスなく作業をこなせたときの達成感もあった。「労働をしている」という感覚はなく、「自分の好きなことをしてお金をもらっている」という感覚が近いです。
それに、僕にとってはそれが当たり前でした。居酒屋を営む両親が、朝から晩まで働いている光景をずっと見ていたおかげで、「社会人とはそういうものだ」と刷り込まれたというか(笑)。
――どれぐらいの期間アルバイト生活を?
途中、飲食店で3年ほど正社員として勤めましたが、30代前半まではおおむねそんな感じでしたね。興味を持った仕事について知りたくなって、アルバイトを始めて、朝から晩まで働いて。風俗業界に入ったのも、その延長です。
――なぜ興味を持った?
まったく想像がつかない世界だからです。あのころは今みたいに口コミサイトなんかもないし、知るためには実際に入店するしかなかった。思い立ったが吉日、吉原を目指して愛知から上京しました。
吉原を目指して東京へ。“アナログなやり方では生き残れない”と、お世話になった職場を飛び出した
――吉原で働くと決めていた?
ええ。地元の風俗店を選んでもよかったのですが、やはり店舗数で言えば東京が頭ひとつ抜けているじゃないですか。中でも“吉原”という土地にはネームバリューもある。東京のどこにあるのかさえわからない状態でしたが、「風俗と言えば吉原だ」という考えだけはあったんです。
――実際に訪れた印象は?
すごく驚きました。昼間でも静かで、飲食店も少ない。繁華街のようにネオンライトもギラギラしていないし、「本当にここにお客様が集まるのか」と不思議なくらい。なのに、夜になると大勢の人が集まり、活気に満ち溢れている。
あと、初めて勤めた店にも穏やかな人柄の社員ばかりがいて、夜の世界に抱きがちな怖いイメージとは全然違ったんです。退職するまでの4年間、よくしていただきましたよ。
――退職のきっかけは?
業務内容については問題ない、人間関係についても問題ない。ただ、宣伝方針についての意見が合わなくって。
当時はインターネット黎明期。営業用のホームページを持っている店舗もあれば、そうでない店舗も入り交じっていました。まだまだ風俗情報誌も強かったので、「ホームページを持たなくてもやっていける」と考える人は多かった。上司もそうでした。でも僕は、これからどんどんインターネットが主流になっていけば、やり方を変えなければ生き残れないと考えたんですよね。何度か嘆願したものの、首を縦には振ってもらえず……。話し合いの結果、退職することに。
――その後は?
吉原にある別のソープランドで、また4年ほど。不満はありませんでしたが、ある日「派遣型の風俗エステをオープンするから、店長にならないか」とオーナーから誘いを受けたんです。ずっとソープランドで働いていた僕にとって派遣型の店は未知の世界で、「ゼロから何かを始めるのは、これが最後かもしれない」と一念発起。途中で経営権も購入してからは、自分のやりたいことが全部できるようになって楽しかったなあ。それこそ、宣伝の仕方とか(笑)。……経営がうまくいかなくなり、5年で閉めてしまいましたが。
――かなりショックだったのでは。
大きな経験になったし、今の自分にとってプラスになっていると思えばなんてことありません。
で、そんなこんなで年齢は40歳半ば。「次の仕事が決まっていないなら」と、吉原で最初に勤めた店の社長が紹介してくれたのが『プリティーガール』なんです。
ええ。地元の風俗店を選んでもよかったのですが、やはり店舗数で言えば東京が頭ひとつ抜けているじゃないですか。中でも“吉原”という土地にはネームバリューもある。東京のどこにあるのかさえわからない状態でしたが、「風俗と言えば吉原だ」という考えだけはあったんです。
――実際に訪れた印象は?
すごく驚きました。昼間でも静かで、飲食店も少ない。繁華街のようにネオンライトもギラギラしていないし、「本当にここにお客様が集まるのか」と不思議なくらい。なのに、夜になると大勢の人が集まり、活気に満ち溢れている。
あと、初めて勤めた店にも穏やかな人柄の社員ばかりがいて、夜の世界に抱きがちな怖いイメージとは全然違ったんです。退職するまでの4年間、よくしていただきましたよ。
――退職のきっかけは?
業務内容については問題ない、人間関係についても問題ない。ただ、宣伝方針についての意見が合わなくって。
当時はインターネット黎明期。営業用のホームページを持っている店舗もあれば、そうでない店舗も入り交じっていました。まだまだ風俗情報誌も強かったので、「ホームページを持たなくてもやっていける」と考える人は多かった。上司もそうでした。でも僕は、これからどんどんインターネットが主流になっていけば、やり方を変えなければ生き残れないと考えたんですよね。何度か嘆願したものの、首を縦には振ってもらえず……。話し合いの結果、退職することに。
――その後は?
吉原にある別のソープランドで、また4年ほど。不満はありませんでしたが、ある日「派遣型の風俗エステをオープンするから、店長にならないか」とオーナーから誘いを受けたんです。ずっとソープランドで働いていた僕にとって派遣型の店は未知の世界で、「ゼロから何かを始めるのは、これが最後かもしれない」と一念発起。途中で経営権も購入してからは、自分のやりたいことが全部できるようになって楽しかったなあ。それこそ、宣伝の仕方とか(笑)。……経営がうまくいかなくなり、5年で閉めてしまいましたが。
――かなりショックだったのでは。
大きな経験になったし、今の自分にとってプラスになっていると思えばなんてことありません。
で、そんなこんなで年齢は40歳半ば。「次の仕事が決まっていないなら」と、吉原で最初に勤めた店の社長が紹介してくれたのが『プリティーガール』なんです。
店づくりは、仲間たちと一緒に。自分ひとりだけじゃない今、大切にするのは“伝える意識と話し合い”
――入社後のことを教えてください。
業界歴が長いこともあって、基本的な業務については特に困ったこともなく。店長にも3年ほどで昇進できました。ただ、ほかの人に何かを伝えることへの苦労は感じましたね。派遣型のころは電話受付もドライバーも経営もすべて自分ひとりで行っていたので、情報伝達のラグや齟齬がなかったんですよ。ミスをしても、僕だけの責任ですし。でも今は、仲間たちと一緒に店をつくっているわけなのでそうはいきません。
――店づくりで意識していることは?
指示をするときは、些細なことまできっちりと伝えること。それと、ミスが起きたときに話し合うことですね。「気をつけましょう」とただ注意するだけではなく、なぜ間違えたのか、繰り返さないために何をすればいいのかを一緒に見つけていく。相手の話を聞いて見えてくるものも、こちらの考えを伝えて理解してもらえるものもありますから。
なので、そういったコミュニケーションを大切にできる方に入社してもらえたらうれしいですね。あとはやっぱり身体が資本の仕事ですし、しっかりと休んで、健康面にも気を使える方なんかにも。
――失礼ながら、ご自身もあまり休んでいないのでは……?
いやいや、そんなことはありません(笑)。それに『プリティーガール』は家庭の事情なんかを考慮したシフトを組むこともできるので、柔軟に休みはとっていますよ。
あ、でも休日にふらっと吉原を散歩したり、店舗に顔を出したりすることはありますね。こればっかりはもう、僕の性分なので……(笑)。
――(笑)。今後の目標を教えてください。
弊社では『プリティーガール』のほかにも『D-collection』という店舗を運営していますが、どちらもまだまだ伸びしろがある。これから入社する仲間や今いるスタッフをしっかりと育てながら、大きく発展させていきたいですね。
あと、それとは別に個人的な目標もひとつ。
――個人的な目標?
吉原に、手作りのお弁当屋を開くことです。
このあたりは本当に、夜になるとコンビニぐらいしか開いていなくて。それじゃあ味気ないので、仕事終わりの女の子やスタッフたちが温かい手料理を食べられる場所が欲しいんですよ。売上なんて立てられなくてもいい。『プリティーガール』とかけもちしながらでも、細々と続けられればいい。僕から、お世話になったこの土地へのささやかな恩返しができれば、それでいいんです。
業界歴が長いこともあって、基本的な業務については特に困ったこともなく。店長にも3年ほどで昇進できました。ただ、ほかの人に何かを伝えることへの苦労は感じましたね。派遣型のころは電話受付もドライバーも経営もすべて自分ひとりで行っていたので、情報伝達のラグや齟齬がなかったんですよ。ミスをしても、僕だけの責任ですし。でも今は、仲間たちと一緒に店をつくっているわけなのでそうはいきません。
――店づくりで意識していることは?
指示をするときは、些細なことまできっちりと伝えること。それと、ミスが起きたときに話し合うことですね。「気をつけましょう」とただ注意するだけではなく、なぜ間違えたのか、繰り返さないために何をすればいいのかを一緒に見つけていく。相手の話を聞いて見えてくるものも、こちらの考えを伝えて理解してもらえるものもありますから。
なので、そういったコミュニケーションを大切にできる方に入社してもらえたらうれしいですね。あとはやっぱり身体が資本の仕事ですし、しっかりと休んで、健康面にも気を使える方なんかにも。
――失礼ながら、ご自身もあまり休んでいないのでは……?
いやいや、そんなことはありません(笑)。それに『プリティーガール』は家庭の事情なんかを考慮したシフトを組むこともできるので、柔軟に休みはとっていますよ。
あ、でも休日にふらっと吉原を散歩したり、店舗に顔を出したりすることはありますね。こればっかりはもう、僕の性分なので……(笑)。
――(笑)。今後の目標を教えてください。
弊社では『プリティーガール』のほかにも『D-collection』という店舗を運営していますが、どちらもまだまだ伸びしろがある。これから入社する仲間や今いるスタッフをしっかりと育てながら、大きく発展させていきたいですね。
あと、それとは別に個人的な目標もひとつ。
――個人的な目標?
吉原に、手作りのお弁当屋を開くことです。
このあたりは本当に、夜になるとコンビニぐらいしか開いていなくて。それじゃあ味気ないので、仕事終わりの女の子やスタッフたちが温かい手料理を食べられる場所が欲しいんですよ。売上なんて立てられなくてもいい。『プリティーガール』とかけもちしながらでも、細々と続けられればいい。僕から、お世話になったこの土地へのささやかな恩返しができれば、それでいいんです。
写真・記事:メンズバニラ編集部
店長・幹部候補
はんださん 50歳
年収700万円以上
勤続年数6年0ヶ月
愛知県出身。高校卒業後、専門学校に進学するも2カ月でドロップアウト。中退後はアルバイトを中心にさまざまな職に就き、30代前半で上京。複数の風俗店での経験を経て、40代半ばで『プリティーガール』に入社する。その後3年で店長に昇進し、現在に至るまで店舗の運営や後進の育成に励む50歳。
今欲しいものは新しいまな板と包丁。得意料理はなし。「食べたいときに食べたいものを作るだけです」とのこと。
はんださんがはたらく会社の求人募集情報
リアル給与明細
店舗スタッフ
職位
店舗スタッフ
年齢
42歳
勤続期間
6ヶ月
-
合計400,000円
-
基本給350,000円
-
+手当50,000円
Web運営スタッフ
職位
マネージャー
年齢
49歳
勤続期間
3年
-
合計470,000円
-
基本給370,000円
-
+手当100,000円
店長・幹部候補
職位
店長
年齢
51歳
勤続期間
6年
-
合計1,000,000円
-
基本給500,000円
-
+手当500,000円
電話応募について
メンズバニラ限定特典
昇給は随時実施しております!
電話番号
0120-65-5051
採用担当者:山田
アプリ応募について
- インタビュー
- プリティーガール