- 東京
- 品川
- 品川やすらぎの募集詳細
- インタビュー
品川やすらぎ
長谷川さん 49歳
店長・幹部候補
年収850万円以上
勤続年数10年0ヶ月
親の決めた道、自分で選んだ道。男が歩んだ人生は、夜の世界で充実した今を迎える
“典型的なお坊ちゃん”が歩んだ親の決めた道。学生時代の反省を忘れ、有頂天になった28歳の若専務
――これまでの経歴をお聞かせください。
大学を卒業後、都内の証券会社に就職を。3年ほど働いたのち、父が経営する商社へ入りました。
とまあ、ここまでは既定路線と言いますか……。僕ね、子どもの頃から親の敷いたレールを歩いてきたんです。いずれ会社を継ぐための道として。
――進路が決まっていたと。
はい。例えば学校は中高大一貫の私立。それも倍率が十倍を超える難関校。塾には通っていたものの、まったく受かる気がしませんでした。サボり癖もひどかったから(笑)。
ただ、入学さえすれば、あとは自由にさせてくれたのでね。勉強するのは試験の時期だけで、それ以外は遊んでばかり。特に高校時代はイケイケ(笑)。流行りものに飛び付いて、街を練り歩きナンパして、他校に因縁をつけて……。
――やんちゃだったんですか?
いえいえ。同じような“お坊ちゃん校”との小競り合い程度です。学校のネームバリューを笠に着たマウントの取り合い、みたいな(笑)。
でも、その小競り合いがエスカレートしたことがあって。僕も含めた数名が補導されてしまったんです。結果的に厳重注意だけで済みましたが、心底反省しましたね。退学にでもなっていたら、親の想いを裏切っていたと。いっときの格好つけや見栄で、すべてを台無しにするところだったと。それからはいきがるのをやめました。
――遊びも?
それはやめてません(笑)。夏はサーフィン、冬はスキー。大学では合コンサークルを立ち上げ、ディスコへ行ったりパーティを開催したり……。典型的な“お坊ちゃん”ですよね(笑)。
ちなみに夜の世界を初めて知ったのもこの頃。父が連れて行ってくれた高級クラブなんですけど、華やかな女性を前にモジモジしちゃって、何も話せなかったのを覚えています。
――(笑)。ところで最初に証券会社へ就職した理由は?
修業の一環ですね。「まずはよそでお金の勉強をしてこい」と。金融機関であれば会社はどこでもよかったので、勤め先は自分で選びました。主な業務は、個人資産の運用相談、株式や債券といった商品の提案と販売です。
――父親の会社ではどのような仕事を?
最初の3年間は訪問営業。飲食店向けの商材を扱っていました。そして28歳のとき専務に。
一応、実績を積んだうえでの昇進だったのですが、この人事も言わば既定路線。だというのに、専務、専務と呼ばれ有頂天になりまして……。その結果、会社に損害を与えてしまったんです。
大学を卒業後、都内の証券会社に就職を。3年ほど働いたのち、父が経営する商社へ入りました。
とまあ、ここまでは既定路線と言いますか……。僕ね、子どもの頃から親の敷いたレールを歩いてきたんです。いずれ会社を継ぐための道として。
――進路が決まっていたと。
はい。例えば学校は中高大一貫の私立。それも倍率が十倍を超える難関校。塾には通っていたものの、まったく受かる気がしませんでした。サボり癖もひどかったから(笑)。
ただ、入学さえすれば、あとは自由にさせてくれたのでね。勉強するのは試験の時期だけで、それ以外は遊んでばかり。特に高校時代はイケイケ(笑)。流行りものに飛び付いて、街を練り歩きナンパして、他校に因縁をつけて……。
――やんちゃだったんですか?
いえいえ。同じような“お坊ちゃん校”との小競り合い程度です。学校のネームバリューを笠に着たマウントの取り合い、みたいな(笑)。
でも、その小競り合いがエスカレートしたことがあって。僕も含めた数名が補導されてしまったんです。結果的に厳重注意だけで済みましたが、心底反省しましたね。退学にでもなっていたら、親の想いを裏切っていたと。いっときの格好つけや見栄で、すべてを台無しにするところだったと。それからはいきがるのをやめました。
――遊びも?
それはやめてません(笑)。夏はサーフィン、冬はスキー。大学では合コンサークルを立ち上げ、ディスコへ行ったりパーティを開催したり……。典型的な“お坊ちゃん”ですよね(笑)。
ちなみに夜の世界を初めて知ったのもこの頃。父が連れて行ってくれた高級クラブなんですけど、華やかな女性を前にモジモジしちゃって、何も話せなかったのを覚えています。
――(笑)。ところで最初に証券会社へ就職した理由は?
修業の一環ですね。「まずはよそでお金の勉強をしてこい」と。金融機関であれば会社はどこでもよかったので、勤め先は自分で選びました。主な業務は、個人資産の運用相談、株式や債券といった商品の提案と販売です。
――父親の会社ではどのような仕事を?
最初の3年間は訪問営業。飲食店向けの商材を扱っていました。そして28歳のとき専務に。
一応、実績を積んだうえでの昇進だったのですが、この人事も言わば既定路線。だというのに、専務、専務と呼ばれ有頂天になりまして……。その結果、会社に損害を与えてしまったんです。
青二才の失敗、一からの出直し、父との別れ。三十路を過ぎての再出発、“四十路の手前で夜の世界へ”
――詳しく伺っても?
あるとき、不動産業者と地代の交渉をする席に着いたんですけどね。相手は海千山千の超やり手。平然と不利な条件を提示してくるし、プレッシャーもかけてくる。まるで太刀打ちできなくて。
とはいえ会社からは「判断に迷ったら持ち帰る」を厳命されていたので、話を切り上げようとしたんです。そうしたら「あんた専務さんだよね。決裁権があって来ているんだろ? ガキの使いか?」と。その言葉にカーッときてしまい、よくわからないままサインを……。
――不利な契約を結んでしまった。
ええ。当時の僕は、肩書きに酔って、何でも出来ると勘違いしていた。そこに「俺は社長の息子だ」というプライドが加わって、挑発に乗ってしまった。絵に描いたような青二才ですよね(笑)。
この失敗は調子に乗っていた自分への戒めになりました。今なら「ボンボンの名ばかり専務なんで、父に聞いてみないとわからないんですよー」って、平気で言えます(笑)。
――(笑)。その後は?
もっと経験を積み、足場を固める重要性を痛感して、また営業の現場へも出るように。そうして一から出直し、ちょっとずつ肩書きに中身が伴ってきたと思えた矢先、父が病気で亡くなりまして。会社を清算する運びになったんです。32歳のときでした。
――会社は継がなかった?
父はいわゆるカリスマ経営者でね。影響力があまりにも大きく、力不足の僕が継いでも会社の足枷になるだけでした。であれば事業を譲渡したほうが、従業員も不安なく今までどおりの生活を送れるだろう。病床にいた父と相談して、そういう結論にたどり着いたんです。無念だったし寂しさもありましたが、決めた以上は気持ちを切り替えて、新天地でがんばるぞと襟を正しましたね。
――その新天地が風俗業界?
いえ、知人が運営するアミューズメント施設です。『品川やすらぎ』に入社する10年前まで、風俗業界のことはまったく知らなかったんですよ。
――では『品川やすらぎ』へ入社した経緯は?
知人の会社に6年勤めたあと、個人でネットショップを始めまして。それなりに収益はあげていたものの、自宅で仕事が出来るようになったぶん、時間に余裕があったんです。で、何かバイトでもしようと考え、見つけたのがデリヘルのドライバーでした。
でも、なぜ知らない業界へ目が向いたのか。なぜ『品川やすらぎ』を選んだのか……。それは覚えてないんですよ(笑)。まあ、これが縁なのでしょうねえ。
あるとき、不動産業者と地代の交渉をする席に着いたんですけどね。相手は海千山千の超やり手。平然と不利な条件を提示してくるし、プレッシャーもかけてくる。まるで太刀打ちできなくて。
とはいえ会社からは「判断に迷ったら持ち帰る」を厳命されていたので、話を切り上げようとしたんです。そうしたら「あんた専務さんだよね。決裁権があって来ているんだろ? ガキの使いか?」と。その言葉にカーッときてしまい、よくわからないままサインを……。
――不利な契約を結んでしまった。
ええ。当時の僕は、肩書きに酔って、何でも出来ると勘違いしていた。そこに「俺は社長の息子だ」というプライドが加わって、挑発に乗ってしまった。絵に描いたような青二才ですよね(笑)。
この失敗は調子に乗っていた自分への戒めになりました。今なら「ボンボンの名ばかり専務なんで、父に聞いてみないとわからないんですよー」って、平気で言えます(笑)。
――(笑)。その後は?
もっと経験を積み、足場を固める重要性を痛感して、また営業の現場へも出るように。そうして一から出直し、ちょっとずつ肩書きに中身が伴ってきたと思えた矢先、父が病気で亡くなりまして。会社を清算する運びになったんです。32歳のときでした。
――会社は継がなかった?
父はいわゆるカリスマ経営者でね。影響力があまりにも大きく、力不足の僕が継いでも会社の足枷になるだけでした。であれば事業を譲渡したほうが、従業員も不安なく今までどおりの生活を送れるだろう。病床にいた父と相談して、そういう結論にたどり着いたんです。無念だったし寂しさもありましたが、決めた以上は気持ちを切り替えて、新天地でがんばるぞと襟を正しましたね。
――その新天地が風俗業界?
いえ、知人が運営するアミューズメント施設です。『品川やすらぎ』に入社する10年前まで、風俗業界のことはまったく知らなかったんですよ。
――では『品川やすらぎ』へ入社した経緯は?
知人の会社に6年勤めたあと、個人でネットショップを始めまして。それなりに収益はあげていたものの、自宅で仕事が出来るようになったぶん、時間に余裕があったんです。で、何かバイトでもしようと考え、見つけたのがデリヘルのドライバーでした。
でも、なぜ知らない業界へ目が向いたのか。なぜ『品川やすらぎ』を選んだのか……。それは覚えてないんですよ(笑)。まあ、これが縁なのでしょうねえ。
勤続十年、“充実感とチームワーク”がモチベーション。目指すは、強く、揺るぎないブランドづくり
――その縁が現在まで続き、今では副店長としてご活躍を。
おかげさまで。気が付けば、1番長く働いている勤め先になりました。それもひとえに、『品川やすらぎ』が充実感を得られる会社だからでしょう。
――ぜひお聞かせください。
「みんなに売上を分配して、みんなで幸せになろう」。それが社長のモットー。だから仕事への意欲は自然と高まるし、一丸となって取り組めるんですよね。
それに残業続きで休みも取れない、なんてこともありません。うちは週休2日でシフトもしっかり管理されている。プライベートの時間も大事に考えているんです。僕は退勤後にサウナやジムへ行ったり、映画を観たりしていますよ。
――魅力的な職場環境ですね。
バイトを始めて半年で「正社員になりたい」と望んだ僕が言うのだから間違いありません(笑)。
――ちなみに10年前と比べて変わったことはありますか?
キャストさんのタイプは変わりましたね。昔は悩みも不満も要望もストレートに伝えてくる女性が多かった。今は1人でストレスをため込んで、黙ってやめてしまうケースが珍しくありません。でも過度なコミュニケーションを嫌う方も増えましたから。ある程度は注視しつつ、SOSを発したときに声をかけてあげる。そういう“気付き”のスキルが求められるようになったかな。
――なかなか難しいのでは……。
最初は気付かなくていいんです。なぜなら周りのスタッフが気付くので。そして「こうしよう」「ああしよう」と声を掛け合います。その様子を聞いていれば、必然的に気付くようになる。うちはそういう環境でもあるんですよ。頭で覚えるより、心で覚える……と言えばいいのかな。体感で教わることほど強いものはありません。
なので、経験は気にせず、どんどん応募して欲しいですね。僕自身、右も左もわからないまま飛び込みましたが、実務を通して1つひとつ学び、今に至ります。「みんなで支え合って前に進む」というチームワークも大切にしているので、おのずと活躍していると思いますよ。
――最後に今後の目標を。
最終的には全国展開ですが、まずは新横浜にある姉妹店を含む、各店の基盤を整えることでしょうか。
もちろん今でも揺るぎない自負はあります。でも今以上に確固たる土台を築き、ちょっとやそっとじゃ崩れない、強いブランドにしたい。そうして「やすらぎはひと味違うぞ」と言われる存在になりたいですね。
おかげさまで。気が付けば、1番長く働いている勤め先になりました。それもひとえに、『品川やすらぎ』が充実感を得られる会社だからでしょう。
――ぜひお聞かせください。
「みんなに売上を分配して、みんなで幸せになろう」。それが社長のモットー。だから仕事への意欲は自然と高まるし、一丸となって取り組めるんですよね。
それに残業続きで休みも取れない、なんてこともありません。うちは週休2日でシフトもしっかり管理されている。プライベートの時間も大事に考えているんです。僕は退勤後にサウナやジムへ行ったり、映画を観たりしていますよ。
――魅力的な職場環境ですね。
バイトを始めて半年で「正社員になりたい」と望んだ僕が言うのだから間違いありません(笑)。
――ちなみに10年前と比べて変わったことはありますか?
キャストさんのタイプは変わりましたね。昔は悩みも不満も要望もストレートに伝えてくる女性が多かった。今は1人でストレスをため込んで、黙ってやめてしまうケースが珍しくありません。でも過度なコミュニケーションを嫌う方も増えましたから。ある程度は注視しつつ、SOSを発したときに声をかけてあげる。そういう“気付き”のスキルが求められるようになったかな。
――なかなか難しいのでは……。
最初は気付かなくていいんです。なぜなら周りのスタッフが気付くので。そして「こうしよう」「ああしよう」と声を掛け合います。その様子を聞いていれば、必然的に気付くようになる。うちはそういう環境でもあるんですよ。頭で覚えるより、心で覚える……と言えばいいのかな。体感で教わることほど強いものはありません。
なので、経験は気にせず、どんどん応募して欲しいですね。僕自身、右も左もわからないまま飛び込みましたが、実務を通して1つひとつ学び、今に至ります。「みんなで支え合って前に進む」というチームワークも大切にしているので、おのずと活躍していると思いますよ。
――最後に今後の目標を。
最終的には全国展開ですが、まずは新横浜にある姉妹店を含む、各店の基盤を整えることでしょうか。
もちろん今でも揺るぎない自負はあります。でも今以上に確固たる土台を築き、ちょっとやそっとじゃ崩れない、強いブランドにしたい。そうして「やすらぎはひと味違うぞ」と言われる存在になりたいですね。
写真・記事:メンズバニラ編集部
店長・幹部候補
長谷川さん 49歳
年収850万円以上
勤続年数10年0ヶ月
東京都出身。中高大一貫の学校へ進み、卒業後は証券会社での勤務を経て、父親が経営する商社へ。故あって、32歳のとき知人の会社に就職。その後、個人でオンラインショップの運営を始めた。
『品川やすらぎ』へ入社したのは39歳。着実に経験を積み、10年目の現在は副店長として活躍している。
趣味は映画鑑賞。最近は昭和の作品がお気に入り。「昔の日本の情景に思いを馳せて涙を流す」とのこと。
長谷川さんがはたらく会社の求人募集情報
リアル給与明細
店舗スタッフ
職位
店舗スタッフ
年齢
37歳
勤続期間
1年 6ヶ月
-
合計493,120円
-
基本給322,000円
-
残業52,500円
-
成果報酬78,400円
-
食事代23,000円
-
非課税交通費17,220円
送迎ドライバー
職位
契約・送迎ドライバー
年齢
48歳
勤続期間
1年 3ヶ月
-
合計419,000円
-
基本給・合計/月315,000円
-
走行手当62,000円
-
超過手当42,000円
Web運営スタッフ
職位
web担当スタッフ
年齢
28歳
勤続期間
2年 6ヶ月
-
合計327,350円
-
基本給235,000円
-
残業手当37,500円
-
成果報酬手当25,000円
-
食事代23,000円
-
非課税交通費6,850円
電話応募について
メンズバニラ限定特典
メンズバニラ見て応募の方、積極採用中!!
電話番号
03-3731-0222
採用担当者:面接・採用担当
アプリ応募について
- インタビュー
- 品川やすらぎ